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2F/当番ノート

大切にしていたのは高級タバコよりも

当番ノート 第38期

子どもの頃から兄と私は“1人1つ”だった。好きなお菓子も1個ずつ買ってもらっていたし、部屋もそれぞれ、テレビも複数台あったので、見たい番組でケンカすることは無かった。

その代わり、「兄だけが持っているもの」を使おうとすると、嫌がられることが多かった。テトリス、たまごっち、灰色の初代ゲームボーイ。目を盗んでこっそり遊んでいるうちに、兄が飽きて遊ぶ権利が回ってきたり、母がもう1つ買ってくれたりして、最後まで“一緒に使う”ことは無かった。

社会人になって1人暮らしが始まり、週に3日、2人で住んでいた時があった。一緒に作った夜ご飯、2人で使った1つのコップ、あの人が気に入って使っていた、私のお気に入りストール。3年間一緒に過ごしたその部屋に、毎日1人で住むようになった時、今までの思い出をすべて1人で抱えた。2人で過ごした時間を、同じ場所で1人で思い出す。

1週間のうち1人暮らしの方が多かったはずなのに、1人の方が自由に過ごせていたはずなのに。思い出すのは狭いクローゼットのスペースを取り合ったことや、1人用のビーズクッションに2人で押し合って座ったことばかり。一体、なぜなのだろう。

ヨルダンの砂漠で1泊した時も、ガイドをしてくれた原住民を見てそんなことを考えた。


ヨルダン

ヨルダン南部、ワディラム砂漠の中を4WDに乗り豪快に走る。わたしはここで、「ベドウィン」と呼ばれる原住民がガイドを担う、1泊2日の砂漠スティに来ていた。

道とも呼べない永遠と広がる荒野の中を、ガイド兼ドライバーのベドウィンの運転でひた走る。同じ景色が永遠に続く。自分が今どの位置にいるのか、走り始めて5分も経たないうちにわからなくなった。

ドライブの途中、彼は突然方向を変えた。別のツアーに出ているドライバーに近寄り、運転席から降りて駆け寄るのだ。「どうしたの?」と、戻ってきた彼に聞くと、「エンジンがかからず困ってたからね、手伝ったんだよ」と言ってまた走り始める。ツアー中それは何回か繰り返された。

彼らは4~5人のグループになって、観光客向けのツアーを運営しているらしい。砂漠の名所らしいスポットを一通り回り、陽が沈みかけた頃にテントに到着したら、何人かのベドウィンが観光客を連れて、同じ場所に到着していた。

夜ご飯を食べ終え、外のベンチに寝転がり、今まで見たことないほどの満点の星空を見つめた。東京では感じなかった星の瞬きが、ここではわかる。

徐々に身体が寒くなった。少し暖まってからまた見ようと、夕飯を食べたテントに戻ることにした。

20人くらい入る大きなテントでは、夕食を用意してくれたベドウィンたちが、暖炉の近くで賑やかに笑っていた。私はそっと近くに座り、暖炉から熱をもらう。
ベドウィン
ベドウィンとはとるに足らないやりとりをした。音楽に合わせて歌ったり、「日本語とアラビア語で会話してみよう!」なんて不思議なことを言っては、ガハガハ笑いあう。

話しながらふと、勢いよく吸うタバコとは別に、みんなで1つのタバコを回して吸っているのが気になった。

「どうしてみんなでシェアしてるの?」と私は聞く。大切そうにタバコを吸ったドライバーが、煙を吐き出して話し始める。

「ここら辺はタバコが高い。特にこのタバコは1箱30JOD(約4,500円)はするんだ。1人1箱なんて高くて買えないから、みんなで1箱買って、こうやってシェアしながら吸ってるんだよ」

キミも吸ってみる? と言って、半分くらいまで吸われたタバコを差し出された。正直タバコは一生吸いたくない。けれど、そこまで大切にしているものを私にも一口、と言ってくれたし、生まれて初めて吸ってみることにした。タバコをくわえて息を吸ってみると、よく聞く話のとおりむせかえって咳が出た。

それを見てベドウィンたちは相変わらずガハガハ笑い、私からタバコを引き取った。
ヨルダン
この一口はいくらの価値がある? と言って吸い、「2JOD(約300円)~!」と幸せそうに煙を吐き出し、隣に渡す。火を囲んで、歌を歌い、リラックスした表情で談笑をしている。みんなは友だちなの? と聞くと、「家族のようなものだよ」と返事が来た。

身体も暖まったので、また星を見に行くと言って立ち上がった。「月が明るい時は星が見えなくなるから、気を付けて」と忠告を受け、テントを後にする。東京は街の明かりで星が見えないから、月が出ていなくても関係ないんだよ、と心の中で思う。

月は姿を隠していた。ベンチに仰向けになると、無数の星が空から降ってくるような、または自分が飲み込まれてしまうんじゃないかと思うほど、空には星しか見えない。じっとしていると、彼らの笑い声が小さく聞こえてきた。

数年後、私は1人暮らしからシェアハウスへ引越した。旅行のおみやげ、親から送られてきた食べ物、お世話になった人からもらったバラのブリザードフラワー。共有スペースに置き、「どうぞ」とメモを残すと、「ありがとう」の返事が書かれてきた。

キッチンのテーブルには時々、手作りのクッキーやホットケーキが置いてあった。「作ったので食べてください」というコメントに、おいしい! という返事を残す。数日たつとノートは返事であふれていた。

一時期は火曜の22時にリビングへ集合し、持ち寄ったお菓子を交換しながら一緒にテレビを見た。そのまま日付が変わるまで話し込んで、翌日は始業ギリギリで出社したこともある。

テレビなんて部屋に戻れば1人でも見られるし、おみやげや仕送りも自分だけで消費することは簡単だ。それでも「みんなと分けたいな」と思ったのは、テレビやおみやげを通してみんなと話すのが、楽しみの1つになっていたからかもしれないなと思った。

砂漠のベドウィンたちは、「みんなでタバコを吸うこと」が仕事後の大切な時間だったんじゃないかな、と思う。1箱買っても大切に吸えば長持ちするし、みんなで回さなくても1人1本づつ吸えばいい。でも彼らは、わざわざ「一口ずつシェア」したかったのかもしれない。

彼らはきっと、タバコを通して「一緒に過ごす時間」を大事にしていたのかもしれない。

もりやみほ

もりやみほ

編集者/フリーライター。
旅とらくだとピクニックが好きです。お出かけ系、観光関連の記事をよく書きます。noteには思ったことをつらつらと。

Reviewed by
Kazuki Ueda

仲間と家族。友達と家族。恋人と家族。どこがその境目なんだろう。どんな絆が家族を作るんだろう。

もりやさんの出会ったベドウィン。といえば伝統を重んじる、誇り高き砂漠の遊牧民。ラクダから4WDに乗り換えても、羊飼いから観光ガイドに鞍替えしても、砂漠のテントが彼らの家なのだ。

伝統と誇り、砂漠の中に生きる過酷、その同じ厳しさを共有している仲間達。仕事終わりにシェアする煙草は、同じ愉しみを分かち合える愉快な絆として、ベドウィンとしての分かち難くも厳しい絆に、毎日上塗りされていくのだろう。

同じ顔、同じ話し方。同じ趣味。同じ生活。家族として共有している目に見えるものは、本当は沢山あるはずだけど、自分で意識することは稀にしかない。

「この人が家族で良かった」そんな安堵が、家族として共有する喜びや愉しみの中にはあって、絆は再確認され強くなる。「家族」の要件は様々かもしれないけれど、きっとそんな安堵の記憶が積み重なって、自分が帰るべき「家」として知るのだと思います。

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