今日はダッフルコートの話から。
これは24年前、僕が19歳の時に7万円ぐらいで買ったものです。
一時期下火になっていたのですが、ここ数年復活の兆しを見せてきたので、僕も最近また着るようになりました。
このダッフルを買った頃、90年代は今と異なり、 今でいう「ビッグシルエット」の服が流行っていたんです。このダッフルもMサイズで購入したものの今となってはダボダボで、着て歩くにはどこか気恥ずかしいものがあり、ずっとクローゼットの奥にしまっていました。
はじめてのアルバイト代で買ったこのダッフルに思い入れ深く、どこか処分する気にもなれずにいました。3年前に近所にリフォームショップがあることを知り、僕の体型に合わせてサイズを直してもらい、10数年ぶりにまた着られるようになりました。軽いし、ウール100パーセントなのでとても暖かく、捨てなくてよかったとつくづく思います。
と、前置きはこのぐらいにして、ここからが本題。
今日は『徒然草』の話。
徒然草もまた中学・高校の授業で習うものではありますが、その1節、148段には「ものを大切に使うことを我が子に説く」話が載せられています。
時は鎌倉時代、鎌倉幕府5代執権北条時頼が幼少の頃の話です。時頼の母、松下禅尼(まつしたぜんに)が自邸に我が子を招き入れるにあたって、障子戸の紙を切り貼りして直していました。
その日たまたま禅尼邸にいた兄の義景は禅尼に言うのです
「破れた所を1箇所ずつ直すち見映えも悪いでしょうし、全体を貼り替えた方が楽でしょう」と。
しかし、禅尼はこのように返しました。
「尼も、後はさわさわと張りかへむと思へども、今日ばかりはわざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理(しゅり)して用いることぞと、若き人に見ならはせて、心づけん為なり」
禅尼も今日だけはあえてこのようにしておきたい。ものは壊れたところだけを直して用いることが大事なのだということを、若い時頼に見習わせて心がけてほしいのだ、という親心を我が子に示しているのです。
作者吉田兼好は、徒然草の各章段でエピソードを挙げた後で、その感想や評価に言及します。ここでは次のように。
「いと有り難かりけり。世を治むる道、倹約を本とす。女性なれども聖人の心に通へり。天下を保つほどの人を子にて持たれける、誠に、たゞ人にはあらざりけるとぞ」
時頼は北条家の家系で当時の権力中枢にあった家柄ですから、禅尼は尚更聖人君子としての教育に力を注いだのでしょう。今の政治をみればムダなことは多々ありますが…まぁ、それは置いといて…どんなものでも大切に使うということはこれからも心がけていきたいものです。