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2F/当番ノート

あの雪の日、私はどこにいたんだっけ

当番ノート 第37期

久しぶりの東京の雪の日

その日は夕方から少し用事があって、夜家に帰ってくると、それから特にすることもなくて、だけれどなんだか気持ちが落ち着かなくって、眠れなかった。
そり滑りがしたいな、ちょうど良さそうな坂、近くにあるな、あーっ、この間段ボール捨てちゃったやー、と半分本気で後悔なんかしたりしていた。でも、ほんとはそり滑りする勇気、持っていなくて、それが悔しい。
でも、雪がある。早くしないと、雪が溶けちゃう。
そわそわして、寝ちゃいけないような気がして、時々、結露した窓から積もった雪を眺めたりして、朝方までぼんやりと起きていた。こういう時、こういう、そわそわしちゃって居所がない時、誰かが一緒にいてくれたら嬉しい。雪に光が跳ね返されて、不思議に明るい夜が好きだ。

自然と、頭の中は子どもの頃の雪の日のこととか、高校の時のあの大雪の日のこととか、前の東京の大雪の日のこととか、あの頃の自分のいた場所なんかを、行ったり来たりしていた。あの雪の日は、私は何をして、誰といて、何を感じていたんだっけ。雪がクッションになって、いつもより、リアルに思い出せるような気がする。
こんな風に、今日は、みんながそれぞれの雪の日を思い出してるんだろうな。人たちの思考が時空を飛び交っていることを想像する。なんでもない話でいいから、誰かの、あの雪の日のことを、聞いてみたいと思った。

4年前、東京で大雪が降ったあの頃、私はまだ大学生で、それで、神田川の近くの家を借りて、友達と暮らしていた。築35年の、冬はとんでもなく冷える家で、和室の炬燵に足を突っ込んでは、やたらと寝落ちしていたっけ。
女3人で暮らしていたけれどそれぞれ色が違っていて、そういえば、泣き方が3人それぞれだったのが、面白かった。
急に、うえーん!と元気に泣くひと。
溜め込んで溢れて、うぅぅ、と静かに泣くひと。
外に出てこっそり、1人で泣くひと。

泣くのにも個性がでるんだ。人のことを知って、自分のことも知った日々。
あの頃は他にも近くにたくさんの友達が住んでいて、支えられたり守られたりして、大家族で暮らしているみたいだった。
それぞれの人生の数年間を持ち寄って一緒に過ごしたこと。東京にも、故郷のように過ごした場所があることは、今でも私を安心させてくれる。
それでも、楽しくてもモヤモヤと煮え切らなくて、どこへ向かえばいいのか、分からなかった、あの頃の感覚に触れると、すこし心臓がドキドキとする。

今住んでいる、一人暮らしのアパートからは、可愛い緑色の屋根のちいさな教会が見える。
時が経って、私のいる環境は大きく変わった。新しく出会った人たちがわんさかいて、今、その人たちの存在は、とても大きい。あの頃は、いなかったのにな。変なの。
時が流れた。あの頃は、じいちゃんがいた。
時が、流れる。出会いだけなら、いいんだけどな。
今、のことが気に入らないわけでは決してないけれど、
それでも、時が経つことは、どうしたって、絶対的に、悲しい。何かが終わって、消えることへの恐怖は、消すことができない。
人はそのために新しい家族を作るのだろうか。悲しさに負けない、絶対的に嬉しい出会い。終わりに向かうものよりも、始まって成長していくものを見ること。
それは、人をものすごく強くするのかもしれない。
時が経つのを肯定することは、生きるのを肯定することと繋がっているような気がする。

いつかそんな強さを持ちたいけれど、今はちょっとまだ、無理そうだ。

かつていた場所、今いる場所、これから向かう場所。
私は、どこで何とさよならして、どこで何と出会うんだろうか。
そんなことに思いを巡らせた、雪の日。

今度雪が降った時には、できれば炬燵で、誰かと一緒に話がしたい。それで朝になったら段ボールでそりを作って、ちょうどいい坂を見つけて、あそぼう。

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鈴木 睦海

鈴木 睦海

1988年に、福島県白河市で生まれ、育ちました 今は東京で、役者というものをやっています

Reviewed by
猫田 耳子

東京に大雪が降った日、あなたはどこで何をしていましたか?
それだけで会話が生まれ、それぞれの物語が語られるのがなんだかふしぎ。

10年前はじめて東京で大雪を体験した日、思わず深夜にアパートを飛び出してカメラで雪の夜道を撮り歩いた。
5年前の大雪の日、歩道橋からすっ転んで大泣きしながら家に帰り着いたのは今では笑い話。
今年の大雪の日、電車が動かなくなったのでいつもより長い道を歩きながら自分の呼吸の音を聴いた。

空からそっと栞をかけるように雪が降る。なんてことない東京の冬の日が何年も忘れられない一日になるように。

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