こちらでは「古典作品にみる鎌倉」というテーマでお送りしようと考えております。
古典というと、みなさん中学や高校で習ったことがあるかと思いますが、どこか親しみに欠けて遠慮してきたことが多いのではないでしょうか。そうした古典作品を、鎌倉の風土と関連づけていきながら、これからお話を進めていこうかと思います。
1回目のアパートメントで取り上げる作品は『万葉集』(まんようしゅう)。
中学や高校でその名を聞いたことがある方多いと思いますが、日本で最初に成立した歌集です。
成立は759年ごろ、奈良時代末期ごろの成立。編纂者は大伴家持(おおとものやかもち:万葉集中最も多く歌が採録されている)。巻数は20巻あり、採録歌数は4516首もあります。1番目の歌は雄略天皇(ゆうりゃくてんのう:)から始まり、最終句の4516番目の歌は大伴家持の歌で幕を閉じます。万葉集が成立した時代にはまだ仮名は存在せず、原本はすべて漢字で書かれておりました。
前置きが長くなってしまってはいけないのでそろそろ本編に…
万葉集には、鎌倉で詠まれた歌が3首と、関連歌が1首あります。
まずはそのひとつめの歌
鎌倉の 見越(みご)しの崎の 岩崩(いわく)えの
君が悔(く)ゆべき 心は持たじ (巻14-3365)
訳:鎌倉にある見越の崎の崩れやすい岩のように、あなたが悔やむような心を私はもちませんよ
見越しの崎という地名は今の鎌倉にはなくて、これは現在の甘縄(あまなわ:江ノ電長谷駅より徒歩数分、鎌倉大仏や長谷観音の近く)または腰越(こしごえ:こちらも江ノ電に腰越駅があります。藤沢市よりの海岸地域です)あたりかと比定されています。
鎌倉の岩は古来より脆く、かつて石切場であった所もありました。歌中では「そんな脆い岩ではないが、あなたが後悔するような心を私は持たない」と強い意志を表明している歌なのです。歌中に「君」を用いていることより、この歌は女性から男性に宛てた歌なのだということがわかります。古来「君」という言葉は、男性を指すものでした。
次回に続きます。