てくてく。という言葉の愛らしさに、今朝突然気がついた。駅構内。てくてく。地下鉄の駅を出て、熱たちのぼるコンクリートロード。てくてく。神妙な顔で進む自分の身体の脇に、手書きのオノマトペ。てくてく。そういう漫画の一コマを空想して、通勤ラッシュを許そうと思った。あと、今度好きな言葉を尋ねられたら、一拍悩むふりをして、てくてくって言おう。
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歩くことは好きだ。運動らしい運動は全部嫌いだけど、何時間も歩くのは、あまり苦痛でない。
歩くことは、最も手軽な冒険だと思う。目指す場所も、目当ての死体も何もなくても、歩くこと自体が冒険になる。
道端に新しい発見、ふと見上げたらゴッホのような星空。みずみずしい会話で何かが暴かれるような夜のピクニック。そういう道中の思い出を期待している、わけでもなくて、ただてくてくと歩くことそのものに、快楽の根があると思うのだ。
(この週末は友達と尾瀬に、歩きに行った photo/Akihiro Asakura)
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下宿は、徒歩の拠点としては良い場所だった。東にも西にも北にも上にも、道らしい道、つまり道しかない道があったからだ。
東へは、二通りの道が伸びていた。安全な道と危険な道だ。安全な方は、いったん川を渡って、大きな車道に沿ってずっと歩き、再び橋を渡ると、東の町のショッピングモールにたどり着く。守られた歩道を歩くので気が楽だが、わざわざ川向こうへ行って戻ってこなければいけないぶん時間がかかるし、排気ガスがおいしくない。対して危険な方は、川を渡らずずっとこちら側を行くルート。とても狭い車道沿いを、急ぎ足できょろきょろしながら、待避所ごとに息を整え先を急ぐ。
東の町には電車で行けば一駅なのだが、たまに思い立って、そうやって1時間半くらい、歩いてみることがあった。
上への道というのは、登山道だ。下宿の裏には熊山(くまやま)という霊山が据わっていた。500メートル級の、このあたりでは高めの山で、頂上からは瀬戸内海がぶわっと見下ろせる。シニアの山好きに人気で、土日となるとストックをもった集団がぞろぞろと登山口に向かっていた。そして私たちも、あまりに休日に飽くと「熊山登山」に繰り出していたのだった。
一度、遭難しかけたことがある。定期テストの最終日、お昼には下宿に帰っていて、あまりにやることがなかったので、熊山でも登るか!という話になった。なんか身体もなまってるし。
小さいリュックにチョコレートを入れて、出立した。2時間くらいで馴染みの山頂に着き、霊山の由来である神社と老杉に詣で、このまま普通に帰るのつまらんから、噂に聞いた特別ルートで下りてみようということになった。無知。山の怖さを知れと怒鳴りたくなるが、当時は探検的なものはすべて正義だったのだ。
当然迷った。空は暗くなった。たぶん夏だった。草の苦いにおいが漂っていて、チョコを掴んでもってきた自分たちを褒めた。携帯は圏外だけど、数日分のカロリーは背中に。朽ちた看板を頼りに、暮れゆく地面を蹴った。
日が沈む前に、かつて道だった道を見つけ、膝が震えるのを押さえつけて下山したころには、すっかり夜だった。ここはどこだろう。結局近くのスーパーか何かで、そこが下宿から熊山を越えた反対側の町なのだと知ったのだった。
電車で、初めて乗る路線を乗り継いで下宿に帰った。車内では足を揉みながら、今日のご飯なにかなあ、と呑気な話をした。水炊きだったとしても、山道でチョコでしのぐよりはましかも。
下宿に着いたころには夕飯の時間は終わり、みんな自室に引き上げていた。おばさんは、遅かったねえ心配したで、とご飯を用意してくれ(結局その日は何だったっけ……)、私たち山越えちゃったんですよ!と話したら、まあえらいこっちゃなあ、といつものようににこにこされた。ともあれただの目的のない山登りが、こうして本物の冒険になることも、時にはあった。
西に向かって歩いたのは、確か一度だけだ。西には、東以上に大きな町があって、珍しいスーパーとかドラッグストアがあった。ただ、東の町に行くのの2〜3倍はかかる。普段はもちろん電車か、下宿の近所の誰かに車を出してもらってお出かけをする。
それが、天気の良かったある休日、どこまで行けるか、行けるとこまで歩いてみようという話になった。
川沿いの土手をてくてく、ただただ西へ向かう。これ、このまま行ったら河口まで行けるんかな。そしたら、瀬戸内海? 瀬戸内海じゃろ。そっから船で小豆島とか行ってみたい。ん? 二十四の瞳。へー。河口ってどこ? 分からん。
土手にはマイルストーンのように、河口までの距離が掲げられていて、あと20キロくらいはあったと思う。20キロって、今日中に行ける? 行けるかもしれんけど遠くね? じゃあ出直しか。もっと朝早く出ないと。河口っていいなあ。
でも、気持ちの良い土手は途中で終わって、つまらない車通りに放り出されたので、河口への漠然とした憧れも途絶えた。いや、土手道は続いていたけど、疲れて歩くのをやめたくなっただけかもしれない。記憶はだいたい混乱している。確かなのは、結局その西の町のスーパーまで行って、お菓子を買って、帰りはやっぱり電車を使ったことだ。電車だと10分もかからない距離なのに、私たちは午後をめいっぱい費やして、戦利品は何でもないお菓子。
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こういう徒歩や登山はいつも、同い年の下宿生と連れ立っていた。彼女とは、中学3年間ずっと同じ部屋(下宿に唯一ある、ふたり部屋)で過ごし、高校になってからはさすがにひとり部屋に分かれたが、結局大学も同じだったので東京でも4年ほどルームシェアをしていた。
彼女と私は、趣味も学校で属するコミュニティも全然違って、たぶん下宿生でなかったら、一言も喋らず卒業したんじゃないかと思う(日直が重なったら業務連絡くらいはしあったかも)。それが、結局10年も一緒に暮らすことになった。12歳のとき実家を離れたわけだから、両親とだいたい同じくらい、一つ屋根の下で生活していたことになる。
彼女にまつわる記憶はたくさんあるし、というか私の下宿生活は彼女とともにあったようなものなんだけど、この下宿の連載中、私はずっと彼女についてどう書いていいか分からなくて放置していた。
ただ、今朝、てくてくという呪文を唱えながら通勤していてふっと、彼女ともよく一緒に歩いたなあと思い至ったのだった。東へ西へ、上へ下へ。歩きながら何を喋っていたのかは、あんまり覚えていない。たいして喋らず淡々と歩いていただけのような気もする。
喧嘩したり褒めあったり、一緒に東京の大学行くべしと競ったり、もっと実りのある出来事はたくさん共有していたはずだけど、それ以上に彼女とは、ただよく歩いたなあという記憶が勝るのはなぜだろう。趣味のほとんど重ならない私たちが、珍しく一緒に出かけるときは、たいてい歩いていたからだろうか。
ちょっととおくまで。てくてく。親睦でも保養でも哲学でもなく、歩くために歩いたこと。
(photo/Akihiro Asakura)