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2F/当番ノート

迷ったときは戻る

当番ノート 第31期

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ひとはよく迷う。道迷いはもとより、会話においてもだ。
話題が迷走するのである。たちが悪いことに話している当人は迷っていることに気づかないことがしばしばある。
よく分からない結論にいたってようやく我に返り、はたと思う。

僕はなんの話をしていたのだろう。

相手の表情を見るに、こんな話をしたかったわけではなさそうだ。そして理解する。
僕は会話迷子だったのだ。
「泣いて馬謖を斬る」という故事に始まり、董卓と張飛のヒゲ話を繰り広げてしまったのだろう。黒々としたヒゲが後悔となって胸を締め付けてくる。しかしながら関羽のヒゲも捨てがたい。
いったい何を書いているのだ。文章においてもこのように迷子になる。

話の筋が混迷してきたが、つまるところ、ひとはよく迷うのである。

それは、秘境レースを走っていても同様だ。レースに慣れていても道を間違えることもある。
あるというか、当然のごとく迷うのだ。なぜなら秘境という未知なる大地にも関わらず、地図はない(与えられても道がないのであまり役に立たない)。
走っているときにコースを確認するための目印は小さなコーステープだけ。風にゆらめくテープは頼りなげ。それを追いかけてコースをたどって行く。
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余力が残っていると割と順調に見つけられるのだが、疲れてくると見通しのいい砂漠ですら目印を見つけられないことがある。ジャングルなどはなおさらで、生い茂る草木でまったく見つけられないことも。極めつけはテープが緑色だっとき。難度が高すぎて生還できないかもしれないと思う瞬間だった。

そこにきて、アスファルトの上を歩いているだけでスマホやクレジットカードを落とす迂闊なる粗忽者、すなわち僕が走るのだから、大変なことになる。
うっかりとカードを落とすくらいなのだから、当然のごとくコーステープも見落とす。森の中をウロウロすることになる。あっちへ行き、こっちに引き返しを繰り返していると、ランニングレースというよりはひとり探検隊の様相に等しくなる。

疲労困憊なところでテープを見失うと、引き返すのはとても億劫だし勇気がいる。前に進みたい、後続のランナーに追いつかれたくないという心理も働く。そして、引き返すことなく、ひょっとしたらこの先に目印があるはず、と都合のいい考えでそのまま進んでしまう。道迷いの泥沼である(ジャングルでは比喩ではなく本当の沼にもよくはまった)。そして途方に暮れるのだ。

まったく道の見つからない密林の中でも鉄則は同じである。「迷ったら戻る」に尽きる。
最後にテープを見た地点にまで戻る。それしかない。確かなところから続きを始めるのが一番の近道だ。
ただ、迷った挙げ句に我が道を進み続けていたら、本来のコースに復帰できたというケースもある。などと言い出すとなにが正しいのか分からなくなるが、そんなふうに迷ったときはやはり戻ればいい。

若岡 拓也

若岡 拓也

ローカル、移住、走ることなどを
題材にしてライターとして活動中
福岡県上毛町で地域おこし協力隊
海外の砂漠や山岳、ジャングルを
走る大会にチャレンジしています
7日間250kmが標準的な長さです
1984年生まれ石川出身の双子座

Reviewed by
朝弘 佳央理

初めて大掛かりな山登りをした時のことを思い出した。
山小屋で一泊をして下山の道、本道でない道を降りることになった。木の根のようなものにぶら下がらないと渡れない場所や細い尾根。ときどき道を示すテープが木々に取り付けてあるが、日が暮れるにつれてそれもだんだんと見えなくなった。
夜の山に迷ったのだった。
水際を伝って麓までたどり着いて事なきを得たが、あの時の足や手を滑らしたらという緊張感と同時に、大きな山の闇に包まれてだんだんと呼吸が浅くなってゆくような感触は不思議に、懐かしい。

迷ったときに戻る、というその「戻る場所」すら分からなくなることが私は多い。
後ろを振り返った途端、え?こんなところ私通ってきたっけ?見たことがない。となる。
自分の思考でもそうだ。寄り道や枝分かれを繰り返しているうちにふと我に帰ると、あれ?今私は何を考えていたんだっけ?と、まるで今まで見ていた夢を忘れるように、ぽっかりと時間の空白だけが残る。
寄り道や枝分かれのたびに自分を分身させてそこに置いておいたり道の向こうに派遣するのだけれど、はっと今いる自分の意識のところにみんなを呼び寄せると全員が記憶喪失になっている。

道には、ちゃんと白い石を撒きながら歩かなければならないな。
間違っても帰れるように。
後からついてきたひとにも示せるように。

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