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2F/当番ノート

天測航行術

当番ノート 第34期

運転免許を取って以来、一度も運転していない。

東京に来るまでの人生の中で、熊本の市電以外の電車に乗った回数は片手で数えるほどで、遠出するとなれば足は父の車かバスだった。僕は車社会のただ中で育った。でも東京圏の鉄道生活が長くなると、レールに沿って進んでいる安心感に慣れ切ってしまった。たまに狭い東京の街をぶっ飛ばすタクシーのお世話になることもあるけれど、乗車中も彼らの仲間には絶対になりたくないと思っている。免許合宿では街中の一般道を走ったけど、街中を走る車を見るに、自分があんな生き物を飼いならせるとは信じられない。

でも星空を見に行こうと思ったら、そうはいかないのかも知れない。人里離れた場所に駅があるはず無いのだし。車社会に分け入る必要があるだろう。寧ろ行動範囲の外だったからか、「星空を見に行く」という発想自体を失っていたかもしれない。あるとき、アメリカ大陸横断を控えた友達が運転の練習もかねて、手練の先輩と交代で夜通し運転して美ヶ原高原へ星を見に行って、さらに温泉にも入る、という計画があって、僕は便乗させてもらった。

最後に星空に感動したのはいつだったのだろう。阿蘇の麓のキャンプ場でベンチに寝転びながら、クラスメートとうろ覚えの「天体観測」を歌っていたときだろうか。山鹿の渓谷の河原で、塾の友達と流れ星を探して首を痛めたときだろうか。どちらも中学生のときだ。いや、実家の周りだって湖の畔でそれなりに暗いのだから、高校帰りの自転車から見上げていた冬の夜空も、それなりの星空だったはずだ。

キャンプのおまけでもなく、見に行く星空とはいかなるものか、期待を募らせる。

*

運転手2名の他、後部座席で揺れるだけの人間が3人か4人集まって、夜食と温泉の支度をして、新宿を発つ。何か音楽をかけようということで、たまたま手元にあったCD、その日買ったシーフィールの”Polyfusia”とロスト・ホライズンの”A Flame to the Ground beneath”をかけたのだけど、どちらも運転手には不評だった。(シーフィールは「怖い」「運転していて不安になる」、ロスト・ホライズンは「うるさい」「暑苦しい」とのこと。)どちらもドライブミュージックとして悪くないとは思うのだけど。結局他の人のiPhoneからBluetoothで音楽を流す。

中央道を諏訪インターを下りて、絶景ドライブコースと名高いビーナスラインに入ればそのまま美ヶ原に至る、というのがこの日の計画だった。

カーナビの示すビーナスラインの入り口付近まで来たところ、なかなかそれらしいものがない。のろのろと坂道を登りながら、左手の鬱蒼とした林道の入り口を一度行き過ぎて、カーナビの示す現在地が僕たちを制止させる。車を降りて、その入り口の木陰に潜んでいた趣向の無い看板を確認すると、確かにその道の名前は「ビーナスライン」だった。

さて、引き返してその女神の横たわる丘の袂へ侵入しようとすると、また新たな風情の無い看板が目に入る。申し訳に色々宣っているその看板には「通 行 止 め」の文字が見える。困った。いや、僕たちには、さっきもこの入り口の存在を教えてくれたカーナビがいる。カーナビの設定を変えれば、また新しい道ができる。ほら、この道を行けば辿り着く。そうやってなんとか気を取り直して、暗い山道を登っていくがしかし、先ほどの入り口にももやもやと漂っていた霧が、登るにつれて確実に深く、濃くなっていた。

山の天気は変わりやすいとは言うが、ならばこの霧もそのうち明けるはずだと期待を持ちつつ、トロッコのようにのろのろと山道を進む。霧の奥にぼんやり先行車両の明かりが見える。しかし近づいても逃げていく気配が無い……停まっている。ここで息絶えたのだ。この深い山霧の瘴気に囚われて。すでにハイビームでも20、30メートルしか見通せない霧の中、ぽつりぽつりと路肩で沈黙している車両の姿が見える。なんだか指輪物語の「死者の沼地」のような光景だ。

それでも勇気を出して、恐る恐る山を登る。次第に雨が、風が、窓ガラスを叩き始める。もはや僕たちは霧ではなく、嵐を吹き荒らす雲の中にいた。10メートル先も見通せない一面の灰色。美ヶ原まではまだ遠い。いくら道が分かっていたとしても危険と判断し、午前3時頃立ち往生を余儀なくさせられた。大きく広がった寛容な路肩見つけて車を停める。そこでは先客が3台ほど、既に明かりを落としていた。そこからの見晴らしを、どうぞ車を停めて見て欲しいと言わんばかりに大きく湾曲した路肩だが、ガードレールの外では灰色の化け物がゴウゴウ唸っているばかりだ。

空自体見えない閉ざされた世界。一体何を見に来たのだろう、という疑問は誰も発すること無く、一人、一人と眠りに落ちていった。

みんなが寝静まって、僕はしばらく嵐の音を楽しんで眠りに落ちようとしていた。東京に出てきてからはこんな理不尽な嵐にはお目にかかったことが無い。子供の頃は、道端の色んな邪魔なゴミとか塵とか何もかも吹き飛ばしてくれるあの生暖かい台風の風が好きで、強風域だろうが暴風域だろうが、雨が止んでいたら家を飛び出して浴びていた。そんな当時の興奮を思い出したせいか、なかなか眠れない。

とにかくこの世界から途絶しようと、iPodに入れたまま聴かないでいた作品を聴くことにした。ドイツのプログレッシブ・メタルのベテラン、シージズ・イーヴンの“The Art of the Navigating by the Stars”はしばらく前に500円とかで仕入れた作品だった。タイトルは星を目印にした航海術のことを指しているが、「星つながりだから」と深く考えずに再生ボタンを押して目を閉じる。

冒頭、ギュゥゥウーンという奇妙な機械音に被さって赤子の笑い声が流れてくる。なんとも気難しい幕開けだが、その30秒間のファーストトラックに続けて、今度は重々しく暗鬱なベースラインの船酔いしそうな楽曲が始まる。早くも辟易し、他に聴く作品を探し始めたところで、第一声がその苦渋にスッと間隙を作って入ってくる。
“The view from here, it is so frightening”
思わずにやり、としてしまう。「ここからの眺め」もクソも無いな、と目を開けて窓の外の灰色に目を遣る。

その透き通った歌声が海原をなだめたかのように、楽曲は穏やかさ手に入れて、濁りのない澄み切ったギターの響きを露にし始める。そして一度目のコーラス、歌声が一段と高らかに響き渡る瞬間、嵐から隔てる窓ガラスと顔面の間数十センチの隙間に海原の頭上一面に広がる満天の星空が見えた。

孤独に波を越え、星に導かれる小舟の姿が目に浮かぶ。楽曲の展開はときに難解、複雑だが、何万光年先の星に括り付けた鋼鉄の糸に曵かれているように、遥か彼方を確かに見据えてぶれること無く進む、希望に満ちた旅が描かれている。頭上には雲隠れすること無い、常に満天の星空。はっきりと想像できる。

素晴らしい音楽に出会えた喜びと、星一つ見えない皮肉な状況に顔を歪め、嵐が過ぎるまで何度も繰り返し聴いていた。

*

翌朝、晴れたその路肩からの眺めはやはり美しかった。「この眺めを見れただけでも良かったねえ」なんて互いに言い聞かせながら、踵を返し、車はもと来た道を戻っていく。燦々と陽光に照らされた緑の中を。

みんなの家へ向かう帰りの車の中、PCからBluetoothで一人で夜通し聞いていた音楽を車内に流してみる。
The sky is starless for the ones who have failed
Going nowhere, nowhere to go
Life has no kindness for the ones who have failed
Going somewhere, anywhere but home
Sky without stars
Stars without sky
Sky without stars
Stars without sky…
こんなことを言われていたのだけれど、きっと誰も気にしていなかっただろう。星一つ数えられず、カーナビを信じるしか無かった落伍者達は、しかし各々の家へ帰った。

帰り際、高速道路から遥かに見上げた美ヶ原高原は、見事に朝日に映えて輝いていた。

Kazuki Ueda

Kazuki Ueda

市井の音楽愛好家。
八代生まれ熊本育ち。
母方はメロン、父方はワイン。時々映画、頻繁に美術。

Reviewed by
anouta

嵐の中にいる時というのは大抵の場合、屋内であれ車中であれ窓を閉め切ったところにいるわけです。だから(荒れる屋外と比較して)「静か」であるということが割りと気分としては横溢してくる。「嵐のような音楽」ではなく、「嵐をドアひとつ隔てたような音楽」ーと、そこにまつわる抒情ーというのがこの世には結構あります。

電車の戸袋に寄りかかり、景色を見ながらその景色に流れる音楽というのもあります。ドアひとつ、窓ひとつを隔てることでこそ呼び込める音楽。レコードの溝のある1点と針のように、建物や踏切待ちの人たちと自分は一瞬で離れてゆきます。関係の無い生活、関係の無い風景。電車の中と外とは、決定的に違う時間が流れているようです。

抽象的な話で申し訳ないのですが...車内(車外)や屋内(屋外)に自分がいるということばかりに気をとられすぎると、音楽を多くは聴けないのです。外と内のあいだ、景色と車内のあいだ、レコードの溝のある一点と針のあいだにこそ音楽は鳴る、というか「イイ」と思えるエーテルのようなものが存在するように思う。更に抽象的な話をすると、音楽をイイと思うこと自体が、自分ではないものへと「暗闇への跳躍」をするときの、水先案内のようなものなのではないかと...

むかし「外出した先で音楽を聴くなんておかしい。その場所でリアルに流れる音だけをそこでは耳に入れるべきだ」と主張した友人と口論になったことがあります。彼とは距離ができ会えなくなってしまいました。しかし皮肉なもので、彼と自分との「距離」故にー心が通い合わないという事実故にー思い出を反芻するたび、たいへんに多くの音楽が響くようになったのです。

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