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2F/当番ノート

虹の女神

当番ノート 第27期

「虹がきた!」

電話越しに聞こえる声が、あまりにも嬉しそうで笑ってしまった。
夏の夜に、仕事を抜け出してかけなおした電話。

その声の主を、いつの間にか「ひろしくん」と呼ぶようになったけれど、出会ったばかりのその頃は、「ひろしさん」と呼んでいた。

ひろしさんは、尾道で小さな珈琲屋をやっている。

尾道へ行こうと決めたとき(どうしてそう決めたのだっけ?)一緒に行った人が、友人に教えられたその珈琲屋へ行きたいと言ったのだ。

「satie」という名のその店は、広い広いネットの海の中にもほとんど情報のない店だった。店の場所も、定休日がいつなのかも分からなかったけれど、尾道で泊った宿の人に直接連絡を取ってもらい、店を開けてもらえることになった。

何しろ地図がなく、随分迷って辿り着いた、線路を見降ろすその店の前で、店主らしき人は、まさに「ぼんやりと誰かを待っている」姿と態度で、一人、煙草を吸っていた。
私たちは、軽く挨拶を交わして店の中へと入って行った。

小さな店のほとんど真ん中にチェロが置かれている。演奏を終えてそこに立てかけられたばかりのように、艶やかな美しい楽器は、その店によく馴染んでいた。壁際に数冊の本があり、野原で摘んできたような控えめな花が飾られている。この店に置かれているものは、どれもひろしさんの手や足の延長線上にあるようだった。

調和。
この店には、そんな言葉がよく似合う。

同行者がカウンターの奥に座り、わたしは入口のすぐそばに座った。

「satie」では、お客さんの好みに合わせて珈琲を淹れてくれる。(だからか、メニュウはなんだか難しく書かれている。)

珈琲が好きな隣の人はは楽しそうだったけれど、わたしは「詳しくないので….」「わからないので…」とたっぷり言い訳をしたうえで「薄いやつ」とオーダーした。
(珈琲のおいしい/おいしくないという判断に自信がないのです。)

ひろしさんの淹れてくれた珈琲は、おいしかった。隣の人の珈琲も一口分けてもらったけれど、そっちは、やっぱりちょっと苦くて、わたしの分を飲んだ彼は、「ちょっと薄いね」と控えめに笑った。

わたしはその日、そこで、何を話したのだったろうか。

ほとんど話をせず、隣で、二人の声が交代するのを途切れ途切れに聴きながら、開け放たれた扉から知らない町が夜になるのを眺めていた。

時折、思い出したかのように電車がゴトゴトと通り過ぎる。町が暗くなるにつれ、光を増す電車をぼんやりと追いながら、ここは旅の途中なのだと実感したり、忘れたりしていた。

隣の人がいつもよりよく喋っているような気がして、それが、嬉しかった。彼の話を、笑ったり、頷いたりしながら肯定していくひろしさんが、きっとこんな風に、ここに訪れる人たちの話を聞いているのだろうと思い描いた光景は、きっとほとんどその通り、現実に存在するのだろう。

ひろしさんは、過不足なくひろしさんなのだ。

わたしたちは、次の日の午前中には尾道を出ることにしていた。ひろしさんは、朝から店をあけるよ、と言ってくれたけれど、わたしも彼も、行くとも行かないとも約束しなかった。

ひろしさんも、待っているとは言わなかった。

帰り際に、ひろしさんが一冊の本を手渡してくれた。
ボ・ガンボスのどんとの奥様が書いた『虹を見たかい?』というその本をひろしさんにくれたのが、同行者に「saie」を教えた、ひろしさんと彼の共通の知人なのだそうだ。

来るときには随分迷ったのに、帰り道は、真っ暗でも迷わなかった。「いい夜だね」と、言ったような気もするし、言わなかったような気もする。商店街の路地にある宿の前に差し掛かったところで、彼がもう少し歩きたいと言ったので、わたしは先に宿へ戻った。あのとき、わたしも一緒に歩けばよかったと、今でも時々思う。

次の日の朝、早起きして、おいしいパンを買って海の近くで食べた。
商店街を歩いて、別々のところでお昼を食べて(多分わたしが拗ねたので)、合流して駅へ向かい、駅の敷地に入ったあたりで、やっぱりひろしさんに会って帰りたいと思った。

我々の足は自然に来た道を引き返し、昨晩から数時間後に再び訪れた「satie」で、ひろしさんはギターを弾いていた。

カウンターに座ってそれを聴いていると晴れた空から雨が降ってきた。
土砂降りだ。
一目会って帰るつもりだったけれど、雨が止みそうもないので、電車の時間を調べてしばらく雨宿りすることにした。

好きな音楽が似ていたので、ひろしさんがギターに合わせて歌う歌をわたしも口ずさんだ。
ひろしさんが珈琲を淹れてくれて、しばらく、それぞれがぽつりぽつりと話をしながら、時間を過ごした。

電車の時間が近くなり、そろそろ店を出ようとしたとき、雨が、ちょうどあがった。

珈琲代は、餞別に、とプレゼントしてもらった。
その日の珈琲は「薄いやつ」ではなかったけれど、おいしかった。
ひろしさんの淹れる珈琲は、おいしい珈琲だ。

また尾道へ行ったら会いたいな、と思ってはいたけれど、まさかその一ヶ月後に、ひろしさんがわたしの部屋へやってくるとは思いもしなかった。

「虹がきた!」と電話をくれたひろしさんは、その翌日のお昼間に、ギターを背負って我が家の前に立っていた。ヴァイオリンと、大きなスーツケースを携えた女の子を連れて。ドアを開けて飛び込んできた二人の顔は、企みと緊張を振りまくいたずらっ子みたいだった。

その女の子は、アリスという。
Irisと書き、それは、「虹の女神」を意味する言葉なのだそうだ。
台湾から日本へ遊びに来ていたアリスは、尾道でひろしくんと出会い、毎日、歌を歌ったり話をしたりして過ごしていた。
そして、直島や豊島へ行ってみたいというアリスに、ひろしくんも着いてきたというのだ。

まだ一度しか会ったことのない人が、一度も会ったことのない外国人の女の子を連れてきたのに、自己紹介をしたり、緊張して気まずくなったり、はたまた意気投合したり、というイベントをほとんど無視して、クーラーをつけたら三人とも眠ってしまった。

その日の夜は、ちょうどお祭りだった。わたしはバイトがあったので先に家を出たのだが、浴衣を着たアリスとひろしくんが、バイト先へ遊びに来てくれた。

そして、しばらく体調の悪かったわたしは、その日のバイトでいよいよ本格的に体調を崩し、次の日病院に行って帯状疱疹だと診断され、しばらくの絶対安静を言い渡された。

身体の調子は悪い(というか痛い)が心はすこぶる元気だったので、二人と過ごす自宅療養の日々は、多分、神様からのプレゼントとかそういうものだったのだと思う。

「栄養をつけなくちゃ」とひろしさんが作ってくれるごはんを、わたしとアリスは毎食綺麗に食べきった。明太子と蛸のパスタ(オクラが入っていて、上には紫蘇がパラリ)とホワイトソースから手作りしたグラタン、スパイスから作ったカレーとゴーヤチャンプル、お味噌汁と茄子の味噌マヨネーズ炒めと筑前煮、朝も夜もパーティみたいなお料理がちゃぶ台に並んだ。

ほとんどお客さんの来ない我が家にはお皿が少ないので、ごはんもグラタンもパスタもお鍋のまんま出てくる。

それを、バラバラの小さなお皿で取って食べるのは、楽しくて嬉しくて、つい完食してしまうのだ。ひろしさんはあまり食べないので、ほとんどをわたしとアリスが食べ、ひろしさんの料理を褒めちぎった。

お昼間は、二人は直島へ行ったり豊島へ行ったりして、その帰りに、たっぷりと食材を買ってくる。
そこには必ずアリスの好きな食べ物がたくさん紛れ込んでいるのだけど(あんパンとか桃とか)、ひろしさんがごはんを炊いたりお味噌汁を作っている横でアリスがネギをせっせと刻み、それを豆腐に乗せて「豆腐はネギ料理」と言い放ったことをしばしば思い出す。

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アリスは、あんこと、ネギが好きだ。

でも、アリスとひろしさんを見送るために一緒に電車に乗っているとき、席を譲ったおばあさんと話をしていて、「日本で好きな食べ物はなに?」と聞かれたアリスは「ひろしくんの作る茄子の味噌炒め」と答えていた。

なんだか、食べ物のことばかり思い出してしまう。それくらい、ひろしさんの作るごはんはどれもおいしかったし、三人でごはんを食べている時間は幸福だった。扇風機をブンブンと回し、汗をかきながら、ごはんを食べたら歌を歌い、歌うのに飽きたら喋り、喋るのに飽きたら眠った。

三人ともほとんど年齢が変わらないのに、わたしとアリスはひろしさんのことを「お父さん」と呼ぶ。落ち着いているし、何より、料理が上手だから。ひろしさんが写真に写る顔がいつも寂しそうなので、そんな写真を引っ張り出してきては「お父さん笑ってよ〜」と言って、また写真を撮った。

帰る前日、アリスは、日本で出会った人たちに手紙を書いていた。
書かれている文章の語尾が時々カタカナになるのは、小津安二郎スタイルなのだそうだ。
(アリスは日本の映画が好きで、特に是枝監督の良さについてわたしたちはよく語る)
アリスの日本語は、時々、はっとするように美しい組み合わせになる。

アリスは日本語が話せるけれど、難しい表現や言い回しはできないし、わからないから、アリスと話すときには変に回りくどい言い方にならないよう、わかりやすい言葉を選ぶ。そういう言葉で繋がっていくから、三人で一緒にいるのはとても安心できたのかもしれない。相手の心内を必死になって考えるよりも、自分の考えを伝えること、言葉の意味をまっすぐに受け取ることに、それぞれが一生懸命だったから。

手紙には、「旅も長くなってくると生活です」と書かれていた。

一週間にも満たないわたしたちの三人暮らしから一年が経つけれど、わたしたちは、今でも全く飽きずにあのときの話をする。特別なことはなかったけれど、どうしても、特別な数日間の「生活」の思い出を繰り返す。
尾道にいるひろしくんとは何度か会ったけれど、わたしたちはアリスのことばかり話す。
他に、話すべきことが見当たらない。
「また三人で暮らしたいね」と、わたしたちに必要な言葉はそれだけなのだ。

狭い部屋の中で、わたしたちは、恋人でも家族でも親友でもなく、その全てでもあったのだと思う。

今年の秋に、日本に行こうかとアリスが言っている。
九州か島か南の方か、アリスの仕事が休みの短い期間だけれど、どこかへ旅をしたいと話している。

まだ、どこへ行くかも決まってないけれど、その旅が終わらなければいいのになア。

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中田 幸乃

中田 幸乃

1991年、愛媛県生まれ。書店員をしたり、小さな本屋の店長をしたりしていました。

Reviewed by
猫田 耳子

旅が生活に変わる瞬間は恋と愛の違いによく似ている。
人生の最期で思い出すのは叶わかなった恋だと誰かが言っていたけれど、旅よりも生活を愛おしむ人生でありたい。

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