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2F/当番ノート

“たから”って何なんだ

当番ノート 第26期

OI002425

「たからって何?」
「たからの基準って何?」

“たからさがし。”なんて名乗るとこんな質問はしょっちゅうあって、いつも2人で顔見合わせて苦笑いしながら答えを探した。

「人とか食べ物とか建物とかその土地にしかないものとか、、、」
「背景があるものとか誰かの大切なものとか、、、」

うまく答えなきゃとは思っていた。

でもうまく答えれたことなんて一度もない。

旅をしながら、わたしたちはたくさんの「たから」を見つけている。

何でもない田舎の風景、とある商店街で歩きながら食べる饅頭、神話が言い伝えられる神社、熱い思いのある地域の団体、、、

ブログやFacebookではNo.58まで紹介してるけど、実はまだまだ未発表のものも隠し持ってる。

最初は何を「たから」って言ったらいいか分からなかった。
私たちこそ基準を大切にしていた。

何をみてもピンとこなくって、何が「たから」か定まらなくって。

たぶん、どれも同じだったんだと思う。

旅で出会うものは全部が初めて見るもので、全部がいいなぁって思えるもので、特別「これのここがいい!」なんて言えるほどの知識も感覚もなかった。

正直、どこへ行っても同じだった。

全部同じように「素敵だね」なんて当たり障りのない言葉でまとめていた。

だけど、旅をしていくなかで人との出会いがそんな見方を変えてくれる。

どんな思いでその食べ物が作られたのか
何のためにその建物がそこに建てられたのか
ここで売られるものたちを誰が買いにくるのか
どうしてそこに人は集まるのか

出会った人が私たちに教えてくれる。

それだけで、全部同じように「素敵」だったものたちは、それぞれ色んな角度でキラッと光る「たから」ものたちに私たちの中で変身していった。

ヒッチハイクで乗せてくれたご家族も
リュック背負って歩いてたら話しかけてくれたサラリーマンさんも
約束して町を案内してくれた地域コーディネーターさんも
イベントで知り合った学生さんも
立ち寄った店の店員さんも

みんな「たから」を知っていた。

当たり前のように話してくれる、わたしたちとは違った日常は「たから」に思えた。

人との話で「たから」が生まれてくること、誰かの日常が「たから」だったことを知ってしまったとき、
わたしたちの中でそれまでうまく見つけられなかった「たから」はどんどん増えていった。

地域によってちょっと違う言葉も、空気も、景色の色も、「たから」だと思えたし、
特別なものも当たり前のものも、関係なくなっていった。

町を案内してくれる人が言った。

「このあたりは古い建物が残ってていいですね~」

たからさがし。を始めたばかりの頃はよく意味がわからなかった。
私にとって古い建物があるのなんて、当たり前だと思ってて、それは特別なことでも良いことでも何でもなかったから。

それから半年が経ったころ、
「このあたりは古い建物が残ってていいな~」

つぶやいてる自分がいた。

建物がずっと残るなんて当たり前じゃなくって、そこには誰かの残したい思いがある。
災害にも倒されず、昔から今までを見てきてる建物って何となくいいなって、今度は思った。

私たちが欲しかったものは、ゴージャスな宝ってわけじゃなくて。
素朴なものでも、何でもないものでも、
「たから」って思う視点なんだと思う。

地域を盛り上げたい!とか人を集めたい!ってよりも、そんな視点を地域のなかで生んでいきたいんだと思う。

地震にあったとき、
自分の大切なものがわかんなくなって揺れのなか急に心臓つかまれたみたいに怖くなった。

混乱の日々のなか、一番大切だと信じれたのは人との繋がり。
あれから何度も何度も実感してる。

自分の命があって、大切な人の命があって、一緒に笑えたらそれだけでいい。

友達とたわいもない話して、また次の遊ぶ約束ができるなんて、幸せ。

たからさがし。してても、一人じゃ何にも見つからなくて、まいまいと一緒だと全部が「たから」に見える。

人との時間が「たから」に気づかせてくれて、「たから」を作ってくれる。

たからの基準なんて、どうでもいいよ。

たからさがし。は何かと向き合う時間でできてる。

たからさがし。

たからさがし。

熊本・鹿児島在住。田舎のOL2人。
何度も飛び出したヒッチハイクの旅でも。繰り返している日々のなかでも。
変わらずそこにある地域の「たから」を見つけて旅をするわたしたち。
一緒に「たから」を見つけましょう。どこへでも、呼んでください。

Reviewed by
kanako_mizojiri


自分の感情が動いた瞬間
誰かにとって特別な思いがあるところ
人と時間や思いを共有した日

たからさがしの二人と、私にとってのたからの感覚は似ている気がする。
なんて、「たからの基準なんてどうでもいい」ってことに共感しながらそう思うなんて矛盾しているかもしれないけれど。

何の変哲もない、特にその地域らしさが感じられるわけでもないような景色にだってハッとして、心つかまれることもあれば、
その土地だからこそ生まれたものに魅せられ愛おしくなることもある。

人と交わした会話のなかからたからがたくさん見つかるのは本当で、だけどこれらのことすべては自分が開かれているから見えてくるのだとも思う。

小さな感動を見つけたいなって日々を大切に過ごしている人に、とっておきを共有したくなるものじゃないかなぁ、みんな。

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