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2F/当番ノート

偏愛総進撃第三回 壊れそうな時代に

当番ノート 第29期

ヒーローとは人を救うものである。と、我々は思う。ウルトラマンが怪獣の火から町を守るとき、仮面ライダーがダムの爆破を阻止するとき、スパイダーマンがビルから落ちる作業員を拾うとき、我々はヒーローをまなざす。それは憧れであったり、冷笑であったり、そうしたヒーロー達でも救えないものがいることへの非難であったりする。
ヒーローは強く、折れない。たとえ一旦折れても、不屈の意思をもって何度でも立ち上がり、我々を支え続ける。神話英雄的なそうしたヒーロー像は、多くの人が共通の前提としているものだろう。父の死や敗北を乗り越え戦う勇ましい男を描いた英雄叙事詩「宇宙刑事ギャバン」(1982)などは、そうした力強く頼もしいヒーロー像の代表例だ。
しかし平成以降、このイメージを破壊するような描写、作品が相次いでいる。近年の例で言うならば、仮面ライダーООО(2011)四二話における、ヒーローを呼ぶ市民の声に反発する形でヒロインが絶叫する「やめてよ!えいじくんは神様じゃない!」に代表される、ヒーロー側からの物語への反発。それはデウスエクスマキナであったヒーローを、「都合のいい神様」から人間の位置にまで引きずり下ろす試み。降りるための挑戦。

ヒーロー「を」救うのは誰なのか。
ヒーローが何かを救い続けなければならないとしたら、ヒーローの苦しみは誰に救われるのか。もっとざっくり言ってしまえば、心が弱いものは主人公たり得ないのか。
それが今回のテーマである。

ヒーローは悩むのか、苦しむのか、ではない。
先達の名誉のために言っておくと、ヒーローは、昭和の時代から悩み苦しんできた。悲劇の怪獣を爆破するかどうか。確実だが犠牲の出る作戦を承認するかどうか。戦いの中で生じる仲間の死をどう受け止めるのか。それぞれに決断があり、苦悩があった。
しかし、それらはすべて基本的にある程度プロとして割り切られていた。苦しみながらも成熟した大人として決断を下した昭和のヒーローたちは、その責任を受け止め、腹の底にしまってきたのだ。

そういった文脈を踏まえたうえで、仮面ライダー剣(2003)についての話をしたい。

「剣」は、世間的にはあまり評価の高い作品ではない。剣、と書いて、ブレイド、と読む。かなり無理がある。設定も盛られ過ぎている。マイノリティの人権問題をメインに扱った前作「555」に比べ、基礎設定の時点で「世界の支配種族を決めるため、その種族の神同士が全員でなぜか殴り合い(この殴り合いはバトルファイトという雑な英語で呼ばれる)を行うことになった」という荒唐無稽さである。主役の滑舌は悪く、時々セリフが聞き取れないことすらある。困った点をあげればキリがない。
しかし、それでも、私は本作を評価したい。
心の弱さを抱えたヒーローを、等身大に描き切った傑作。それが仮面ライダー剣だ。

「剣」は、四人の仮面ライダーによる群像劇だ。

・ 主人公である剣崎は、火事の唯一の生き残りで、サバイバーズギルトに苦しむ青年である。優しいが、無意識での希死念慮が強い。
・ 剣崎の先輩である橘は、戦いへの恐怖から、恋人の家の椅子でしか眠ることができなくなった男だ。善人だが他者の言うことを信じやすく、思い込みが強い。
・ 怪人の一人であり仮面ライダーでもある相川は、口下手で、かつて犯した罪から、罪悪感にさいなまれ続けている。贖罪として、少女を一人養育している。
・ 後輩であり、巻き込まれるように仮面ライダーになった睦月はコインロッカーに投棄された少年で、他者に心を開き切ることができない。

この四人が、お互いに自分のメンタルと戦いながら、必死に支えあい、傷つきあいながら人々を守ろうと揺れるのが仮面ライダー剣という物語である。
確かに、爽快感はない。ライダーたちは弱く、脆く、メンタルの調子ですぐに戦えなくなる。毎夜フラッシュバックする過去は彼らの足枷となり、余裕のない言葉は時に互いを傷つけあう。すぐに騙され、操られ、落ち込む。そして、ギリギリの状態で市民を守る。

だが、だからこそ、彼らは尊い。

最終回、剣崎は友を救うため、自分が犠牲になる判断を下す。それはもはや番組前半のような浅い希死念慮ではない。一乗寺烈のように戦うには、戦士たちはどこまでも繊細で優しすぎた。
(一乗寺烈が優しくないわけではない。彼は優しくて頼もしく、強い。しかし、優しさと強さの在り方が今とは違う)

昭和のヒーローたちであれば、違った決断をしたのだろう、と思う。
それが良かったのか悪かったのか、私はいまだに判断がつかない。
剣崎は、良かったと言うのだろう。静かに笑いながら。
他のメンバーは、どうだろう。橘は、睦月は、そして相川始は。

未来=悲しみが終わる場所、とopテーマは歌う。
結局終わったのは誰の悲しみだったのだろうか。

※2000年代の仮面ライダーに関して、個別エピソード単位の紹介は不可能に近い。仮面ライダークウガ(2000)から仮面ライダーディケイド(2009)までの作品はそれぞれが連続ドラマであり、一話完結型ではないためである。

Masakuni Hashimoto

Masakuni Hashimoto

特撮についての簡単な断章・偏愛備忘録。

Reviewed by
田嶌 春

ヒーローはヒーローとしてプロフェッショナルである。そんなデウスエクスマキナ的イメージは、昭和生まれだからこそ何となく持ち続けてこられた前提だったのかもしれません。

第1回もそうであったように、ヒーローも愛され救われるべき人間の1人だ、という視点を持ち続けるHashimotoさんの文章は、愛に溢れています。

仮面ライダー剣!なんて、なんておもしろそうなんでしょう。
夜風が心を切なくするちょうどこんな季節に、弱さを抱えたヒーローの、だからこそ貴い闘いに寄り添ってみるのは如何。

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