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2F/当番ノート

その街とわたし【大阪・心斎橋】

当番ノート 第41期

連載の初回に書いた通り、主には付き合っていた男と別れるために東京を出てきたのだが、京都に住んでいた2年の間にも多少のやりとりはあった。大阪に移ることを話すと、ミナミで青春を過ごした彼はちょっと嬉しそうで、やがて「必ず足を運んでおくべき店リスト」が送られてきたのだった。
この「店」というのはすべて飲食店で、彼が満を持して推す店が10軒ほど並記してあった。
突出した部分と欠落した部分を極端に兼ね備えたタイプの男だったけれど、舌は確かだった。そして何より食べることが好きだった。
そのリストに書いてあった1軒が、心斎橋にある「道頓堀 今井」である。関西風うどんの名店と言われ、ポップな看板が所狭しと並ぶ道頓堀界隈で、昔ながらの落ち着いた店構えは却って目を引く。

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リストを送ってくれたあとに、彼がこう添えたのを覚えている。
「今井では必ず、きつねうどんと笹で包まれた寿司のセットを頼め」。
自分のすることに口を出されるのが生来嫌いなわたしは、今井に来て3回目くらいまではいつも、目新しくわくわくさせてくれる季節限定のメニューを頼んでいた。寒い時期ならあんかけ、夏には鱧、秋にはきのこなどと言われると本当に弱いのだ。要するにミーハーなのだと思う。
あるとき、ふっと「教わった通りに頼んでみてもいいかしら」という気分になった。幸いその日は土曜日で、きつねうどんと鯛の笹巻き寿司に、わらびもちも付いてくるランチセットを頼むことができた(※1)。その日を境にして、今ではすっかり関西風のおうどんの虜になっている。

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関西風うどんは関東風や讃岐風のそれと異なり、澄んだ薄味のお出汁に柔らかい麺が特徴のうどんだ。そばつゆにルーツを持つ鰹出汁ベースの関東風の出汁に対して、関西風の出汁は昆布の風味が強く、コクがある。
今井ではこれにさば節とうるめ節を加える。鮮度と味を保つために、出汁の作り置きはしないのだという。優しく滋味深い味わいのお出汁に、しっかりと味の染みた肉厚のお揚げの取り合わせは、幸せの象徴であるように思える。
笹巻き寿司も絶品である。透明にほんのりと桜色が浮かぶ鯛の身に、深い緑色の木の芽が透けて見えて、見た目にも美しい。鯛の風味を殺さぬ程度にほどよく酢の効いた味わいは、お揚げのために甘辛く振れた舌をいったん落ち着かせ、ますますうどんを美味しく感じさせてくれる。

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今井に行くと、老人が多いことにたびたび驚く。道頓堀のあたりはいささか猥雑と言える土地柄で、特に夜や土休日は東京並みに人が多くごった返しているが、杖をついたお爺さんやお婆さんが何人も、その波を抜けて今井を訪れる。親戚の体がよくないので心配だ、あのお寺に相談に行った、老壮年期の人々らしい会話が、聞くともなしに聞こえてくる。

ミナミで聞く人々の会話は、音楽的だといつも思う。
東京をはじめ、府外にいると「大阪弁」とか「関西弁」などと一口に片付けてしまいがちだが、大阪はもともと3つの旧国から成り立っている県で、現在の自宅のあるキタからミナミに移動するたびに、そのことを実感する。人々の話す言葉とそれが生むメロディが、地域によって微妙に違うのだ。
「関西の街で遊び、街で暮らす人のための大人の雑誌」Meets Regionalを立ち上げ、長年にわたって編集長を務めた江弘毅さんも、作家の津村記久子さんとの共著『大阪的』のなかでそのことに触れている。以下に引用しよう。
「現に神戸・阪神間、京都からの通勤客が多い大阪市北区にいると(略)この人は神戸〜播州方面、「せやし」という接続詞を多用するあの人は京都だ、といった違いがわかる。同様にミナミに遊びに行くと、八尾とか東大阪の大阪弁をしゃべる人、堺〜泉州系のそれを話す人が混じっているのが聞き分けられる。」(※2)
ミナミはなんばを拠点に近鉄線や南海線が通っており、奈良に近い東大阪、和歌山に近い堺方面からのアクセスもよい。
ざっくり説明すると、奈良に近い大阪府東部がかつては「河内国(かわちのくに)」とよばれた地域で、堺や岸和田などは「和泉国(いずみのくに)」、そして大阪府の北部・中部から兵庫県南東部にかけての一帯は「摂津国(せっつのくに)」とよばれた。
キタで特に聞かれる摂津弁は、東京弁に比べたらやはり音楽的ではあるが、泉州弁や河内弁に比べると都会的で、やや冷たくも聞こえる。対して、河内弁や泉州弁は荒いとも言われるが、より人情味があるとも言える。
泥臭くメロディアスな河内弁や泉州弁と摂津弁は、例えて言うならサキソフォンとクラリネットの音色くらいには違う。まちを移動するとその違いがよく分かるのだ。

今井を出て、心斎橋のアメリカ村に向かう。東京で言えば原宿の竹下通りのような趣のあるこの場所に、わたしの友人たちが作った店がある。「呪術と魔法の銀孔雀」といって、なんと、日本で数少ない「魔女のための専門店」なのだ。
例えばロンドンやベルリンなどには、「ペイガンショップ」とか「エソテリックショップ」などと呼ばれる「魔女のための専門店」が普通に存在する。ヨーロッパにおける魔女の歴史は書き始めると長くなるので別の機会に譲るとして、日本にあるこのお店は、自分のコンディションを整えてくれるような、お茶だったり書物だったり、魔除けのアイテムだったりが所狭しと並べられている。訪日旅行客も多いこのエリアで、日本にあるペイガンショップだということで、他県や海外から狙ってやってくる外国人のお客さんも多いのだという。

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一般に「魔女の店」というと、パワーストーンを販売していたり、占いやヒーリングの施術などを提供する店をイメージする方が多いのではないだろうか。それも間違いではないし、実際に東京にはそういう店が多い。けれど、銀孔雀で売られているのは、海外や日本にいる魔女たちが、自然の木や石などからハンドメイドで作った小物だったりする。おそらく一般のイメージよりも、アーティスティックだけど、キラキラしていなくて、ヒトと自然の息吹が感じられるような商品が多い。
こういう不思議なお店が、若者で溢れる繁華街にひょこっと存在するところも、大阪の懐の深さだと感じる。

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アメ村から再び道頓堀のあたりに戻り、松竹座を眺める。このあたりはかつて道頓堀五座といって、芝居小屋が立ち並び、そのために賑わったエリアでもあるのだ。
五座とよばれた浪花座・中座・角座・朝日座・弁天座のそれぞれの劇場は、閉館となったり経営が変わったりするなかでかつての趣を失ってしまったが、劇場のあるまちとしての文化はミナミに残った。映画館としてスタートし、歌舞伎などを上演する劇場として今も多くの人が訪れる松竹座もそうだ。

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ちなみに、東京は新宿の歌舞伎町も、戦後の復興期に「歌舞伎の演芸場を作り、芸能施設を集めて、多くの人が訪れる繁華街にする」という計画のもとに作られたまちだった。日本の「繁華街」の源流の1つは、芝居街としての道頓堀界隈にあるのかもしれない。

※1 セットメニューは土休日限定。平日でも単品を組み合わせて再現することはできますが、価格が変わります。
※2 江弘毅・津村記久子『大阪的』ミシマ社 p.69

汐月 陽子

汐月 陽子

フリーランスで企画や執筆のお仕事をしています。「書肆アルケス」の屋号で批評を名乗らない批評の同人誌を作ったり、観光プロデューサーの陸奥賢さんと「ゲニウス・ロキ探偵社」なるユニットで、まちの歴史と物語をさぐる「創造観光」という活動にいそしんだりもしています。20代はソーシャルデザインに期待をかけていたので、30代はもっと、自分を含めたあらゆるひとの個人的な営みを丁寧に触れるようになりたい。

Reviewed by
ぬかづき

たとえば東京の場合には、いろいろなところから実に多様な人やものが集まっていて、すべてが混ぜ合わされてしまって混沌としているような気がする。それが東京の良さでもあるのだけれど、では東京のオリジナリティーって何なんだろう? と考えると、ちょっと答えに窮してしまう。

大阪もきっと、江戸時代には江戸と京都に並んで「三都」と呼び習わされていただけあって、現代にあっても、いろいろなところから人やものが集まってくる都市だろう。しかし、汐月さんの描く心斎橋の様子を読んでいくと、大阪では、そうして集まってきた人やものも、完全に混ぜ合わされるわけではなく、それぞれのアイデンティティをある程度保ちながら共存しているように思われる。

その距離感や、ユニークさが、なんとも羨ましく見えてくるのである。

------うどんとわたし (レビューワー) ------
京都に2年間暮らしていたけれど、そのあいだにうどんを食べた記憶がない。しまった……。関西のうどんは関東のものとは違うとかねがね聞いていたし、では違いを確かめてみるか、という気持ちはいつも心の奥底にあったものの、なんとなくずるずると (…うどんだけに) 機会を逃し、昆布の風味が強い出汁も、ふわふわのお揚げも、一度も口に入れることのないままに、京都からひきあげてしまったのだった。

「道頓堀 今井」のくだり、ちょっと、ひどいのではないか! おなかがギューと鳴り、唾液があふれ、目の前にはホカホカとたちのぼる湯気が見えるようではないか。…関西風のうどん…食べたいよう……この気持ちをどうしてくれようか。

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