君は僕の未来だから愛をささげよう
地球戦隊ファイブマン(1990)のエンディングテーマのワンフレーズである。
「ファイブマン」は不遇な作品だ。裏番組のらんま二分の一という名作に視聴率を奪われ、戦隊人気低迷期の作品であったゆえ、語られることも少ない。翌年の「鳥人戦隊ジェットマン」が誰もが認める大作・傑作であったことも、相対的にファイブマンの地味さに影響しているような気もする。
幼くして両親を失った5人兄弟が教師として成長し、長男の開発した武器で両親の仇と対決する・・・シナリオは優等生的であると言えばそうである(そうは言っても、レッドとブラックが複雑な恋のさや当てを繰り広げる「ジェットマン」と他の戦隊を比べるのは酷ではなかろうか)し、人気低迷からの迷走としての唐突な人形劇の挿入など、評価しがたい演出も多い。
しかし、ファイブマンは、地味ではあるが決して駄作ではない。その作中で描かれたテーマは普遍的なものであるし、心に残る名エピソードだっていくつも存在する。
ファイブマンのテーマは「愛」である。
五人の子供は立派に成長し(エンディングはアルバム調になっている)、常に思いやりを忘れない。教師として子供たちを見守り、支える。敵の組織は愛を知らず、金銭・享楽・名誉・権力を求める者たちで構成されている。最終回で、敵の首領が愛を求めつつ妄執の虜であったことが判明し、番組は幕を閉じる。わかりやすく美しい物語である、と、言えよう。
しかし、である。この美しい物語は、同時に歪な地獄を抱えている。そのすべてが、この戦隊のレッドである「星川学」に集中している。ファイブマンという物語が私をとらえて離さないのは、この構造的地獄のせいでもある。
星川学・・・星川家の長男。品行方正で知的、常に冷静で、優しい。剣道の達人で、理科を専科で教える小学校教師。五人の中で最強の戦力。両親が宇宙で敵軍に襲われたときすでに物心がついていたため、両親の顔を覚えている唯一のメンバー。
・・・そして、残り四人の親代わり。
この構造のゆがみを、端的に示すエピソードが、第三五話「学の秘密」である。エピソードの内容は以下の通り。
星川学にはある秘密があった。一人で近所の牧場に行き、そこで、子供に還るのである。母親の面影と似た牧場主に母をかさね、自分の寂しさをぶつけ、誰にも相談できない家庭内のストレスを一人で空に語りかけるのである。一人だけ両親の顔を覚えていることに罪の意識を持っている学は、弟妹に対し何も相談できない。これが、学の秘密。折しも、その間に怪人が出現。四人は出撃するも、倒されてしまう。肝心な時にいなかった学のことを、四人は信頼できなくなってしまう。学は、その悲しみを携えて再び一人牧場へと足を運ぶ・・・「お母さん、お父さん、僕は、間違っていたのですか!!」空に叫ぶ星川学。そして、壊れた五人の前に、再び敵怪人が現れる。
最終的には戦隊シリーズなので五人はなんとか仲直りするのであるが、幼い星川学が二十数年間どれだけの抑圧の中で育ってきたのか、胸を痛めずにはいられない。演者の熱意もあり、「学の秘密」はファイブマンで最も胸に響く回の一つとなっている。ぜひ、自分の目で確かめてもらいたい。
星川学という地獄は、星川学が子供時代を奪われて大人にされていることが原因で生じていると考えられる。大人としてふるまわねばならなかった星川学と、子供でしかない一人の星川学が、星川学という地獄の中で焼かれつづけているように、私には見えるのである。そしてその火は、マグマベースの中では、決して止むことはない。星川学自身が星川学を燃やし続けている。星川学の人生は、星川学のために生きられてはいない。彼の幸せは、弟妹に依存している。青年でしかない(そして子供でしかない)彼のそれは愛というより、けなげな狂気にも見える。穿ちすぎだろうか。素直に、星川学は小学生当時から、あふれる慈愛を弟たちにそそぐことができていた、と見るべきなのだろうか。
最終回で両親に会えた星川学は、あれからもう一度生きなおすことができたのだろうか。それとも。ファイブマンという美しい物語を焼き尽くす、星川学の地獄について思いを馳せる。
ファイブマン愛のテーマを聞きながら。
♪もしも命と引き換えに君の未来がかなうなら、
なにもなにも惜しくはない。
君は僕の未来だから。君は僕の未来だから。
愛をささげよう。
なるほど。
それでは誰が、星川学に愛をささげるのか。
奪われた子供を、誰が愛するのか。
戦隊シリーズは、五星戦隊ダイレンジャー(1993)、侍戦隊シンケンジャー(2009)などで部分的に取り組んだうえで、最終的に特命戦隊ゴーバスターズ(2012)や烈車戦隊トッキュウジャー(2014)でこのテーマに正面から対峙することになる。しかし、それはまた別のおはなし。それでは。