suicide cats in seaside①
suicide cats in seaside②
suicide cats in seaside③
背中にぺたりと張り付いたムジャンの濡れた毛並みは潮風で少しずつ乾いていき、
灰色のそれはアマリの背中をそわそわと撫でる。
くすぐられているような感触に時々笑ってしまいそうになるのをアマリはこらえた。
背中に感じる毛むくじゃらの重みは不思議と頼もしかった。
この生き物を背負っているという事実が、とても神聖な行為に思え、誇らしく思えた。
グルグルグルという謎の音を発したかと思うと、数分も経たない内に穏やかな呼吸音へと変わる。
ムジャンは眠っているようだった。
真夜中の海はとても静かに穏やかに、月光は優しくアマリたちを照らし導く。
人魚であることも海の中での暮らしも老いた人魚のお説教も、
ほとんどすべて大嫌いだったが、真夜中の、特に満月が浮かぶ海は大好きだった。
孤独と静寂を許し、世界に光があることを教えてくれる、特別な景色。
真夜中の海はいつだってアマリの味方だ。
「おかしなことになっちゃったな。」
アマリはひとりつぶやく。ムジャンは変わらず寝息を立ている。
「ぜんぶおしまいにしようとしてたのよ、今夜で。14歳までよく生きた、アマリ。よく頑張ったって。
太陽に焼ける時の痛さは伝説で何度も聞いていたし、それなりに覚悟してたわ。なのに。ねえ。」
アマリの独り言は潮風の音にかき消される。
「毛むくじゃらのムジャン あなたはどこから来たの 毛むくじゃらのムジャン あなたはどこへ行くの」
今度は少し大きな声で、デタラメな歌を歌い出した。
「ぼくはあっちから来たんだよ。それから今こっちに向かってる。」
アマリの歌に起こされたムジャンはムニャムニャと返事をした。
「…着いた!ムジャン起きて!あなたのさかな。あなただけのさかなかもしれない、ものがここにいるわ。」
満月が半分になって海の中に落っこちたようなものが、目の前に現れた。
シュウシュウという不思議な呼吸音と共にゆっくりと振動していることから、それが巨大な生き物の頭頂部だということがわかる。
「なあにこれ。」
「ムジャン、息をたくさん吸って。」
アマリはせーのの掛け声とともに、海の中へ潜った。
それは今までムジャンが出会ったことのない、とてもとても大きな生き物だった。
「おおきい。」
「ふふ、でしょう。でも、正確に言うと、さかなじゃない。人間に近い生き物らしいわ。でも海の中にいて、とびきり大きいし、立派で、なんていうか特別な感じがするでしょう?今は眠ってるみたいけど。」
ムジャンはその生物をじっくりと見つめた後、首を横に振る。
彼のさかなではない、という意味だろう。
ムジャンはあたりをゆっくりと見回した。
アマリが連れて行った場所は、その巨大な生物以外にも
無数の、色とりどりの、様々な形容の魚がいた。
アマリはじゃあこれは?じゃああれ!と
あらゆる魚を指差していくが、ムジャンは首を横に振るばかりだった。
「うーん、ここにいないってなると、深海の子たちかしら。でも、あなたをあそこには連れていけないし。」
「ぼく、だいじょうぶだよ。たどり着けると思う。沈むのは、得意なんだから。」
そう言ったムジャンは、まるで手品のように、アマリの前から姿を消した。
一瞬のことで何が起こったかわからず、アマリはひとしきり周囲を見渡すが、毛むくじゃらの姿はどこにも見当たらない。
「ムジャン?どこ?」
いつもと変わらない景色が、かつて感じたことのない、言いようのない恐怖に包まれていく。
「こっちだよ。」
その声はアマリのすぐ耳元で囁かれたような気もすれば、遠くの方で鳴り響いてるようにも聞こえた。
アマリはゆっくりと視線を自身の尾びれの方へ、海の底の方へと変える。
毛むくじゃらは
海底にできた巨大な亀裂の向こう側に、
吸い込まれるように ゆっくりと
どんどん どんどん沈んでいった。
suicide cats in seaside⑤に続く