ばくばくと鼓動を打ち続ける毛むくじゃらな生物の身体は暖かく、
腕の中にもうひとつ心臓ができたような、奇妙な心地よさがあった。
これから自らの命を絶とうとするものが、突如目の前に現れた関係のない命を救おうとしてる。
その矛盾に疑問が浮かばなかった訳ではないが、
アマリは見知らぬ命をしっかりと抱きしめて水面を目指し泳いだ。
海中から勢い良く飛び出し、目についた岩場に毛むくじゃらを寝かせ、
ひとまず水の中から救済できたことに安堵のため息をつく。
ぐったりとしたそれにおそるおそる触れてみるが、相変わらず、ばくばくと脈は打っているようだった。
「….」
もう間もなく、0時になろうとしている。
急なアクシデントに見舞われたが、臨機応変に、できることはやった。
この見知らぬ生物のことは放っておいて、砂浜へ向かうべきだろう。
14歳になる今夜、アマリは使命を果たさねばならない。
「あなた、どこからやってきたの?」
「….」
「…あなた、死ぬの?」
毛むくじゃらにもう一度触れて問いかけてみたが、やはり返事はない。
気を失っているようだ。
「わたしもう行かなくちゃ。ミイラになる前に正しいことができてよかったわ。」
別れを告げ、海中に潜ろうとした刹那、
その不思議な生き物は”むにゃん”と一声鳴いたかと思うと、
ちいさな前足で自身のからだをゆっくりと持ち上げた。
眠っていた命が目を覚ましたことで、空気が小さく震える。
その振動がアマリには耐え難く、いてもたってもいられない。
姿を隠したい衝動に駆られたが、意識がはっきりするのを辛抱強く待った。
「さかな…」
その声はじゃりじゃりとして、ザラザラしている、今まで聞いたことのない、不思議な音色だった。
「…魚?」
「…きみ、誰?ぼくのさかなを見なかった?」
「わたしはアマリ。魚って、どんな?あなたの魚って、どういうこと?」
「ぼくだけのさかな。まだ見たことないんだけど。ぼくだけのって、決まってるんだ。」
「魚は海のもので、みんなのものじゃない?あなただけのものって、そんなのおかしいわ。」
毛むくじゃらは目を覚ましたまま夢を見ているかのような、ひどく曖昧な表情をしていた。
焦点が定まらない、ぼんやりとしたまなざしでアマリを見つめる。
「あなた地上の生物でしょ?どうして海の中に?」
「きみ、ぼくを助けたの?」
「ええ。だって水の中にいたら死んでしまうでしょう。」
「きみだってこれからミイラになるのに。どうしてぼくを助けたの?」
「どうして知ってるの?」
「さっきそう言ってたじゃない。」
「…どうして、」
「ねえ、さかなを見なかった?ぼくだけのものなんだ。はやく探さないと。」
満月が今宵で一番の光を放つ。
それはきょうが終わり、あすが始まったことを告げる合図だ。
アマリは14歳になった。
少女たちの無念を晴らすために、人魚達の未来のために、おかしな因習を破壊しなくては。
「…わたし行かなくちゃ。」
だが身体が硬直して動かない。
目の前でちぐはぐな言葉を発し続ける、
毛むくじゃらから目が離せない。
ミイラになるよりももっとおそろしい予感が、アマリの全身を駆け巡った。
suicide cats in seaside③に続く