十一歳の頃、「永遠」に襲われた。
最初のきっかけは音楽の授業で習った、リコーダーのためのある練習曲だったと思う。
遠いどこかの牧歌的な夕暮れの風景を連想させる、どこか物悲しい曲だった。
曲名は忘れてしまったけど、その旋律だけがずっと頭を離れずに残っている。
当時考えていたことと、その曲から思い浮かべたイメージとが分かち難く結びついたとき、
その隙間を通りぬけて「永遠」は入り込んできた。
十代前半の頃、ずっとこんなことを考えていた。
どうして人間としてこの世に生まれてきたんだろう?
どうしてこの時代に生まれてきたんだろう?
死んだらどうなるのだろう?
もし輪廻転生のようなものが本当にあるのだとすれば、
何度でもまた生まれ変わるのかもしれない。
だけどそれで、一体自分はどうなるのだろう?
永い時間の果てに、神の国、あるいは極楽浄土のような場所に辿り着く。
そこでは一切苦しみがない。永遠に幸せでいられる。
救われた。大丈夫。もう何も心配いらない。
めでたしめでたし。
だけどそのあと、一体自分はどうなるのだろう?
すべてはこの先一体どうなるのだろう?
なぜ何もないのではなく、何かがあるのだろう?
すべては、宇宙の外にある一切をも含めた
ほんとうの「すべて」は、一体どうなるのだろう?
すべてはどうなるのだろう?
すべてはどうなるのだろう?
すべてはどうなるのだろう?
すべてはどうなるのだろう?
すべてはどうなるのだろう?
すべては……
死の遥か先、言葉では到底言い表せないような「途方もない時間の厚み」のようなものを強く感じた時
「結局ぜんぶどうなるの?」という問いがあまりにも意味不明すぎて、一種のパニック状態のようなものに陥った。
発作的に過呼吸のようになり、時には意味もなく叫んだり暴れたりもした。
恐怖がおさまると、後には無力感のようなものだけが残り、
生きる意味のようなものは、何もかも根絶やしにされてしまったような感じがした。
自分はその一連の出来事を「永遠」に襲われた、というふうに呼んでいる。
十代前半の頃、ほぼ毎日のようにそれに襲われていた。
それはほとんどの場合、ひとりでいる時に起こった。
孤独感のようなものが勝手にどんどん募っていき、永遠に自分だけが
ひとりぼっちなのかもしれない、とさえ思っていた。
自分が自分であることは、死ぬことよりも何よりも怖かった。
誰にも言えなかった。誰にもわかってもらえないと勝手に思い込んでいたし、
家族や双子の兄に対してでさえも、そのことについてうまく話すことができなかった。
死や永遠、そのような類の問題は「笑えてしまうほどこっけい」なものだから
日々のことにあくせくしているうちに、気がつけばうまく忘れてしまうことができる。
だけど自分の場合、そのことをこじらせて随分多くの時間を費やしてしまったような気がする。
大学でお世話になった先生から、
「お前は人生の半分近くを無駄なことのためにエネルギーを注いでいるように見える」
と言われたことがあった。
それはもしかしたら、そのようなことを指していたのかもしれないと思う。
ひとりで悩みつくした結果、十五歳ぐらいの時に次のようなことを考えた。
とてつもなく大きな物語の中に、いま自分は存在している。
いま生きている世界で出会うすべての人や生き物は、自分が過去か未来に経験した
自分の生れ変わりのような存在だ。
家族も、友達も、学校の先生も、歴史上の人物も、
実家で飼っている犬も、電線にとまる鳥たちも、今日食べた魚も、
机も、ぞうきんも、部屋の隅にたまるほこりも、砂粒も、
身近な人を殺した犯人も。
今自分が生きているひとつの生、ひとつの物語が終わると、何か別なものに移り、
また次の物語がはじまる。そしてすべての存在の物語を、順番にひとつひとつ巡っていく。
気の遠くなるような時間がかかるけれど、どれひとつとして通らないものはない。
関係のないものは一切ない。
すべては自分であり、自分ではない。
それは結局、自己を拡張した「きわめておおきな個」という意味では
孤独であることに変わりないのかもしれない。
だけどそのようなことを信じてみることで、不思議と気持ちが楽になった。
すべての終わりに何がどうなるのかはわからないけれど、
「果て」のようなものはあるのかもしれないと、とりあえず信じることにした。
それで一旦、問題はひとつの方向に収束したように思えた。
そしてそれ以降、「永遠」に襲われる頻度も徐々に少なくなっていった。
だけど今でも時々、何の前触れもなく「永遠」に襲われることがある。
まるで誰かから何かを忘れるな、と言われているかのように。
浪人生の頃、画塾の先生にそのことについて話した時
「そんなものはお前の脳が勝手に作り出した、被害妄想のようなものに過ぎない」と言われた。
先生は中学生の頃には哲学者カントの「純粋理性批判」を読んでいたような人で、
「死について入念に調べ、考えぬいた訳でもないのに惑わされるな」と一蹴された。
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」ということは
哲学の分野において、もっとも究極の問いのひとつであると言われているらしい。
事実、歴史上のさまざまな人物がこの問題と向き合い、数多くの答えを残してきた。
それらについて徹底的に考え抜くことで、何か分かることもあるのかもしれない。
だけど自分は賢い人間ではなかったし、そのような思考に熱中することも出来なかった。
自分にはなにか別のアプローチが必要なのかもしれない、そのように感じ始めていた。
何よりも心に残っていたのは、永遠に襲われた時の、あの奇妙なまでの「実感」だった。
それは「どうしようもないもの、救いようのないもの」でありながら、
逆説的にきわめて重要なものがこの世にあると教えてくれる、何らかのおもかげのようにも思えた。
「永遠」に襲われた、この生において一体自分には何ができるのだろう。
問題の中心は、そのように移行していった。
二十二歳のとき、ユーリ・ノルシュテインの「話の話」という映像作品と出会った。
最初観た時、とんでもないものを見てしまった、と思った。
いままでに自分が見てきたどんな作品とも決定的に違う作品。
美しさである以前にまぶしく、中心を深くつらぬくような何か。
作品についての文献をあつめながら、幾度となく繰り返し鑑賞した。
雨の森の中しずくを滴らせて光る、大きな青リンゴの描写から映像ははじまる。
狼の仔がロシアで最も古い子守唄を口ずさんでいる。
母親の腕に抱かれて大きな乳を吸う赤ん坊、そのまどろんだ瞳。
誰もいない古い木造アパート、その扉がまばゆくかがようと
白い光が画面をすべて充し、彼岸のような世界へといざなわれていく…。
白い光をそのまま基調にしたかのような静謐な世界は「永遠」と題された場面であり、
原初的な暮しの営みが描かれている。
縄跳びで遊ぶ少女と雄牛。
霊感の降りてこない詩人、白紙を取り上げてそれをいさめる猫。
洗濯をする母親、乳母車の中の赤ちゃん、大きな魚を持ってやって来た漁師の父。
バッハの平均律のプレリュードにあわせて、場面は粛々とすすんでいく。
高畑勲はこの一連の場面を「くらしの原像」または「くらしの本原」というふうに呼んでいる。
映像の後半、ひとりの旅人がこの暮しを訪れる場面がある。
人々はほとんどシルエットの様でしかなく、彼らの僅かな動きのなかに
食卓の風景へと旅人が誘われてゆく一連の流れが、きわめて丹念に描かれている。
ただあることの限りない美しさ。
そのイメージは、自分にとって永遠に襲われるきっかけだった、あの夕暮れの風景と
どこかで結ばれているような気がした。
日常のなかにある永遠性。
それを求めた先にあるのは、一体何だというのだろう?
「白い鹿」、世界に百五十部だけ存在するという非常に大型の版画集。
二年前の秋、手に取りやすい形で再版された本と出会い、その存在を知った。
隅々まで生命力に満ち溢れた版画と、理解の範疇を越えたところから
降りてきたかのようなことばに、文字通り「畏敬の念に打たれた」。
ことばを著したのはカトリックの司祭である押田成人という人物であり、
かつて彼は信仰と生活を結ぶための場として、信濃に「高森草庵」という場所を拓いた。
十年以上前に彼が亡くなった今も、その場所には年老いたシスターが
たった一人で暮らしているという。
僅かな情報のみを頼りに、去年の夏にその地を訪れた。
茅葺屋根の家が幾つか立ち並ぶ小集落の様な場所は、まるでちいさな桃源郷のようだった。
朝の六時前に到着してしまったもかかわらず、出迎えてくれたシスターの女性は
今からお祈りの時間ですよ、よかったらどうですか、と親しげに声をかけてくださった。
お手伝いで時折この場所を訪ねるというその方は、偶然にも自分と苗字が一緒だった。
ひとりの年老いたシスターが、御聖堂の中で待ってくれていた。
クシャッとした笑顔が素敵な、背の低い小さなおばあちゃんだった。
僅かな蝋燭の灯りと共に、その人が聖書を読み上げたとき、
喩えようのない感覚が全身を襲った。
まるでこの世のものとは思えないほどの、凄みを感じさせる聲(こえ)が
人間のなしうる祈りの姿のひとつの到達点を、無宗教である自分にもはっきりと感じさせた。
それは紛れもなく、彼女の生において感じられた
「永遠」の別なあらわれだったのだと思う。
高森草庵の忘れられない食事。
早朝一時間の、お祈りの後の。
瑞々しい野菜、手作りの味噌。
味じゃなかった。身体が喜ぶかどうか、だった。
どれほど文明が発展しようとも、暮しが美しいというのが
人間の最終的な到達点なのではないか。
そしてその暮しを真に実現できるのは、自分たちの存在の始まりであるこの場所、
地球でしかないのだと思う。
人工知能が人間よりすぐれた芸術性を発揮する時が来ても、
完全な仮想世界のなかで永遠に幸せになれる時が来ても、
自分たちの根源が何処にあったかということは、
絶対に変わらない。
例え死んでこの世からいなくなろうとも、ここに存在したという事実だけは
絶対に取り消すことが出来ないのと、同じように。
「話の話」を製作するために作られた、アニメーション映画のための提案書は
ほとんど詩のようにして書かれている。
その最後の一節は、きわめて平易な表現であるにもかかわらず
人間の運命において、もっとも切実であるような何かを端的に示しているように思えてならない。
次のように書かれている。
「私たちは、幸せとは何かを、永遠に記憶しなければならないのです。
それは平和な日が、毎日続くことです。毎日です」