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2F/当番ノート

また夜がくる

当番ノート 第34期

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何故人は酒を飲むのか。
段々とだらしのなくなる表情、でかくなる声、人でも喰らったのかな?というようなワインで真っ赤に染まった唇、目は座り、ロレツは回らなくなり、ふらついて絡まる足下。話した事はもちろん、どうやって家に帰ってきたのかもわからず、鞄を開けると何故だか大量の豆。きっとあの後も何件かハシゴしてしこたま飲んでしまったのだろうなとすっからかんの財布を見て思い、誰かに迷惑なぞかけていないだろうか?と突然心配になり、罪悪感に打ちひしがれる。胃の気持ち悪さ、吐き気、頭痛、目のチカチカ、手足は浮腫んでしびれるような感覚に見覚えのないいくつもの痣。
自身の服、髪、身体からは煙草と酒と汗とエトセトラエトセトラの入り混じったなんとも言えない厭な匂いに、バリバリのカリカリの髪の毛に、自分なりに美しく化粧をしてたはずだがどうしてこうなったのか落ちてぐずぐずのマスカラによだれと口紅、ジョーカーのような顔。
そんな風に起きた日は何をするにも不自由で、日がな一日病人のように暮らし、夜が来てまた酒場へ出かけ、カウンターの隣り合った人に「そういうときはまず駆け込み一杯をだな」などと諭されて迎え酒。すると本当に元気が良くなってきて、また2杯までのつもりだったのに3杯、4杯、5杯。
だから、どうして、何故、なして人はそないに酒を飲むのか。

私はそんなに酒が飲めぬし、酒が好きという訳ではないのにどういう訳か酒場に行くようになった。
どういう流れだったのかはわからないけど、それはするべくしてなったように思う。
中高の同級生のキムとスズキの影響も多いにあったし、
7年住んでいた阿佐ヶ谷という街がそうさせたのかもしれないし、
ただ寂しかっただけかもしれないが、
とにかく私は酒場へ行くようになった。

薄暗い照明に、
それぞれ店の趣向が分かる内装、
気怠い夜の音楽、
気難しそうな店主、
横目にカウンターで肘をつきながらぼそぼそと酒を飲む人々の背中。
扉を開けカウンターに座り酒を飲んでいるとまるで日常とは違うまた別の世界に身を潜めるようなことができる気がしている。部屋の中では時間の流れがまず違うし(というかほとんどバーでは時間の経過がわからない仕組みになっている)、運がよければ素晴らしい何かに出会う事ができる。それは、とても珍しいお酒だったり、うっとりするような音楽、誰かのありがたい言葉や、新しい視野、最新映画の情報、未来の伴侶だったりする。
と、こんな風に書くと酒場がとても特別に素晴らしい場所のように聞こえるかもしれないが、うむ、確かに酒場は特別で素晴らしい場所ではあるのだけれど、だいたいにおいてとてもくだらなく、会話のほとんどがダーティーであるし、とんでもなく酒癖が悪い奴と遭遇してとても厭な目に会う事もあるし、なにより一番最悪なのが悪い人ではないのはわかっているんだけど会話がひどくつまらない人に散々とつまらない話を聞かされたりすることだ。

酔っ払いが羨ましい、酒がたらふく飲める人らが羨ましいてしょうがないと思った時期があった。
酔っ払い達は確かに迷惑な場合がほとんどだが、はたから幸福のように思える。
人はどんな時に幸福を感じるか?などというムツカシイことを考えてみると、「自分」というものがなくなった瞬間に訪れるのではないかと常日頃から考えており、私からみるとあの酔っ払い達は「自分」というものを意識せずに、記憶という枠に縛られる事なく、好き勝手、振る舞いたい放題の幸福の中にあるように見えるからして羨ましくてしょうがないのだ。実際の所、酔っ払いの本人達がどのような状態であるかは私はわからないので、人間努力すればどうにか形になるので私も酔っ払いになろうと酒をあおったいくつもの夜があったが、どうにもすぐに頭が痛くなるし、一杯飲むごとにテンションが段々と落ち、まったく楽しくなく、ただ吐き気をもよおすだけで、ある日私は悟った。
私は酔っ払いにはなれぬのだと。
酔っ払いの才能がないのだと。

夢やぶれた私には、あんなに努力して飲んでいた酒もただの毒にしか思えず、あんなに憧れていた酔っ払い達には「なぜそんなに飲むのだ?阿呆なのか?」と軽蔑するほどに私はやさぐれてしまい、酒場にも足が遠のいてしまいがちだったが、そんな夜を越え、流れ流され今は酒場で新しい居場所をみつけた。
カウンターの中。
お酒を作り、提供する人である。

時たま酒場のカウンターに入っている。ほんとうに時々。
いろんな人がいろんな理由、経緯でお酒を飲みにくる。
ただ会話を交わさずに隣同士に飲む人もあれば、積極的にいろんな人と話したがる人もいる。
女性客が来るとあからさまに嬉しそうな顔をする助平な人もいる。
突然ワンワンギャンギャン泣き始めて、まわりが心配していると一通り泣き終わってすっきりとした顔で帰る人もいるし、その人が来た途端さっきまで騒がしかった店が一瞬にして静まり返るような緊張感を持った人もいる。

上手く回らない夜のほうが断然に多い。むしろ、反省したり落ち込んだりすることばかりだ。(ご存知の通り、私はコミュニケーション下手でカウンター業務も向いている訳ではないのでしょうがない。私一人の努力ではどうにもできないことでもあるでしょう?)
1人増えたり2人減ったり、また1人増えたりなカウンター。
広がったり、張りつめたり、リズムが変わる空間。
ステージである。
ライブである。
まるで生き物のようである。
それは舞台の登場人物が変わるみたいに
増えたり減ったりを繰り返しながら夜は更けて行く。
上手く回らないくだらない夜の中に素晴らしいひと時がある。
歯車が合うように。
チャンネルが合うように。
ここにいる誰もが楽しそうにしていて、なにもかもが美しい!
う〜〜ん。この素晴らしき世界。
そんな一瞬がある。
その一瞬がたまらなく美しく愛おしく思える。

今日もまた酒場へ向かう。
また夜が来る。

namazu eriko

namazu eriko

1985年、八ヶ岳出身。
神奈川県在住。
絵/テキスト/デザイン
たまに酒場のカウンター

8月は荒木町アートスナック番狂せのグループ展「八月、番狂せ、カレーとTシャツの庭」に参加しています。

Reviewed by
木澤 洋一

namazu erikoさんの連載第5回目。今回は酒場についての、美しいエッセイでした。

まず酒をどのように注文していいか分からない、万が一注文できたとしてもグラスに永遠にお酒は注がれないような気がして、酒場になんて滅多に行かれない自分ですら(自分はウエイトレスもまともに呼べないんだ!でも自分にはすごく満足している)、酒場とは確かにきっとそういう場所だよねえ、なんか最高だなあ、とか共感してしまうような内容でした。

いつも筆者のエッセイに何かしら共感してしまうのだけど、消去法な感想しか言えなくて悲しいけど、文章の中に世間や自分に対して、なにか変な、突飛な態度をとっている様子がこれっぽっちも無くて、だから共感してしまう。

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