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2F/当番ノート

呪いをかけられた母子:おおぐま座とこぐま座

当番ノート 第38期

第2回は春の星座の代表格、北斗七星と北極星でも有名な母子熊の星座から。

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狩りの女神アルテミスには、森のニンフ(精霊)でカリストという侍女がいました。アルテミスは処女神でもあるため、侍女のカリストも男性には見向きもせずにいました。しかし、そのカリストはとても美しかったため、神々の王であるゼウスが恋をしました。ゼウスはなんとかしてカリストを手に入れようと、アルテミスに姿を変えて彼女に近づきました。彼女は途中から気付いたものの抵抗むなしく、ゼウスの子どもをお腹に宿してしまいました。
カリストはゼウスとのことを誰にも話せず何ヶ月か過ごしましたが、アルテミスは様子がおかしいことに気付きました。ゼウスの子を妊娠したことを知って激しく怒りましたが、それ以上に怒ったのがゼウスの妃であるヘラでした。嫉妬に狂ったヘラはカリストに呪いをかけ、みにくい熊の姿に変えてしまいました。
カリストは息子アルカスを産み落としましたが、自らの運命を嘆き悲しみ、森の奥深くに姿を隠して過ごしていました。アルカスは親切なニンフに拾われてすくすくと育ち、立派な狩人に成長しました。ある日、狩りをしていたアルカスは友人とはぐれてしまい、深い森の中に迷い込んでしまいました。すると、暗い茂みの中から大きな熊が現れました。その熊はカリストの変わり果てた姿でした。カリストはすぐ、その狩人がアルカスだと気付き、愛おしさのあまり息子を抱きしめようと近づきました。しかし、アルカスは自分の母親が熊であるなど知るよしもありません。アルカスは驚いて弓に矢をつがえ、その矢を目の前の大きな熊に放とうとしました。
空からその様子を見ていましたゼウスは、息子に母親を殺させるのはあまりにむごすぎると思いました。そこで、アルカスも熊の姿に変え、母子ともども星座にして空にあげました。しかし、それを知ったヘラは腹の虫が収まりません。海の神に「どうかあの母子だけは海の下に入って、休息をとることができないように」と頼み、母子の星座は北の空にいつも輝くようになりました。
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前回に引き続きアルテミス関係の話になってしまったが、今回はアルテミスの侍女カリストが神々に振り回される悲しいお話。ゼウスは神々の住むオリンポスの王なのだが、本当に気が多くて綺麗な女性に目がなく、毎度神としての絶大な力を使って自分のものにしてしまう。それも、最後まで責任とってくれればいいものの、大体は関係を結んでそれでおしまい。そして嫉妬深くて有名なゼウスの妻、ヘラの怒りを買ってしまい、女性側の身に不幸が降りかかる。この流れはギリシャ神話ではおなじみのパターンで、なんとも理不尽だなといつも思う。

本来、神のような全体を見渡せる立場の存在が、弱い者の理不尽な苦しみや謂われのない被害を解消したりしてくれるものと思うし、そうであってほしいと願うのだが、ギリシャ神話ではだいたいその前提が成立しない。とりわけゼウスは神々をまとめる王なのだし、他の神たちの行いも裁いてもいいあるはずなのに、今回も事件の発端はゼウスの下心なのだから、もうどうしようもない。あるいは、ゼウスの絶対的な力を使ってヘラの嫉妬によるカリストへの呪いを解いてあげればいいのに、そうすることもなく、アルカスとの事件が起こるまでヘラの仕打ちを黙認している。少しだけゼウスを擁護すると、いくら全能のゼウスであっても妻ヘラだけにはどうしても逆らえなくて、神の王とはいえ妻の前では尻にひかれてしまっているということかもしれないが。それにしても、と思う。

さらにいえば、ヘラも女神なのだから弱い立場のニンフ相手にそんなに怒らず少し寛大になったらどうか、あるいは怒りの矛先を夫に向けたらどうかと思うのだが、ヘラの場合、相手女性が嫉妬のターゲットとなる。確かに夫に不倫された妻が、自分の夫以上に相手女性に激しく怒るというのはよく聞く話ではある。ヘラからすると、「きっとカリストがうちの夫に色目使ったのだろうし、嫌なら抵抗すればいいのに実際受け入れたのだ」ということだろう。カリストは紛れもなく被害者なのだが、閉じられた関係の中で諍いを解決しようとすると、声が大きかったり、感情の熱量のある意見にどうしても引きずられがちだ。今回も客観的な目が少しでも入っていれば、呪いなんてあまりに理不尽な仕打ちは避けられそうなものだが、カリストは弁解の余地も全くないまま呪いをかけられてしまうし、誰も彼女をかばうものがいなかったのも不幸としか言いようがない。

カリストはただただ美しかったためにゼウスに目をつけられ、結果みにくい熊の姿に変えられてしまった。自分でその運命を変えることができず、ただ嘆くしかできない無力さは、耐え難いものだろう。現代の日々の生活で呪いをかけられるようなことは勿論ないけれども、ニュースを眺めると残酷な事件や事故が毎日のように起きていて、昨日まで笑っていた人が一瞬のうちに悲しみの奈落の底に落とされるということが確実に起きている。それでもそれは低い確率であるからと、実際に自分の身に降りかかるまでそんなニュースも他人事であって、誰も心の準備なんてできていないのではないだろうか。ある日突然どうにもしがたい悲劇に襲われたとき、「これが運命」と思える強さを自分が持っているかというと全く自信がない。

熊になったカリストは、偶然にも立派に成長した息子と再会することができた。日々過酷な運命と向き合う中、どんなにうれしかったことだろう。息子を産んでから再会までの時間が、「これが運命」と受け入れるのに十分だったかは分からない。ただ、立派になった息子を一目でも見ること、それ以前に息子の存在そのものが唯一の生きる希望だったのではないだろうか。もしかしたら、そこでアルカスに矢を放たれたとしても、再会できた喜びのほうが勝っていたようにも思う。私自身、実際誰かの「親」という存在になり、確かに自分を必要とする存在ができたことで、この世界で生きていてもいいという「許し」を得た気がした。まだ子どもに対して何か十分なことができている自信はないが、自分の中に拠り所のようなものができたのは確かだ。カリストにとっても、アルカスの存在自体が過酷な運命から逃げずに耐えた最大の動機であり、生きる拠り所であったような気がする。

母子の間で起きるかもしれなかった更なる悲劇を前に、さすがのゼウスも介入してきたわけだが、それまでヘラを前に何もできなかったゼウスの、せめてもの罪滅ぼしだったのだと思う。アルカスは人間から熊に変えられて星座になるのだが、それはまた母と同じ呪いを背負うことでもあり、彼にとって深い悲しみかもしれない。ただそんな運命の中であっても、母子共にいることが互いにとっての「許し」で有り合えばと願うばかりだ。

それにしても、ヘラの嫉妬深さはあまりにあまりである。そのおかげで、北極星と北斗七星をいつでも空に見えるという結末になるとはいえ、夫ゼウスへの愛の裏返しといって説明つくレベルではないだろう。幸いここまでの嫉妬心は身に覚えがないのだが、またヘラが登場する機会にでも考えてみたいと思う。それでは今回はこれくらいに、また来週。

おおぐま座とこぐま座

さいとう真実

さいとう真実

1985年生まれ。普段は硬めの文章書いてます。

Reviewed by
小沼 理

北斗七星を有するおおぐま座と、しっぽに北極星を持つこぐま座。いつでも北の空にのぼり続け、旅人を導く星であることは名誉なことだと思っていたけれど、全能の神・ゼウスの妃であるヘラがかけた「海に隠れて休息をとることができないように」という呪いだったとは。

今回もギリシャ神話の神々の行動は、伏線のような作為的なものが散りばめられている「現代の物語」と照らし合わせると理不尽に思える点が少なくない。でも、その破綻がかえって私たちの現実と似通ったものに思える時もある。現実は、物語のように綺麗に進むわけではないから。予兆のない落とし穴や、回収されることのない伏線で溢れているから。悲劇に次ぐ悲劇に見舞われ、もたらされた救済がベストなものではなかったとしても、なんとかやっていくしかない。

そしてこの結末について、おおぐま座になったカリストと、その息子でこぐま座になったアルカスが、何を思ったかまでは語られないのだ。だからこそ私たちはその運命について、思いをめぐらせることができる。理由のないものに意味を見出すことは、無数の星々を結ぶように、とても人間的なことだと思う。

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