日曜日、土砂降りのフジロックが明けて晴天だった。
越後湯沢駅から最終日の苗場へ向かう、軽装の人々を横目に帰路につく。上野で友達と別れ、まだ耳の奥でグルグル回っている昨夜の残響が消えないうちに、昨日一昨日観てきた人達の作品を探しにレコード屋に向かう。
レコード屋に入ると、誰かの対談イベントをやっていた。声の主が誰かはわからない。ヒップホップの話をしていることはわかるけれど、なにぶん疎いもので、陳列棚を漁りながら話を聞き流していた。終わり方、ゲストが自分の新作について語り始めた。「誰にでもあると思うけど、1984年が僕にとって一番好きな年だった」そう聞いてはっとして、心当たりを探した。
特別その年の世間の出来事にワクワクしたり、あの年は色々あったなぁ、なんていう年の数字はすぐには浮かばない。ただそういえば、2007年という年に、音楽を探していると何度も立ち止まる。リアルタイムで聴いたかどうかに関わらず、不思議と好きな作品がたくさんある年だ。
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2007年、高校生の当時、レディオヘッドの“In Rainbows”が、購入者が価格を自由に設定できる形で配信された。それを洋学マニアの担任の英語教師に向かって、友達と一緒に興奮交じりに報告した。自分たちは歴史の証人であるというように。僕たちはやや冷めた先生の反応が不満だった。アメリカ南部のスワンプロック狂いだった先生には、実際のところあまり興味が無かったのだろう。ともかく、高校生のころ、そんなことを一緒に話せる同級生の音楽友達がいた。彼は僕より背が高く、おしゃべりで、数学ができて、人生のプランが明確だった。彼は医者を目指していた。
そのころはまだ国内の音楽雑誌も元気だったけれど、僕たちは飽き足らず、ピッチフォークなんかの海外のレビューメディアを見始めていた。当時の英語力でレビューを読みこなせるはずも無く、点数と順位しか見ていなかったけれど。
ピッチフォークの2007年末の年間ベストアルバムの上位10位の中に、レディオヘッドやM.I.A.やバトルスに混じって、知らないロックバンドの名前があった。年明け、僕はお年玉を握りしめて街中にあったタワーレコードに行って、7位のスプーンの”Ga Ga Ga Ga Ga”を買った。同じく、友達は2位のLCDサウンドシステムの”Sound of Silver”を買っていた。
スプーンの”Ga Ga Ga Ga Ga”は、再生するごとに僕の音楽の趣味を捩じ曲げていった。ここからアメリカのインディロックや、テレヴィジョン、ワイアーみたいなアート・パンク、あるいはクラウトロックとかのよりミニマルな音楽へと足を踏み入れる、その切欠になった。その意味で、確かに僕の趣味にとって2007年は重要な年だったのかもしれない。
スプーンを気に入ったのは友達も同じだった。一方、僕は彼に薦められて借りた”Sound of Silver”の良さがよくわからなかった。「5曲目は良いけど……」ぐらいの曖昧な感想しか言えなかった。数学と同じように、彼にはすぐ解ける問題が自分には解けないようで、悔しかった。
借りてから5年経って、僕は“Sound of Silver”を自分で買い直した。あのころは5曲目の“All My Friends”や4曲目の”Someone Great”を聴きながら色んな人の顔が頭をよぎった。大学を出て就職したり、みんな各々の人生を歩み始めていた、二度と会えなくなった友達もいた。その頃ようやく、みんなそれぞれ自分とは違う人生のレールの上にいて、そのレールの間に隔たりがあることに気付いた。近くにあると思っていたものが、一気に遠くに行ってしまって、自分だけ取り残されたようで寂しさがあった。その寂しさを、真夜中のニューヨークに一人佇んで、想い出を宙に漂わせているような、ジェームス・マーフィーの歌声に重ねていた。
同じ頃、ちょうど高校の同窓会があったはずだけど彼は来なかった。彼の医者になるという計画のために、大事な時期だったらしい。最後に会ったのは僕たちがまだ19歳だった時だから、僕たちはビールの一杯も飲み交わしたことが無い。そのときの出会い頭、彼は率直に言った。
「今は音楽じゃなくてファッションのことばっかり考えてる」
その年に出たスプーンの新譜の話はしたけれど、僕にはもっと、話したい新しい音楽の話があっただろう。でもその潔さは彼らしかったから、僕もそれ以上音楽の話はしなかった。彼はニールバレットの話をしながら、「デーモンアルバーンみたいになりたいんだ」と言っていた。
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今やあの同窓会からも5年が経つ。
僕はフジロックのメインステージの大きなモニターに映る、ゴリラズのデーモン・アルバーンを見ながら、最後に会ったときの彼の言葉を思い出した。あのときは、ブラーのころのデーモンの写真を見せて、お前とはえらい違いじゃないかなんて言ったけれど、後の同窓会のときには例の英語教師が欠席した彼を偲んで「あいつは実はなかなか良か顔立ちばしとったけん、今頃は良か男に」なんて、しみじみ言っていたから、僕の見る目が無かっただけなのかもしれない。モニターの男は無精髭の渋い三白眼の中年だが、彼もいずれあんな風になるのだろうか。まだ10代のときの、うら若い白い肌しか知らないから想像の彼岸だ。もっとも、きっと彼の今の憧れは変わっているだろう。
翌土曜日の晩、雨とぬかるみと、殺到する人波をかき分けてLCDサウンドシステムのステージに向かった。短いアンコールの後、司令塔のジェームス・マーフィーは「次で最後だよ」と言って、部隊に”All My Friends”の合図をかける。
曲の終わり、観衆が一体になって“I wish I could see all my friends tonight”と叫んでいるとき、かつてのように僕の脳裏に誰かの顔が浮かんだわけじゃなかった。今やみんなそれぞれの人生があって、それぞれの都合があって、いきなり飲みに誘っても昔のように期待はできない。まして友達全員を一堂に集めるなんて、結婚式を開いたって実現しないわがままなんだって、5年前は考えもしなかった。今はそのことに慣れてしまって、友達と会えないことに特別寂しさを感じることも無いのだろうか。2007年のあのとき、既に違う人生のレールに載っていた彼ともう8年も会っていていないことも、当たり前のことなのか。
違う。その瞬間に感じていたことは、そういうことじゃない。
ステージで声を張り上げて歌うジェイムス・マーフィーは、今までイヤホンを通して聴いていた、都会の真ん中で一人寂しく老けていく孤独な中年じゃなかった。曲の冒頭、随分気ままに鳴らされているなと思わせたピアノとパーカッションは、ジェームス・マーフィーのボーカルが入ってくると、その力強さに牽引されて、ギターや他の楽器と一緒に肉体的に躍動し始める。パーティーに遅れてやってきた主賓に「お前がいなくちゃ始まらないだろ!」とウザ絡みするような、互いへの年期の入った信頼と干涸びることの無い無邪気な期待。その真ん中で歌う彼の姿は、孤独とはまるで無縁だった。7年越しにこのステージに戻って来て、仲間達とまた新しい音楽を披露する喜び。その喜びが、10年前のこの曲さえも、今この場で生を受けたかのように新鮮にしていた。
どれだけ遠く離れた友達のことを憶って、この曲は作られたのか。どんな彼方にも、その瞬間の喜びを届けようとするように、合唱は大きく山を揺らしていた。