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2F/当番ノート

チャパティー戦記

当番ノート 第54期

去年の秋、私はチャパティーを焼いていた。

チャパティー、正式にはチャパーティーと言った方がいいのだろう、それはインドの家庭料理で、無発酵の薄焼きパンである。イメージとしては、トルティーヤやケバブを包んでいる皮に近い。チャパティーは、それらと同じくらいの薄さだが、薄力粉でなく全粒粉を使うため、より素朴な味だ。白米と玄米のような違いである。ダール(豆カレー)やサブジ(野菜等のスパイス炒め)などと共に食べられることが多い。インド人は、円形のチャパティーを右手の三本の指だけで器用にちぎっては、おかずを包み込み、ジャガイモやカリフワーなんかはチャパティーの中で少し潰して、食べやすくして口に運ぶ。流れるような所作で、見ているだけでお腹が空く。

日本では、インドカレーといえばナンを想像する人が多いと思うが、実際北インドで日常的に食べられているのは、圧倒的にチャパティーだ。ナンはタンドールという釜で焼くため、一般家庭では所有することが難しい。それに対し、チャパティーは発酵させないしフライパンで焼けるため、手軽なのだ。インドでは、チャパティーをうまく焼けないとお嫁に行けないなんて言われているくらいの必需品である。また、インド人の主婦は、毎日100枚ものチャパティーを焼くとも言われている。まあ現代の都市部では自作せず専門店などに頼れそうではあるが。

インドに嫁入りする予定は皆無だが、そこまで必要なものならマスターしておこうとふと思い立ち、私は毎日4枚のチャパティーを焼く修行を1か月続けてみたのだった。

ひたすら生地をこね、寝かし、円形にのばし、フライパンで焼く。成功すれば風船のようにぷくっと円形に膨らみ、柔らかで小麦の味が感じられるチャパティーになるが、失敗すれば顎を鍛えるカチカチの無味のせんべいが出来上がってしまう。その合否を決めるのは、感覚。分量の目安はあるが、生地は湿度や室温に合わせて変化するため、適宜調整が必要なのである。パンや点心や麺作りをしている方々はきっとそんなこと当たり前で、もう小麦は友達だと思うが、私はそうではない。小麦が何を考えているのか全く分からない。1日で意気投合して、それからもずっと親友だなんて奇跡は人間関係でも普通起きないので、少しずつ歩み寄っていくことにした。毎日時間を作ることできっと心を開いてくれるはずだ。

飲み会があっても腹八分目に抑え、帰宅して深夜にチャパティーを焼く。朝早起きしてチャパティーを焼く。友人が来ていても「ごめん、ちょっと・・・」と言ってチャパティーを焼く。ハロウィーンには友人が「トリックオアチャパティー」と言ってアポ無しで訪問してくれる。勿論問答無用でチャパティーを出す。(来客には本来、チャパティーでなく、同じ生地を揚げたプーリーを出すべきらしいので、インド人の来客がある方はご注意ください)

同居人は毎日食わされているため、「疲れて帰って来て・・・いつもチャパティー・・・」と食傷気味だった。日本の米文化のもとで育った者だ。そりゃ米が食いたいだろう。しかし、チャパティーを1人前だけ作るのは難しく、2人前くらいが練習としても丁度良い。では冷蔵なり冷凍なりして保存すればいいのではと思うだろうが、私が練習したいチャパティーはシンプルなレシピで、ちょっとのギー(精製したバター)くらいしかつけないので、保存するとせんべいどころか石のように硬くなってしまい、食えたものではなくなってしまうのである。勿論練習と言えど、食べずに捨てることは言語道断。そのため、同居人には協力してもらわざるを得ない状況なのだ。同居人としては、他人が作ってくれるご飯は確かにありがたいが、だからこそ「好きでない」という理由だけでその厚意を断ると、自分がまるで悪者のように感じてしまうだろう。チャパティー・ハラスメントである。

そんな悪行を他人に強いながらも、チャパティーは全然うまく焼けず、いつも少し硬かった。暗礁に乗り上げた気持ちだった。ネットや文献や色んなものを調べ倒したが、基本的に「やってたらできた」という意見ばかりでため息をつく日々。藁をも掴む気持ちで、粉のメーカーと購入する店を変えてみたら、あっけなく成功した。チャパティーを日常的に食べる北インド文化圏色が強い食材屋で買ったのだ。製粉が最近になるほどフレッシュで膨らみやすいという説があるので、きっと商品の入れ替えが頻繁だったのだと思う。「チャパーティー、おいしいよね。がんばってね」と流暢な日本語を操る店員に激励を受けた。

今までの苦労は何だったんだろう、と思うくらいうまく作れるようになった。チャパティーをフライパンにのせて両面を焼いていると、平面だったチャパティーの表面にぽこぽこと気泡が生じ、気泡と気泡がつながって大きな気泡となり、全体に広がる。小さなクッションのような楕円になる。中は水蒸気で満たされ、それが両面の生地を内側から押し出すので、水分量を保った柔らかなチャパティーができるのだ。この頃には、インド人よろしく右手だけでチャパティーを千切るのも習得してきた。千切って、包んで、食べる。そのグルーブ感が体に少し宿ってきたのが嬉しくてたまらない。そして、いつもちょっと硬いものを食わされていた同居人もにっこりだ。家に平和が戻ってきた。全てのことがうまくいった。幸福で脳みそがおかしくなったのだろう、私はきれいに膨らんだチャパティーの写真をドンと中央に添えた、「どこに出しても恥ずかしくない チャパティーTシャツ」をwebで制作した。受注生産のため、未だに日の目を見ていない。脳内麻薬由来の無益な物体がこの世に生を享けなくて本当に良かった。

1ヶ月で、安定して8割くらいの成功率になったため、一旦修行を終えた。今週、あのときのことを思い出し、保管してあった粉を出して久しぶりに焼いてみた。また硬いチャパティーができた。そりゃ前のものだから仕方ないし、今は気温も低いため前のようにはいかない。しかし、もうずっと付き合ってくれた同居人や友人をゲンナリさせるわけにもいかず、加えて先月に私は親知らずを二本抜いたので未だ顎の建付けが悪い。せんべい状の硬い板はあまりにもリスキーだ。残った粉は潔く揚げてプーリーにして、また新たな粉で今度は皆に優しいチャパティーを作っていきたい。素朴で、ふわっとしたチャパティーに包まれて、ほんわかした気持ちになっていこう。

たお

たお

カレー、インド料理を作っています。
「なんか好きだけどよくわかんないなー何が正解なんだ?」ともやもやするものに出会うことに大いなる喜びを感じます。
イラストや漫画も描きます。猫が好き。

Reviewed by
虫賀 幹華

生焼けでなくかつ柔らかいチャパティー(インドで呼んでいたように今後「ローティー」と書くが、ものは同じ)が作れるようになるまでに、私は何か月もかかったと思う。私もインドに嫁入りする予定はなかったし今後もないけれども、インドの田舎町では、ローティーが作れなければ食べるものがなかったので、ローティー作りをマスターすることは私にとって死活問題であった。
北インド人にとって、ローティーはソウルフードであるとも言える。東インドのオリッサ州を旅行したときどこへ行っても米しかなく、あるレストランで半ば頼み込んで作ってもらったローティーが生焼けで、厨房を貸してくれと思ったほどにはうまく作れるようになっていた。
このようにエセ北インド人となっていた私にとって、ローティーの思い出は山ほどある。それを綴ろうとするとレビューの分量を遥かに超えてしまうので、少しだけ。
北インドで4軒の家を移り住んだ私は、それぞれの家庭でローティーをいただいてきた。「生焼けでなくかつ柔らかい」という条件は全てのローティーが満たしていたが、厚さや大きさは作り手によって違い、各家庭の食事はそのローティーの特徴とともに思い出される。
2軒目の家の大家さんが作るローティーは、とっても分厚かった。でも柔らかかった。たまにご飯をいただいていたが、2枚で十分にお腹がふくれた。未亡人の大家さんは、息子と娘と3人暮らしで、とても貧しかった。家にはガスがなく、(あまり大きな声では言えないが盗電して繋いでいた)電気コンロを使っていた。停電すると料理ができなかった。そんな時には彼女は、屋上で、懐中電灯の光のもとで、薪で火をおこしてローティーを作っていた。火で焼かれたローティーは本当においしかったものだ。
今回はたおさんの記事から離れて、自分の話を書いてしまった。レビュアーとしては失格かもしれないが、ローティーがテーマだったから、許してほしい。

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