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2F/当番ノート

魂に触れる

当番ノート 第39期

「魂に触れる」 谷川俊太郎

軽いやわらかい毛布の下に
恋人のあたたかいからだがあって
ふたりは手をつないで仰向けに横たわっている
ふたりの目は白い天井に向けられていて
どこにも焦点をむすんでいない
モーツァルトのケッヘル六二二のクラリネット協奏曲
第二楽章アダージョが聞こえている初秋の午後
若い彼らは完璧な幸せがもたらす悲しみに
それと気づかずに浸っている

「昨日またサリエリに会ったよ」と男が言う
「何度見たら気がすむの《アマデウス》?」女が言う
「史実はどうあれあんなにモーツァルトを愛した男はいないね
嫉妬も憎しみも殺意もみんな愛から生まれている」
クラリネットが子どものように駆け上り駆け下る
「こんな美しい音楽がどうしてそんな醜い感情を生むのかしら?」
答えずに女の横顔を見つめて男は思う
<音楽はすべてを肯定する 日本語では〔悲しい〕は〔愛しい〕
〔どうしようもなく切なくいとしい〕と古語辞典は定義している>

……ずっと後になってもう若くない女はその日のことを思い出す
あのひとの目の縁からつうっと頬に伝わった
どうして泣くのとわたしは訊かなかった
その涙があまりにも美しく思えたから
モーツァルトがくれた涙 モーツァルトがくれた世界
そこにとどまることは彼自身にさえ不可能だったが
あの日わたしは見えない魂に触れた
あのひとのそしてわたしのそしてモーツァルトの魂
その記憶がいまも私を生かしてくれる あのひとを失ったいまも


以前、学生の時に働いていたお店のことを書いた。
「長い花をスーツの胸ポケットにさしたおじさん」2018.06.25)
そのお店が終わって帰るのが大体夜の12時半くらい、遅い時は1時にもなった。

ある時、恋人が「心配だから終わったら迎えにいく」と決心したような様子で言い出した。しかしどこに行くにも腰が重い人で、休みには家から引っ張り出すようにして出かけていたし、それだけならまだしも、とにかく色んなことがルーズで、約束のうちほとんどは守られなかったので、約束自体が意味を成さなくなっていた。だから週に2回、しかも夜遅くに、決して近所とは言えない距離を自転車で迎えに来るなんて、お願いして大丈夫だろうかと思った。

結果的には、彼はおおよそきちんと迎えに来た。タイミングがずれてちょっと遅れてくることもあったけど、先に着いて待っていることが大半だった。大体いつもタバコを吸いながら音楽を聴いていた。私を見つけてにっこり笑いかけることもあれば、冷たい目で何かを考えているような時もあった。それから二人で暗い夜道を自転車で並走しながら(車が来たら縦走して)帰った。

いつも揉め事が絶えなくて、度々ぶつかった。そういうとき迎えは来なかった。
バイトが終わってすっかり静かになった道へ出る。もしかしたらと思って少し先にある待ち合わせ場所へ行ってみても、結局がっかりするだけだった。そういうときの寒さは余計身にしみた。真冬は手袋をしていてもやっぱりつめたくて、隠しきれない鼻先は赤くなった。ある時、路肩にある排水溝から白い煙が出ていたことがある。気温が低すぎて排水が湯気になっているのだった。
駅の周りを抜けると、夜の静けさは当たり前のようにそこまで来ていた。一本すぐ奥は住宅街で、そこに広がる闇がいっそう夜の深さを増していた。私は街灯に照らされた国道を急ぎ足で走った。通り過ぎていく車はわずかだった。終電を逃した人たちを乗せたタクシーと、時々トラックが脇をかすめ抜けていった。




6_2
15歳の時、古びた商店街の中にある古本屋の店先で忘れられたようにワゴンに積まれて置かれていた本の中に、一冊の運命的な本を見つけた。谷川俊太郎の詩集だった。価格はたったの105円。
持ち運ぶうちに表紙のカバーが折り目のところで切れ、セロハンテープで留めた跡がある。それでもかまわず読み続けた。よく読み返す時期があるかと思えばぱったりと読まない時期があったし、その時々によって目に止まる文章も違っていたが、その本を手放すことは考えられなかった。ここには多くの人が容易に言葉にはし得なかった、人の魂がある。そう思った。
あるとき、初めてできた恋人にこの本を貸した。その時はまるで自分の大きな秘密を打ち明けるような気持ちだった。

大学4年生の時だっただろうか、その中の一編を小さくコピーしたものが偶然ノートから出てきた。その詩のことはよく覚えている。そういえばこの詩がとても好きだったなあ、と懐かしくなってアパートの冷蔵庫に貼りつけておいた。その詩はその家を引き払うときまでいつもそこにあった。
それはモーツァルトの音楽を心から「愛して」いた男が出てくる詩だった。




あれはいつだっただろうか。
いつものように、二人で帰っていた時のことだ。
ほとんど車の通らない横断歩道で、信号が青に変わるのを待っているとき、突然とても音楽が聴きたくなった。でもイヤフォンをしていたら危ないし、一緒にいるのに一人だけ聴いているというのも変だ。
ふと思いついて私は彼に「何か歌ってみてよ」と言った。よく口笛を吹く人だったが、あんまり歌っているのを聞いたことはなかった。彼は突然のリクエストに動揺していて、本当に困った様子で「何も思いつかないよ」と言った。
でもいつでもどこでも暇さえあれば(暇さえなくても)音楽を聴いているのに、私が知っているアーティストのほとんどを知っていて、私が知らないアーティストをたくさん知っていて、それなのに「何も思いつかない」ってことはないでしょうよ。
そう思った私は「まあまあ、そう言わずになにか歌ってよ」となおもしつこく頼み込んだ。とにかく何でもいいから音楽が聴きたかったのだ。すると彼は黙り込んでしまったので、ちょっと申し訳なくなってきた。突然無茶振りをして悪かったかな。そうだ、家に帰ったら寝る前に何か聴こう……気持ちを赤信号に向けかけたとき、彼は歌い始めた。最初は小さく音を確かめるように、それから次第に語りかけるようにして、いつもより少し低い声でゆっくりと歌った。

夜のとばりがおちて
天空に星が瞬く
もうすぐ迎えにくるよ
眠りの世界へ妖精たち
おやすみ おやすみ
素敵な夢の世界へ

そうだよ君もその背中に 
小さな羽根が付いてる
目には見えない物が
大切な事もあるんだよ
おやすみ おやすみ
いとしい君へのララバイ

ひとつだけゆびきりしようね 
いつか大人になっても
君への愛は変わらない
どうか忘れないでいてね
おやすみ おやすみ
君に幸あれ

(「君に幸あれ」佐田玲子)

歌声がひとつずつ音となり、それが次第に少しずつ押し上げられ、それから雪さらしのようになって、静かな夜の空に溶け込んで昇っていった。

その歌は、たぶん私に向けられたものではなくて、彼が自分に対して歌っているわけでもなくて、まるで記憶をたどるような、どこかにかえっていくような、そんな歌声だった。

小さい頃に父さんが歌ってくれた曲なんだ、と歌い終わると彼は言った。
それから、その曲にまつわる思い出を話してくれた。その話をしているときの彼の瞳は澄んでいて、透き通った肌は暗闇の中でわずかに動き、まるで夜の空に浮かぶお月様のようだった。私はその空気をなるべくこわさないように、静かに耳を澄ませた。拍手をする代わりに強く抱きしめたかった。

私はこれまで何度かこの曲を探してみたが、音源を見つけることはできなかった。時々、たどるようにそのメロディーを思い出してみる。真っ暗な道を白く照らし出していた道路や、その時肌に触れていた空気のことも。

・・・・・
moku
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モク

モク

born in 1994, photography

Reviewed by
kuma

どうしようもなくいとおしい何かにふれたとき、いま、ここで世界が自分の中心にふれた(そして自分が世界の中心にふれた)と感じられることがある。いやむしろ、世界と自分が中心にふれた、というべきだろうか。いずれにせよ、魂はそこにある、と思う。

これまでの8回の連載をとおして、魂という言葉が用いられることは、いままで一度もなかったはずだ。少なくとも自分はそう記憶している。
この連載は彼女がいうように、たしかに「走馬灯」がテーマになっているのはまちがいない。けれど臆せずにいえば、すべての回において紛れもなく原題にあるのは「魂」なのだと思う。
第2回のタイトルにある「不在の在」という言葉が示すように、ここにないものへの思いを、海のように湛えられた悲しみを(そしてその表面にゆらめく波光のような明るさを)、ひとつひとつの連載をとおして切々と感じた。きれいに洗われたような末尾をもつ文章もあれば、途中で急に裁ち落とされたような印象の文章もある。人それぞれにこの連載を読んだ時に感じるものは違うと思うけれど、自分はそのように感じ、そしてそれがとても心地よかった。これこそ人生みたいだ、と思った。

残す連載はあと1回。期待を重りのようにかけるつもりはないけれど、連載のおわりがどのように綴じられるのか、一読者としてとても楽しみです。

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