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2F/当番ノート

青春の出会い

当番ノート 第37期

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(品川の好きな景色 たまに行ってぼーっとします)

皆さんは’青春’と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
それは、景色かもしれないし、音楽かもしれないし、部活動かもしれないし、誰かとの出会いかもしれない。
いやいや、齢五十を超え今まさに青春!答えはまだ先だ!なんて場合もあるだろう。

私が今手にした青春は、18歳から20歳の間の2年間であった。

———-

第2稿で、「出会いには’色’や’形’があると思う」と書いた。
私は、今まで書いてきた出会いを経て’色’や’形’をもらったが、’その色や形をどうするか’については、
私・彼・彼女それぞれ次第だと思う。

だが、出会いの中には稀に、’色’や’形’をもらうだけに留まらず、自分の根本的な部分から塗ってくれるようなものがある。
きっとその人たちに塗る意思、塗られる意思が無くとも、塗り塗られる関係は発生してしまうことがあるのだ。

感性に富んだ友人の言葉を借りるならば、「星が近い」ということなのだと思う。

私にとってそんな出会いは、高校生のまさに’青春’期に訪れた。
その人は、古着屋店長のさとしさんであった。

本稿ではさとしさんとの出会いと青春期の日々を。
次稿では、再会について書く予定だ。

———

高校二年生の春ごろ、洋服が大好きな私は、駅ビルだけでは飽き足らず、路面店を探しては片っ端から入っていた。
散策の途中で、一件の古着屋を見つけることができた。
それまで古着自体に興味が少なかった私でも、その店の古着がとてもかっこよく見えたのを覚えている。
今思えば、かっこよく見えたのは、店長であるさとしさんとの会話があったからだと、はっきり分かる。
買うことを強制せず、似合ってなかったら似合ってないとはっきりと言ってくれる態度と平等な優しさに、心惹かれていた。

高校3年生になり、常連のごとく通うようになると、さとしさんに身の丈話をするようになった。
ここでも私は俄然悩んでおり、私の拙い話に対し、さとしさんはいつでもその耳を傾けてくれた。

二つ、さとしさんと私の間で印象的な話がある。

一つ

ある休日、いつものように古着屋に立ち寄った時、さとしさんが「待ってたよー」と言った。
待たれる理由を探しても見つからなかった私は、「何かありましたっけ」と間抜けに応えたはずだ。
「これをぜひ読んでほしいと思って」とプレゼントされたのが、高橋歩著『人生の地図』であった。
様々な写真と共に、人生とは何か、生きるとは何か、愛とは何か、の問いとある答えを繰り返す本に、
私はこれでもかというくらいに、頭と心へ刺激をもらった。
また、ただの高校生である私を思って本をプレゼントされた事実が、想いが嬉しくて、
その本から何かを得たくて、必死に読み耽った。

本をもらった経験と、その本から得た情報は確実に私の中で生きている。
おかげで、10年後の現在でも、たくさんのことを悩んでいられる頭に育ったと思っている。
(これはこれで大変でもあるのだけれど。)

もう一つ

さとしさんは、いつも私が来店するたびに、瞬間目を合わせてきた。
そして、私の調子を言い当てるのだ。
「お、調子良さそうだね」だったり、「あれ、ダメそうだねこみちゃん」と言われてしまうのだ。
そして、それがもう驚くほど当たっていて、さらに言えば前が見えなくなっている時などは、
さとしさんのその言葉が、後から「確かに」となるケースもあったくらいだ。

自分が何をどう考えて生きているか。
どのような態度で、姿勢で、日々歩いているのか、ということを考えさせられた。
心で起こっていることは、絶対に表に出てくる。
意識している・していないに関わらずである。
さとしさんには、いつも見抜かれていたと思う。

人としてさとしさんに惹かれていく中で、「さとしさんと一緒に働きたい!」と思うのは必然であった。
高校卒業後には、すぐにさとしさんの下で働き始めた。

さとしさんは、毎晩のように、お酒もないのに店を閉めた後に終電まで語り合ってくれた。
(今思えば、どんだけ優しい行動だったことか!)
仕事の話、古着の話、人生の話、恋愛の話・・・
学んだものは計り知れず、とてもじゃないが語り尽くせない。
接客を通した人と人との関わり方や、仕事のやり方の根底を学んだのは、間違いなくあの古着屋だっただろう。

私はそのまま古着にどっぷりつかっていって、アメリカと行き来するディーラーになろう、とまで考えていた。
その時は、ヴィンテージのコンバースを探しに県外に足を運び、レーヨンシャツを調べてるだけで、
夜を明かしてしまうこともあるくらいに、私は古着にハマっていた。

しかし、私には幸いなことに、大学進学という道も残されていた。
でも、大学に行く意味なんて分かっていなかった。
何があるのかわかってなかったし、期待もしていなかった。

そんな想いを、営業終了後の明かりが消えた店舗で、さとしさんと話していた時である。

「ウチで働きたいって言ってくれるのは嬉しいけど、それじゃこみちゃんがもったいないよ。
 今18歳だよね。その時期って’ゴールデンタイム’だと思うんだよ。
 本当に心が柔らかくて、何でも吸収できるから、色んな景色を見た方がいいと思う。
 大学へ行く意味なんて考えなくていいんだよ。大学へ行くための勉強だけで時間使わなくたっていいんだよ。
 何をするにも、今のその時期は、’その足で歩いて、景色を見ながら進んでほしい’なと思うよ。」

この言葉。
この言葉が私の中で強く響き、今でも大切にしている言葉だ。
おかげで私は、宅浪する中で、勉強に没頭したかと思えば、突然髪を染め上げて音楽スタジオに入ったり、
真っ暗な部屋でアニメと映画だけを見続けたり、小説を書くことに没頭したり、知らない人に話しかけたり、
色んなことをして、ゴールデンタイムを満喫しまくった。

その間もさとしさんとは会っていたが、いつも不可思議な目線と共に、「面白いねー」と言われていた。
それが、揶揄を含んでいたとしても、なんというか、嬉しかったのも覚えている。

そんな感じで迎えた大学受験結果も満足の行くものとなり、私のゴールデンタイムは一度終わった。

私のとっての青春はいつ思い返しても、あの時間たちである。

———

以来、大学時代には何かさとしさんに会いに行き、飲み明かしたりしていたが、
私が新卒で入社し辞めてしまってからは、さとしさんに会えないでいた。

実にその期間は4年弱になる。

はっきり言って、私は怖いのだ。
人生で一番輝いていたのはいつだ、と聞かれると、「今です!」と応えられない私が居るから。
いつだって輝いていたなと思い浮かべるのは、さとしさんと居たゴールデンタイムの中にあったから。
そして、今そう思ってしまう私を、さとしさんはきっと気付いてしまうから。

自分の大切な部分が無くなってしまってないだろうか、とか、
大事なものを大事にしようとすることができなくなっていないか、とか。
そういったことに対して、色んなことで忙殺される日々の中で、自分は、
正しく在ることが出来ていないんじゃないかと、思ってしまっているのだ。

しかし、そういった私のあれこれを飲み込んで、認めて、許して、分かっているところは心だけでも正して。
私はさとしさんに連絡をした。

次稿は、2月末にあった再会について寄稿します。

小峰 隆寛

小峰 隆寛

IT企業に勤めるサラリーマン。
冬と古着とお酒と物語が好き。
毎日を即興性のある日々にすることと、「できないことをできるようになる」ことを大事にして生きている。

Reviewed by
辺川 銀

たとえば古いアルバムを捲れば、そこに収められた自分の顔、今とずいぶん違うことに驚く。
月日を経て変わらないひとはいない。

「あの頃の自分を知る人は、今の僕を見て何を思うだろう?」

その怖さは、当時の思い出が美しいものであるほど、きっと大きくなる。
逡巡を乗り越えて再会を果たした、その先には、何が待つのだろうか。

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