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2F/当番ノート

広義・カレー・幸せ

当番ノート 第54期

「カレーで世界は幸せになりますか」

先日、カレーを食べ歩く方のYoutubeを観ていたところ、動画内で、視聴者からそんな質問が来ていた。

その方は、はっきりとした口調で答えた。「なります。少なくとも、僕の周りはそうです。」

私は、一瞬、唇を噛みしめて考え込んでしまった。

世界って、幸せって。それは壮大で漠然とした問いだ。しかし、対象が限定されていない問いは、それゆえに、解釈の余地がある。

地球やこの次元、という意味での「世界」だと、そりゃあカレーで各国の諸問題が解決するなんてことは現実的でない。しかし、私が手を伸ばしてコミュニケーションを取れる範囲の「世界」に関していえば、ひとりの人間の心をゆっくりと溶きほぐすような力がカレーにはある。そう私も信じている。

数年前、友人に連れられ、バングラデシュから日本に留学した二人の青年と話す機会があった。

彼らは日本語を目下勉強中で、英語は流暢だが第二言語。対して、私の英語力は壊滅的。ヒアリングも発音も良くなく、だいたい単語を並べることが精一杯だ。コミュニケーションが円滑にとれず、会話のラリーが思うように続かない。

しかし、母国の料理の話になり、私が「ベンガル料理作ったことある。ベグンバジ、ブナキチュリ、ボッタ・・・」と言い出すと、彼らの目はぱあっと輝いた。「ブナキチュリ~~~~~!!」と歓声をあげ、席を立ち上がらん勢いだった。

ブナキチュリは、バングラデシュやインドのベンガル州でよく食べられている、豆と米をスパイスと共に炊いたものである。先日ここで書いたインド全土で食べられるスパイス粥・キチュリーよりも汁気が少ない。

ぎこちなかった場は一気に和み、同士を見つけたような温かな雰囲気に変わった。

その後、他によく食べている料理を語ってもらったり、ベンガル地方での豆やスパイスやらの発音を教えてもらったり、「甘いもの好き?ラスグッラが今度実家から送られてきたらあげるよ」とまで言っていただいた。

気のいい彼らとカレーのおかげで、世界がぐんと近くなったことを感じた。

なお、アテンドしてくれた、カレーマニアではない日本人の友人は、「なんかよくわからんけど盛り上がってよかった」という表情をしていた。置いてけぼりにして申し訳ない。

最近、ベンガル料理を少し作ったときに彼らのことを思い出した。

インドの西ベンガル州からバングラデシュはベンガル地方と呼ばれ、その郷土料理は他の地方とまた異なっている。川魚を多く食べるベンガル地方では、マスタードオイル(マスタードから絞った油。強烈な香りがするが加熱するとコクがでる)やパンチホロン(クミン、ブラッククミン、フェンネル、フェヌグリーク、マスタードシードのミックススパイス)を多用するのが特徴的だ。鯉やイリシュなどの淡水魚をよく用い、米と共に食べる。

マチェルジョルという魚のカレーを作った。近場で淡水魚の入手が難しいため、冬の日本の味覚である鱈とカリフラワーを入れた。ダールを作り、パンチホロンを入れた油で香りを出す。サブジと牡蠣のアチャール(オイルとスパイスの漬物)もベンガルぽい味付け。ささやかなベンガルターリーだ。

フェンネルの爽やかな香りが心地よく、マスタードオイルが魚と調和する。私は北インドや南インドの料理を作ることが多いが、違う地方にはまた驚くような手法と味わいがある。

彼らはもう帰国したのだろうか、それとも日本でがんばっているのだろうか。今の私なら、もうちょっと話ができるのかもしれないけれど。そしてまたベンガル料理の話でもしたいものだ。

インド料理、ベンガル料理、パキスタン料理、スリランカ料理、欧風カレーやルーのカレーも、いろいろなスパイシーで辛味のある料理をまとめて日本人は「カレー」と呼ぶ。

「カレー」という言葉は、漠然としていて、でもとっつきやすくて、平和な言葉だ。

本場をそのまま再現したカレーを食べた時には、その伝統の手法と意義を想う。独自の研鑽のうえに作られた、その店独自のカレーを食べたときは、その方の苦労と情熱を想う。インド料理と中東料理、和食などを融合させたカレーを食べた時は、歴史的にはいろいろあるが市井の人はこうやって仲良くやってるのかもしれないと希望を持つ。

カレーは、いま自分がいる場所から、はるか遠いところにあるものを提示して、何かを考えさせてくれる。

それを稚拙ながらも自分でも実現しようと、私はごく少数の周りの人にカレーを作る。私のカレーを食べている時、ここではないどこかの空気を感じて、ひと呼吸ついてくれたら幸いだと思っている。

この2ヶ月、自分の手に届く範囲の人以外にも、文章を通じて何かが伝わればいいな、とインド料理を作る日々のことを書かせていただいた。日本の生活に於いてまったく不必要なインド料理を、泥臭く必死にやっている奇人の独白になったが、まあそれも事実なので仕方ない。

今これを書いているときだって、途中でふと思い立ってドーサ(南インドの主食のひとつ。米と豆を発酵させたクレープ状のもの)を作り始めた。

半日浸水した米と豆をフードプロセッサーでどろどろにして、さらに半日以上寝かせ、発酵させる。赤道近い南インドでは、常温でぶくぶくと発酵させることができるようだが、いま東京は真冬。ある程度の温度がないと発酵が進まないので、除菌した湯たんぽと共に、保温バッグに放り込んだ。私の小さな南インド温室の完成だ。どきどきしながら完成を待つ。きっと朝にはまた違う風景が広がっているはずだ。

カレー(いろいろスパイス料理)で、どこか(架空かもしれないし地図のどこかかもしれない)を思い、幸せ(人によってその形はそれぞれ)な世界(空間かもしれないし概念かもしれない)の広がりを感じる。あまりにも漠然としていて無責任な文章だが、私はカレーを提示しているだけなので、食べて、あとはぜひ自由にしてみてください。

カレーで、あなたの世界が幸せになりますように。これを読んでくれた全ての人に願う。

たお

たお

カレー、インド料理を作っています。
「なんか好きだけどよくわかんないなー何が正解なんだ?」ともやもやするものに出会うことに大いなる喜びを感じます。
イラストや漫画も描きます。猫が好き。

Reviewed by
虫賀 幹華

まず声を大にして言いたい。私はこの2ヶ月間、たおさんのカレー話にたくさんの幸せをいただいたと。
南アジアのカレー、欧風カレー、中東料理や和食と融合されたカレー・・などスパイス料理を「カレー」と広く定義した上で記述をされていた。たおさんが私にくれたのはその広義のカレーをも越え、食べられるモノですらないのだけれど、紛れもなく、幸福をもたらしてくれるカレーそのものであった。おいしくて、温かくて、懐かしかった。「ブナキチュリ〜〜〜〜!」と歓声をあげたバングラデシュからの留学生たちが自分に重なった。
・・と言いつつ、素敵なものをもらうと、「もっと」と欲しがってしまうのが人間の性である。たおさんのカレーが食べたいです!という公開リクエストをして、レビューを締めることにしたい。

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