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2F/当番ノート

躁カレー

当番ノート 第54期

松屋のカレギュウはおいしい。

力強い牛肉の旨みと、それをしかと支える炒め玉ねぎの、濃厚な創業ビーフカレー。日本人の殆どが食べたことがあるだろう看板商品、甘辛い牛めし。つやつやと輝く真っ白なお米を、ストイックな茶色の福神漬けがぎゅっと引き締める。私は、テイクアウト容器からその香りをいっぱいに吸い込んだのち、米とカレー、米と牛肉、米とカレーと牛肉、と一通りの組み合わせを実行し、七味や紅生姜を乗っけたり混ぜたりして、存分に喜びを享受した。食べているそばから、食道や胃、体の内側からじんわりと熱が生じ体をめぐっていく。しかし、どうしても、最後の一口を食べることができなかった。これを食べ終わるということは即ち、目の前にある30人分のカレーの食材の調理を始めることになるからであった。現実逃避の想いが私を包んでいた。

2020年10月某日、友人が開催する個展にて、私はカレーとカフェの営業をすることになった。2日間、2種類盛り合わせのカレープレートと飲み物を提供する。開催の当日は、私のみ深夜に搬入し、仕込みを開始。その際、友人が松屋のカレギュウを差し入れて激励してくれたのである。

カレーを作ることは大好きだ。誰かのためにカレーを作って喜んでもらえたのなら、これ以上の幸福は無い。しかし、それはハイリスク・ハイリターンである。対価を得て食べ物を作る責任は大きい。味はおいしいことが大前提。衛生管理は通常以上に徹底的に。不慣れな場所・大量調理なんて、失敗する可能性の方が高い。(現に、以前間借りカレーをした際に、オープン2時間前にカレー20人前を全てこぼすという失態を経験済みである)

客席を見渡すと、「おいしかったです」とにこにこしてくれるお客さんの姿よりも、「あーあ失敗した」という私の亡霊の方が色濃く存在している。

肩にずっしりとのしかかる途方も無い夜の闇を振り払うべく、アプリで深夜ラジオをつける。リアルタイムの番組は「こんばんは」が「おはようございます」になる瞬間が怖いので、アーカイブ配信だ。私はやっと観念して、1.5キロの玉ねぎを切り始めた。

パーソナリティは相変わらず「こんばんは」と挨拶していたが、気付くと秋晴れの爽やかな光が客席に差し込んでいた。鼻腔にスパイスでなく、すっと金木犀の香る風が入り、肺へ送られていく。通りを歩く人は、這う這うの体の酔っ払いから、眩しい笑顔の家族連れに変わっている。

続々と、アーティストのファンや友人らが、楽しそうな笑顔で来てくれる。対照的に、私は睡眠不足の赤い目とずっしりとしたくま。ぼさぼさの髪にすっぴん。服には全体的に黄色と茶色の飛沫がペイントされている。両骨盤の外側は、何故か木片を擦られているように痛い。

カレーの仕込みは間に合った。しかし、人間はまったく仕込まれていないどころかむしろ元気よくマイナスである。もはや、人間なのかも微妙である。半分カレーで半分人間のカレー人間とした方が適切だろう。カレー人間は、今日は商業カレー人間なので、金銭の授受が発生して、口に入るものに対して、安全性と完成度の妥協は許さない。「一番ベストなカレーを提供すること」にのみ動いていた。いや、動かされていたといった方がいいかもしれない。まるで、生前の恋人への愛を忘れることができずに死してなお執着するゾンビの如し。ここにカレーゾンビの誕生である。

そんなぐにゃぐにゃのカレーなのかゾンビなのか分からない物体が、よりにもよって「グルテンフリーでからだにやさしいカレー」と銘打った料理を運ぶというアイロニカルな空間が出現してしまった。社会風刺型の前衛芸術の展示ではない。

ゲストが、わざわざ「おいしかったです」と声をかけてくれる。普段悶々とひとりカレーを作り食べている私にとって、これ以上はない幸福である。だが、会話は面白いように斜め上にすべり続けていく。大事なものが、指の隙間から零れ落ちていく。

あっという間に営業時間は終了し、疲れた私は、優しい普段のごはんが食べたくなった。普段はだいたい野菜や豆を食べている癖に、試作のため数週間肉のカレーを作り食べ続けていたため、体が常食をほしがったのだと思う。

私は、豆を煮始めていた。スパイスを並べ、味を豊かにする生姜とトマトの仕上げも忘れず用意。ラーエター(ヨーグルトと野菜のサラダ)まで作り、プレートに盛り付け、スタッフと自らの賄いとした。やっぱり豆カレーだな~!どうですか?おいしいですか?とやけに饒舌になり、スタッフに感想を強いる。スタッフは豆カレーを食べながら、私のランナーズハイの様子を訝しげに見ている。

食べ終わると、スタッフである友人は、洗い物を片付けてくれ、翌日の営業のための食材の買い物に同行してくれた。そして、二人で食材を搬入し、友人宅に泊まらせてもらうために会場を後にした。

しかし、身支度を調えるものを持って出たはずだったのに、先程買った歯ブラシが無い。ポケットに入れたはずなんだけどな~!とパーカーのポケットをごそごそする。すると、プラスチックの刃がびよびよ出し入れできるおもちゃのナイフと、差し入れで貰った栗きんとん一個が出てきた。気の抜けた私は、もはやカレーゾンビでなくただのゾンビになっていたのであった。肝心の歯ブラシは、会場の机の上にぽつんと取り残されていた。

友人はそんな私を連れて帰宅し、温かなお風呂と寝床を提供してくれ、「絶対化粧水つけていないでしょう」と私に化粧水を噴霧してくれた。

無事イベントは終了したが、私には大きな反省が残った。これまで、好きなことをするとき、自分で全て責任を負うことを信条としていた。自分のエゴに付き合ってくれるだけで十分だから、自分以外にはできる限り大変なことはやらせたくない。しかし、それは美談でなくただの理想像であり、最終的にはその優しい人の手を煩わせることになる。自らが無理しすぎず適当なところで人に頼ること、不出来を認めることの重要さを思い知った。

自分を評価してくれた人の優しさを忘れないように、自分を手伝おうとしてくれる人々の温かさを尊重できるように。周りに生かされているのだという気持ちを忘れず、丁度よく生きてカレーを作って生きたいものである。

そんなことを思い出し、今日も自宅で豆のカレーを作る。

前日から浸水しないと煮えない豆、1時間以上は煮る豆、30分くらいで煮える豆まで、インド料理では多種の豆が登場する。体調や気分に合わせて、いろんな豆を使う。胃が疲れているときにはあっさりめの豆、来客には贅沢な、うまみが強い豆。時間はとれないがとりあえず栄養を摂取したいときは、豆の粉を炒めてグレイビーを作るという手法すらある。そして、煮えた豆に、スパイスやにんにくや生姜などの香りを移した油をじゃっとかける。トマトや玉ねぎを入れてもいいし、スパイスも好きなものを選んだらいい。

自分の心身と達成したいビジョンを見つめ、無理が無いものを作る。そんなちょうどいい豆カレーを目指す。

でも疲れて自炊する体力も無いとき、願わくば松屋ホールディングスさん、豆のカレーをメニューに入れてください。

たお

たお

カレー、インド料理を作っています。
「なんか好きだけどよくわかんないなー何が正解なんだ?」ともやもやするものに出会うことに大いなる喜びを感じます。
イラストや漫画も描きます。猫が好き。

Reviewed by
虫賀 幹華

「カレー、インド料理を作っている」というたおさんの2ヶ月間の当番ノート、最初の一文は「松屋のカレギュウはおいしい」。インドカレーの話ではなかったのだろうか?と思いながら読んでいくと、カレギュウは友人からの差し入れだったことがわかる。それを食べ終えたたおさんは、深夜から早朝にかけ、イベントのために30人分のカレーを仕込んだのだそうだ。
仕込みで疲れ切ってはいたが、そこはプロである。営業中は「ベストのカレーを提供すること」のみに集中し体が自然と動き、無事に務めを果たすことができたようである。(それを本人はゾンビのようだと表現しているが。)
営業終了後のこと、たおさんはこう感じたそうだ。「優しい普段のごはんが食べたくなった。普段はだいたい野菜や豆を食べている癖に、試作のため数週間肉のカレーを作り食べ続けていたため、体が常食をほしがったのだと思う。」
ここで彼女が自分も含めたスタッフの賄いとして作ったのは、なんと豆カレーであった。
「なんと」という表現は私の感想であり、たおさんにとっては、きっと自然のことなのだろうと思うけれど、「ここでまたカレーか!」とつっこみたくなるのは私だけではないだろう。
そしてイベントを振り返り、たおさんは次のように書く。「周りに生かされているのだという気持ちを忘れず、丁度よく生きてカレーを作って生きたいものである。」やはりカレーである。

料理とはフィールドは全く異なるけれども、私もインドと関わり続けて10年になる。インドに5年住んでいたというと、「いつもカレーなんでしょう?飽きなかった?」と言われたりする。そうではない、のだけれど、うまく切り返すことがこれまでできずにいた。この記事の最後を読んで、豆カレーの奥深さが明確に言語化されている!!と感動すら覚えた。
たかがカレー、されどカレー。
これから2ヶ月間、深遠なるカレーの世界を垣間見せてもらえるのが、とても楽しみだ。

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