連載の第2回と第3回でそれぞれ自宅から徒歩圏内のまちを紹介してきて、近場について書きすぎるのもどうかしら、と思いつつ、やっぱりどうしても外せないと感じるのが、天神橋筋六丁目から扇町の一帯だ。
大阪は東京と違って、近接する乗り換え可能な駅同士で名前が違うことが多々ある。そして、「まちの名前」として知られている呼称と、駅の名前も必ずしも一致しない。
先に書いた「扇町」という呼称を、大阪の人はあまり使わない。天神橋筋六丁目と扇町は、堺筋線で隣駅という間柄にあるので、知らない人に向けて地図で見たときに分かりやすいように説明するとそうなるのだが、「天満」というほうが大阪の人にはおそらくしっくりくるのではないかと思う。
天満は、扇町の駅から歩いてすぐの距離にあるJR環状線の駅名であり、このあたりの地域を指す呼称でもある。東京に例えて言うなら、大門と浜松町の関係が近いだろうか。
天満は一口に言って食い倒れのまちだ。全体として「食い倒れのまち」と言われる大阪のなかでも、とりわけ外食をしていて楽しいのが第4回で取り上げた心斎橋からすぐの宗右衛門町のあたりと、そしてこの天満の界隈だ。
天満には歴史のある市場があり、さらに、日本最長の商店街「天神橋筋商店街」と接している。
ちなみに、大阪では南北に通る道を「筋(すじ)」とよび、東西に走る道を「通(とおり)」とよぶ習慣がある。近畿圏に引っ越してきたばかりの頃は、京都の人が場所を交差点の名前で認識していることも、大阪の人がヒトの移動をなんとなく「筋」でイメージしていることも、自分と認識のしかたが違うので戸惑ったが、少しずつ慣れてきた。
御堂筋、堺筋、四つ橋筋……地下をメトロが走っているような大阪の「筋」は、時間を問わずヒトの気配があって、安心感がある。自転車でも徒歩でも車でも移動できるし、位置関係が明快で気持ちがいい。こういうところも、大阪市内の過ごしやすさを作っているように思う。
まちを移り住むことの楽しさと苦しさは、わたしにとっては恋愛のそれに少し似ていて、つまり「それまでの自分のなかになかったルールをインストールしていく」面白さとしんどさが肝なのだろうと思う。仕事を変わるときにも、概ね似たようなことを感じる。若い頃のほうが柔軟だったな、と思うことも最近は多いけれど、違う文化の「当たり前」に浸されて、自分の組成が少しずつ組みかわっていくのは、やっぱりとてもエキサイティングだ。
国内では商店街が衰退していると言われて久しいが、天神橋筋商店街はいつ行っても賑わっている。夕刻になると、天満に飲みに行くのだろう6人くらいのグループのサラリーマンの間を、ジャージ姿のおっちゃんや、小学校低学年くらいの子どもが通り過ぎていくのもよく目にする。
しかしなぜ商店街というのはあんなにも歩いていて楽しいのだろう。よく分からない謎のお茶とか、インポートのバッグとか、炊けたてのおこわとかが雑多に叩き売られているのを見ると、買うつもりがなくてもすごくワクワクするし、なんだかすごく力が湧いてくる。市場や商店街の持っている、物を売り買いする人が集まる場所に特有の活気が、わたしは本当に好きだ。
天満は駅前に大きなショッピングビルなどがある訳ではなく、札幌のすすきのや博多の中洲のようないわゆる歓楽街とも趣を異にしている。
飲食店が密集しているまちなのだが、そういう意味で「繁華街」や「歓楽街」という言葉を当てはめるのは少し違うような気がするのだ。
そのことと、家族連れや、年齢を問わず女性のお客さんを多く見かけることは、つながっているのではないだろうか。
天満の飲み屋街には濃厚に生活の匂いがして、それは市場の歴史がそうさせるのだと思う。
江戸時代の大阪は天下の台所とよばれ、京都に近く水運にも恵まれた都市として発展してきた歴史がある。
かつての天満の市場は現在の天満駅よりも南、大川沿いに存在した。現在の西区江之子島のあたりにあった雑喉場(ざこば)魚市場や北区堂島の米市場、今も面影を残す浪速区の木津市場などと並び、天満の青物市場は、戦争の煽りで中央卸売市場が開設されるまで長く栄えた。
現在も、天満駅の北側にある「ぷららてんま」という施設に、市場の機能が少しだけ残っている。
わたしは天神橋筋六丁目の駅に近いところに住んでいるので、天満に飲みに向かうとなると、天神橋筋商店街を南下してゆくことになる。
ここを天満からさらに南に行くと、やがて大阪天満宮に着く。
商店街は毎年、年明けには天満宮の参拝客であふれ、夏に行われる天神祭の頃にも、その時期特有のにぎわいを見せる。日常的にも元気で賑やかな天神橋筋商店街だが、そんなふうに晴れの日があり、それを裏付けている歴史があるからこそ、こうして常にお客さんで溢れる空間になっているのだろうと思う。
生活の匂いと、うきうきした気分が絶妙に融合したまち。そんな天満のまちで飲むと、いつもそれだけで元気になってしまうのだ。