人間の本質について
「人は矛盾を愛する存在である」が本質だと仰っていましたね。
「誰かを恨み、憎むことで幸せになれる人が存在し(身近にも)、
平和のために憎しみが、戦争のために愛が語られるのがこの世界なのだと痛感しました」
この熊谷さんの文章、書くだけで哀しみに押しつぶされてしまいそうになります。
この人たちは、本当にそうなのでしょうか。心の底から本当にそれで幸福なのでしょうか。
それは絵を通じて知り合った、ある女の子から届いた手紙だった。
はじめて読んだ時、こころに大きな穴が空いたような気持ちになった。
自分が小学二年生の頃、身近な人が殺される事件が起こった。
明らかな悪意をもった、一人の男による犯行だった。
残された人たちに向けて計画的に行われたものだったと、何年か後に聞かされて知った。
犯行の瞬間に聞こえた痛ましい叫び声も、目の前で血を流して倒れていた姿も
亡くなったことを知らされた瞬間も、葬式のときにかかっていた音楽も
未だに鮮明に覚えている。
それにもかかわらず、恨みのような感情を持つことがほとんどできなかった。
犯行の動機を知った時も、自分の中にあったのは怒りではなく、ある種の無関心さのようなものだった。
事件のショックのせいかもしれないし、その数年後に自分の死生観に大きな影響を与えた
「ある出来事」のせいだったのかもしれない。
それらについて因果関係を探ることで、何か分かることもあったのかもしれない、とも思う。
だけど自分にとって、それらはあまり重要でなかったし、正直いってどうでもよかったのかもしれない。
何よりもまず生きていかなければならないし、目の前の問題と向き合うだけでもう精一杯だった。
事件当時の記憶だけが奇妙に色褪せることのないまま、中学、高校を卒業し、
気がつけば大学生になっていた。
「不必要なものや途方もないものに出会ったとき、人間は、人間という独自な存在となる」
(エリック・ホッファー「波止場日記」より)
人間の本質とは何かということについて考え始めたのは、二十歳の頃に出会ったこの言葉がきっかけだったように思う。
それ以来心に留まった様々な本を読み、これと思える言葉を集めては記憶し、
毎日のようにそれらを頭のなかで思い浮かべては、星座のように結び合せる作業を繰り返した。
そこから自分にとってほんとうだと思える言葉が、現れてくるのをじっと待った。
大学生活の終盤にさしかかる頃、「人は矛盾を愛する存在である」という言葉に行き着いた。
真夏の一人旅の最終日、電車の中で読んでいた本の「矛盾」という文字を見た時、その言葉が頭をよぎった。
アウシュヴィッツ強制収容所で最期を迎えた、あるひとりの女性のことがずっと忘れられずにいた。
この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。なのに、じつに晴れやかだった。
「運命に感謝しています。だって、わたしをこんなひどい目にあわせてくれたんですもの」
彼女はこのとおりに私に言った。
「以前、何不自由なく暮らしていたとき、私はすっかり甘やかされて、
精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした」
その彼女が、最後の数日、内面性をどんどん深めていったのだ。〔…〕
「あの木とよくおしゃべりをするんです」
わたしは当惑した。彼女の言葉をどう解釈したらいいのか、わからなかった。
譫妄(せんもう)状態で、ときどき幻覚におちいるのだろうか。
それでわたしは、木もなにかいうんですか、とたずねた。そうだという。
ではなんと?それにたいして、彼女はこう答えたのだ。
「木はこういうんです。わたしはここにいるよ、わたしは、ここに、いるよ、わたしは命、永遠の命だって……」
(フランクル「夜と霧」より)
どれほど困難な状況に陥ろうとも、人間として生きている限り
最後まで絶対に奪われることのない何かがあるのだということ。
人間の尊厳とは何かということが、その文の中にはっきりと記されているように感じていた。
どんなかたちであれ、矛盾と向き合い、それを乗り越えていこうとする姿にこそ
人間の本質があるのではないのか、と。
それは決して間違った考えではないのかもしれない。
だけど一部の人からすれば、到底受け入れ難く、相容れない考えであることを理解したのは
事件から十五年以上が過ぎたある日、事件の被害者のひとりと話をした時だった。
相手と「そのこと」について話をしたとき、自分は次のように話した。
「憎しみの感情が消えるまでには長い時間がかかるかもしれない。
だけどいつかその恨みが消えてくれることを自分は願っている。
犯人でさえも、本当は、人間としてあることを許されていい存在なのではないか」と。
涙を浮かべながら、相手はこのように答えた。
「有り得ない。
恨みが消えてほしいなんて、願ってほしくもない。
犯人を憎まないというのなら、あんたを許さない」
自分は何も分かってなんかいなかったのだと、この時になってようやく気がついた。
「人は矛盾を愛せません」
冒頭の手紙の続きに、その言葉は書かれていた。
手紙を書いた女の子は、小学二年生だった頃に
一人の男が校舎に入ってきて、何人もの同級生たちを殺されたのだという。
矛盾、それが「人が受け入れることのできないもの、愛せないもの」だとすれば
矛盾を愛そうなどというのは、それ自体がまったくの自己矛盾に陥っている。
人は愛せないものを、愛することはできないのだから。
自分が考えていたことは、それを誰かに強いる限り「強者の倫理」でしかなく、
誰かにとってはまた別の「悪」となりうるのだということに気がついた時、とても悲しくなった。
自分の中に犯人に対する恨みの感情がないことに対して、激しい違和感と嫌悪感を抱いた。
消えてしまいたい、とすら思った。
だけど。
それでも、という感情はどうしても消えなかった。
ほとんど子どもみたいな気持ちで、問いの前にとどまり続ける自分がいた。
そしてそれは今でも、ずっと消えずにいる。
少し前、ある人に「人は矛盾を愛せますか」と聞いたことがある。
その人は愛せると思う、と答えた。
それは大人になるということでもあるのかもしれない、とも。
様々な仕方によって、人はどうしようもないような事柄と「折り合い」をつけることができる。
理由や原因を考えて自分を納得させたり、物語によって意味づけをしたり、
ただ一心に神さまに祈ってみたり。
「矛盾を愛する」ことはできないとしても、「矛盾を思う」ぐらいのことはできるのかもしれない。
ある日、自分の中に突然誰かが語りかけるようにして降りてきた言葉がある。
「明日死んでもいいし、今日死んでもいい、今この瞬間に、消えてなくなってしまったっていい。
でもそれとまったく同じ意味合いにおいて、今を、今日を、明日を生きたいと思うの。わかる?
矛盾してるし、矛盾してないのよ、この世界は」
到底合理的な言葉ではないように思えるにもかかわらず、何故かそれはずっと心に留まり続けた。
矛盾について突き詰めていくと、結局のところ
「人間であることの限界」のようなものにぶつかることになる。
そのとき「矛盾しているけれど、していない」という、一見もっとも意味不明な表現に
とても人間味を感じてしまうことがある。
詩人の長田弘は、最初の詩集「われら新鮮な旅人」のなかで
「希望なく愛することを 無駄なことだと思わない」
と書いていた。25歳のときの詩だった。
その言葉を自分は、どこまで信じてみていいのだろう。
「愛のよわさ」ということについて、ここ最近ずっと考え続けている。
それは決して勝ち誇ったような態度で語れるものではなく、
いつだってどこか頼りなく、弱々しいものだと思う。
愛は強いもの、限りないものであると
何も疑うことなく、そのようにどこかで決めつけていた自分がいる。
だけど思う、もし「愛のよわさ」によって人が救われることがあるのだとしたら、と。
限りなく大きなものではなく、むしろ限りなく小さなもの、ほとんど僅かな力で世界にとどまる
「宙吊りの存在」のようなものに心を深く打たれるのは、一体どうしてなんだろう?
そのようなものをじっと見つめ、ふるえているのは
愛や正義について、声高に語る大人たちではなく
たとえ世界の理不尽や不条理に曝され、根絶やしにされようとも
最後の最後まで残り続ける、心の中で不滅の子どもなのかもしれない、と思う。
消失点、その儚い一点のぬくもりのように。
宮崎駿が言っていた。
「子どもは挫折していく、希望の魂なんだ」と。
うまく言えないけれど、その言葉に初めてふれたとき
全身を鳥肌が駆け巡り、どうしようもなく泣きたくなった。
そしてその言葉を一生忘れない、と思った。
いつ、どんな時にでも最初の一歩を踏み出すための
小さな灯火のようにして、ひそかにその言葉を胸のうちにしまっている。
勇気である前の希望、希望である前の思いのようなものを
決して見失わないように。
今のところ、自分に言えるのはそのくらいしかない。