嵐がやってきた。
天気がひどい日は、島の輪郭は曖昧になる。灰色の雲と山は滲み、近くの大きく揺れる木だけがはっきりとうるさかった。まだ日が出ているはずの時間でも暗い外で、大きな雨粒と風がごうごうとうねり、家を揺らす。
母は役所に取り残されているようだった。でもあそこは海にも山にも近くないし、食料なんかもある。建て替えられて間もないし、何の問題ないだろう。むしろ古い実家よりは安心だ。モリヤさんも取材もあってそちらにいるようだし。
一方の私とあおいは、めぐとみどりを見守るためと、今のアパートよりもほんのすこしは安心できるからと、昼のうちに実家に移っておいた。夜になって、さらに勢いが増す雨音を聞きながら、居間のちゃぶ台でぼんやりするしかなかった。
「こんなの、本土じゃ味わったことないなあ」
そんなあおいの呟きが、唯一の明かりであるちゃぶ台の上のろうそくを揺らす。
停電になったわけじゃないのだけれど、急に停電になるぐらいなら最初から懐中電灯やろうそくでこなしたいのだ。まあ、懐中電灯はいくら探しても見つからなかったわけだけれど。
「島だって、こんなの嵐は久しぶりだよ。私がすごく小さい頃にあったかも、ってぐらい」
「それ、何十年前?」
「あおい」
私の低い声を、あおいはくすくすと面白そうに笑いながら、隣でぬいぐるみと遊ぶめぐに向く。
「めぐも困ったよねえ、こんなまっくらでうるさいんじゃね、こわいよねえ」
「えーうれしいー」
「えーどうして?」
「だってね、今日はお風呂入んなくていーんだよ」
げらげら、と笑うあおいはひとりだけずっと楽しそうだった。
みどりは本を読んでいた。カバーをつけていて、何の本はわからない。でもまた、あおいあたりに借りたものなんだろう。
「みどり、目悪くなるよ」
みどりはまたたきひとつもしなかった。それを見ていためぐが、大きな声であおいに耳打ちする。
「おねえちゃんたち、ケンカしてるんだよ」
「へえ、めぐはものしりだなあ」
けんかじゃない、と
「みどりが島を出るって言うの」
あおいが困った顔で笑う。
「ええ? みどり、それ本気?」
「本気。あおいくんにも言ったでしょ」
また、こいつは。あおいに視線を向けると、もう気まずそうな顔をしていた。
「聞いてたの?」
「聞いてたけど……もうちょっと大人になってから、先の話でしょ」
「本土の高校に行きたいって言ったじゃん!」
そう強く言われても、私は聞いてない。またあおいを睨む。仕方なさそうに笑っている。
ため息をつく。
「みどりあのね、こいつはこういう奴なんだよ。女の子の話を適当に聞いて、適当に相槌を打って、その場のごきげんとってるだけの奴なんだよ? こういう大人を信用しちゃいけないんだよ」
「急に風当たり強くない? いや、みどり、ちょっと忘れてただけだって、ごめん。……で、なんで本土の高校行きたいの?」
謝罪もそこそこに切り上げるあおいは手慣れている
。
「だって……」
みどりは何度かまばたきをしたあと、順番にぐるりと、私たちひとりひとりを見る。目は合わない。
「この島、おかしいもん」
ああ、とため息代わりに息を飲む私たちとは逆に、みどりの呼吸は荒くなる。
「なんで仲悪いわけじゃないのに、お父さんと一緒に住めないの? なんで男の人がいなくなんなきゃいけないの?」
それに、とみどりは声を上げながら、自分の細い太ももを強く殴った。
「お母さんだって、外の病院ならすぐ治る病気なのに……」
「それは」
「おかしいよ……」
沈黙があると、ようやく外でごうごうとうなる嵐のことを思い出せた。
私の小さいときの嵐も、こんな風だったろうか。まだ姉が入院していなかったのは覚えてる。それで二人で嵐に怯えながらも母に寝かしつけられて、この島がもしなくなったらどうなるか、と話しあっていた。外に住むなんて思いもしないから、もう逃げられないものだと思い込んでいた。
でも、みどりの父は外にいる。たしかにみどりの頭の中には、ずっと島の外があったのだ。外とやりとりがないからこそ、それはより浮き彫りになる。
「けんかはだめだよ」
眠そうなめぐの声にはっとした。
「ときこ」
あおいの声に、頷く。みどりの手を取った。
「おばあちゃんやお母さんはきっと、みどりの意思を尊重するよ。でも、外で住むにはこの島にない、いろいろなものが必要になるの」
俯くみどりのつむじに、ゆっくりと話しかける。
「だから、私が外の人たちと相談してみるから。ちょっとだけ待っててくれる?」
この嵐が永遠にこの島にとどまっていてくれたら、きっとずっと楽だろうに。なんて思うのだけれど、みどりの小さな頷きに、私は手を握り返した。