考えるへんな人 ー 独特の価値観を持ちながら暮らしていて、見方によっては近寄りがたいが、噛めば噛むほどに味わいぶかいスルメのように話せば話すほどのめり込んでしまう人。
前回は、つなぐ人として岡田昭人さんを紹介させてもらったが、今回は彼につなげてもらった人について書いてみようかと思う。ぼくの先輩を紹介します。
現在は、プロのMC/DJ/ナレーターとして「声」の仕事をしているリスケさん。例えば、プロ野球/埼玉西武ライオンズや、B.LEAGUE/B1/千葉ジェッツのスタジアムDJなど、試合を観に行けば、彼の声が聞こえてくるわけだ。
得意分野はスポーツらしいが、音楽などのエンタメから、社会、ビジネスまでを幅広いフィールドで伝える活動をしている。サウジアラビアや米国での幼少時代があり、バイリンガルでもあることを活かした、通訳・インタビューなども行う。
そんなリスケさんに出会うきっかけだったのが、冒頭でも触れたように、岡田昭人さんだった。リスケさんは1980年生まれなのでぼくの8コ上であり、学生時代がもちろんかぶるわけもない。どうやって知り合ったのか。
リスケさんは、同志社大からの編入で外大英語科に入った。(わかる人にはわかるかもしれないが)外大で英語科なだけでも”へん”なんなのに、3年次から、しかも関西から関東へ編入してくるとは、やはりへんな人に磨きがかかっている。編入前には、翻訳/通訳を学ぶために専門学校に通っていたこともあり、道の歩み方が気になってしまう人だ。
どんな学生時代を彼が過ごしたのか、詳しいことはわからないが、関西出身でありながら、さらにへんな岡田昭人という人とうまくハマったようで、家族ぐるみの長い付き合いをしていたそうだ。
そんな流れがあって、どこかのタイミングで飲み会があって、リスケさんと同じ席で飲むことがあった。はじめて会ったときは、ただでさえ学生で社会人に対してビビるのに、さらに普通の人とは違った今の仕事をやっているもあり、ちょっとこわかったのを覚えている。それと同時に、憧れもすでに生まれていた。
こわいものほど近づいてみたくなる質なんである。「飲みに連れっててください」とおどおどメールをして、実際に連れて行ってもらった。そのなかで、リスケさん自身の話をたくさん聞いた。
リスケさんは、大学卒業後には外大生らしく専門商社で勤めていた時期があったという。しかし、働くなかで「自分がやりたいこととはちょっと違うんじゃないか」という違和感を抱いて、会社を辞めることに。
「じゃあ何が自分がやりたいことなんだ」と考えたときに、小さい時から「ヒーローインタビューごっこ」が好きでやっていたことに気づく。学生時代もクラブなどでのDJ/MCもやっていた経験が、何が自分を楽しくさせるのか(何で他人を楽しんでもらえると自分が楽しいか)を知るきっかけになり、プロとして「声」の仕事をすることを目指したそうだ。
そんな想いを掬いあげて、退社後にプロダクションに入り、業界での下積みがはじまった。仕事と平行してアナウンスの学校に通ったという。そうやってトレーニングも重ねながら、少しずつやれることを増やし、今の仕事をするまでに至った。かなり端折ってしまっているが、やはりタレント業なのであり、大変な時期もあったのではないか(と思う)。
そういったリスケさんを身近にいたからこそ、「表現で食べていく」ことの厳しさのリアリティを感じることができた。また、「しゃべる」と「書く」は違うのだけど、似たところもあって、一表現者としての”キャラ”の尖らせ方についても(痛いほどに)考えることになったし、彼の存在が今のぼくのはたらき方の一部をつくっている気がする。
人に会う仕事だし、人を紹介する・伝える仕事をしているし、すこし強面だったりするのだけど、実は「人見知り」だという話を聞いたときには、ニヤっとしたのを覚えている。意外だし、へんだし、そういう先輩がいることをちょっとした誇りでもある。
世の中には、本当のところ、いろんな人がいて、いろんな仕事や働き方の選択肢があるわけだけど、大人の役割を大きく二つに分けるとしたら、「(狭かったから)選択肢を広げること」と「(選べないから)選択肢を絞ること」ではないだろうか。どちらも大切な役割である。
そのときに、リスケさんの考えとしては、本人が「脱サラから声の人へ」という歩みを経たように、普通じゃなくてもよい別の選択肢を示せるような大人に、一つのロールモデルになれたらおもしろい」だった。
声を発する仕事の人が、その部分は声を発することなく、その姿/生き様で伝えることを考えているとは粋だなあ、と当時は思ったものだ。ただ、その話をしたとき、新宿ハルク近くのスペインバルあたりで酒を呑み、お互いにわりといい感じに酔いはじめたときだったので、本意かどうかは定かではない(笑)。
ちなみに、その夜は、数軒はしごして、飲みに飲みまくって、途中で記憶が飛んでいて、朝目覚めたら、笹塚あたりのアパートのゴミ置き場あたりで横になっていて、気づけばケータイもなくしていて、なぜか身体はアザだらけで、そのまま仕事場へ出勤するというB級ドラマのような状況を味わった思い出がある。
それを差し引いても、またリスケさんとは呑みたい、と思うし、なんならその思い出をアップデートするくらいキツい体験を過ごしてみたかったりもする(笑)。
リスケさん、また飲みに連れてってください。
(去年11月、ひさしぶりの再会で、飲みに連れてもらったときのリスケさん。ちょうどぼくがラジオ出演の機会あって「自分が思っている声よりも3倍テンション高めでしゃべったほうがいいよ」とやさしいアドバイスをもらったのでした/これむずかしい)