ジ・アパートメンツの”A Life Full of Farewells”。
駄洒落というつもりでも無いけれど、この連載を毎回1つの作品を取り上げる形で書き始めてから、最終回はこの作品にしようと決めていた。
ジ・アパートメンツはピーター・ミルトン・ウォルシュというシンガーソングライターを中心に、オーストラリアのブリスベンで1978年に活動を始めた。ザ・スミスなんかのジャングルポップが全盛の85年にイギリスの名門レーベル・ラフトレードから最初のアルバムを出していて、特に(ディス・モータル・コイルにカヴァーされた)2曲目の”Mr. Somewehre”という曲で界隈のファンには知られているらしい。3枚目にあたる”A Life Full of Farewells”はオーストラリアに戻った後の95年に出されていて、1枚目ともオルタナ寄りの2枚目とも作風が変わって、底無しに優しく、もの悲しいチャンバーポップになっている。ちなみにバンド名の由来は、映画『アパートの鍵貸します』(原題”The Apartment”)だそうだ。
東京にやってきてから、熊本の実家で過ごすのは年に2、3回、盆と正月の少しの間だけになった。毎回、前回帰った後に気に入った作品を、実家の大きなオーディオセットでかけている。「何か音楽でもかけたら?」と父も母も言う割に、かけている音楽について感想をくれることは少ない。これまで評判が良かったのはスフィアン・スティーヴンスとイェンス・レークマンだったから、チャンバーポップなら受けが良いのかと思って、この”A Life Full of Farewells”もかけたのだけど特にコメントは無かった。とは言え毎度、感想を求めているわけでも無いから当然かもしれない。
でも確か、この作品をかけたときは父の定年の年だった。アルバムのいくつかの曲は、仕事を引退したウォルシュの父親に宛てられている。最後の曲”All the time in the world”でウォルシュはこう歌う。
“And now you’ve got
All the time in the world
How are you gonna kill it?
All the time in the world
Your working days are over now”
*
父が定年を迎えようという頃に、父は仕事をやめたら一体何をするんだろうということを兄と話していた。庭造りに凝り始めるのではないかとか、料理を始めるのではないかとか、オーディオの趣味が再燃するんじゃないかとか。しかし今の所、これといった兆候は無い。今年の夏は、兄弟共に忙しくて熊本に戻る時間がなかったけれど、その代わりと言うか、僕のいる東京へは両親の方からやってきた。緻密に作られた来京の行程表を見せられて、「オーディオショップには行かないの?」と聞いたら、「お金が果てしなくかかるから」遠慮しているらしい。
そういえば、両親はこうやって旅行に来ているけれど、僕は熊本にいた時分、修学旅行以外で九州の外に出たことがなかった。そのことを母に言ったら「そんなものよ」と言われた。「そんなものよ」ってなんだろう。定年後の今だからこそ、旅行に行く時間の余裕もできたという意味ではそうなんだろう。方や、僕たち兄弟の時間は仕事に擦り減らされていて、両親と顔を合わせる時間も碌に取れない。一体残りの人生で、家族4人が揃う時間がどれだけあるのかーーなんてことが頭をよぎる中、先日、年内の閉園が決まっている北九州にあるテーマパーク、スペースワールドに友達と強行日程で行ってきた。そこで僕は兄と会った。
幼い頃、家族でスペースワールドに行った。でも当時の僕の体格ではほとんどのアトラクションに乗れなくて、兄がぐるぐる回っているのを母と遠目に眺めていた。僕としては、当時そんなに不平不満を喚いた記憶は無い。多分、大きくなったらまた来るからね、とかごまかされて。でも結局、2度と家族で行くことは無く、どういうわけか留学に行く大学の友達への激励として、数名連れ立って行ったのが2度目だった。今年はその当時の面子でそのお礼参りと、お別れを言いに来たのだった。
「俺はまた、ここに別れを言いに来れるから」
わざわざ弟に会いに来てくれた兄はそう言って、場内には入らなかった。スペースワールドの入り口で兄が話した内容は、僕が初めて聞くことばかりだった。父方の祖父母がどんな家庭に育ち、どうやって出会ったのか、戦後どうしてワインを作っていたのか、それから母方の祖父母はどんな家だったのか……僕は祖父母達とそんな話をしたことが無い。僕は兄よりだいぶ口数が少なかったから、話す機会がなかったのか、それとも一子相伝の秘事だったのか。
「また会おう」
駅で兄とそう言いあって別れた。先だって両親を品川で見送ったときも、同じ挨拶だった。また会う機会があるのはほとんど間違いない。でも、2度と会えなくなった人との最後の挨拶も、これまで同じ挨拶だった。固く再会の約束をしたまま、突然の病に倒れてしまった友達とも、農家を引退してからほどなく入院して、衰弱した状態で会った母方の祖父とも、また会いたいと願うからこそ、その挨拶だった。もし、祖父との別れの日付を知っていたら、僕は寡黙だった祖父から、兄が聞いたような話をなんとか聞き出していただろうか。
「さよなら!」と、もう2度と訪ねることが無いスペースワールドに言う。別れだと知っているから言える。わざわざ東京から会いにもやって来る。でも、願いなどしていない、家族友人恋人との別れがいつ来るのか、彼、彼女らにいつ「さよなら」と言えばいいのかは決してわからない。
*
“all the time in the world”は慣用句で、「有り余るほどの時間」とか、そんな意味らしい。実家でこのCDをかけていたのは、父は仕事をやめてしまうか、再雇用で続けるのかまだ迷っていたときだったかもしれない。結局また再雇用で働いているのだから、有り余るほどに時間があるわけじゃないだろう。何れにしても、あのとき兄弟は、その余裕ある時間の中で、これまで見たことが無いような両親の姿が見られることを期待していて、だんだんとそれは形になってきている。
今の僕の限られた時間で、2人の新しい顔や、言葉を知れるように。取り敢えず冬に帰るときは、僕が流す音楽への感想をちゃんと聞くようにしようと思う。