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2F/当番ノート

ドンキホーテ

当番ノート 第41期

ドンキホーテの公演が9月の終わりにあった。
今シーズン最初のバレエの公演。
スペインを舞台にした若い男女の恋物語。
明るくコメデイの要素も強い作品。私たちの劇場ではいつもとても盛り上がる演目の一つだ。
一度この演目の公演の時に、中高生団体が2階席にずらっといて、ものすごく盛り上がっていた。
この国では中高生が休みの日にみんなでバレエを観にくる。舞台芸術が浸透していることを感じ感動した。
日本にはこのように舞台芸術が人々の日常の中にないと感じる。何か特別なもののような感じ。

私の住む街constantaはルーマニア5番目の都市だが、街に国立劇場があり、
毎週末バレエかオペラかオーケストラの公演がある。

そしてドンキホーテは私がこの劇場で初めて踊った作品。

1週間しか練習がなくドキドキしながら本番を迎えたことを思い出す。
久しぶりの舞台の嬉しさと踊り終わった後の満足感。
私はこれからここで踊っていくことを実感した。

ルーマニア人達は演技がとても上手い。
普段から喜怒哀楽を出すことが多いからか、みんな自然な演技ができる。
どんな状況が訪れても色んな演技で切り抜ける。
毎回違うみんなの演技を観る、一緒に演じるのはとても面白い。

今回の舞台では16歳のバレエ学校の男の子達が初めて参加した。
舞台の上でみんなで手をつないでステップを踏みながら入っていく時
私の前にいたその少年が一人だけ体を反対に向けていた。

反対!反対!!と日本語で叫ぶ私。
なぜか 英語のoppositeも ルーマニア語のインベルスも浮かんでこず、
ずっと反対反対と言い続けてしまった。。。。。
彼にはもちろん届かなかった。
こういう咄嗟の瞬間に私はいつも日本語しか出てこない。

でも彼はもしかしたら間違えたと気づいていて、直したらいけないと思ったのかもしれない。
振りを間違えることは起こりうるけど その後どう振る舞うかで観え方は大きく変わる。
そういうことをこれから彼は知っていくんだろうなと思う。

16歳から引退間近の50歳のダンサーまでの年齢層豊かな公演だった。
ベテランの人たちの味わいある踊り、若者のフレッシュな踊り。
20代から30代前半までの若いダンサーが多いバレエ界にあって、
こういうところが私たちのカンパニーの魅力だと思う。

FullSizeRender一幕街中の衣装
FullSizeRender二幕夢の場の衣装

 

合田 紗希

合田 紗希

はじめまして。

私はバレエダンサーとして、リスボンのダンスプロジェクト、マデイラ島でのバレエ教師、チェコのバレエ団、ルーマニアの黒海沿岸にある劇場など活動していました。

現在は日本に拠点を移し
Ballet Class Natureを立ち上げました。

バレエのオンラインプライベートレッスンをお届けしています。

Ballet Class Nature
https://balletclassnature.wixsite.com/home

photo by Veronika Brunová

Reviewed by
moto

"反対!反対!!と日本語で叫ぶ私。
なぜか 英語のoppositeも ルーマニア語のインベルスも浮かんでこず、
ずっと反対反対と言い続けてしまった。。。。。
彼にはもちろん届かなかった。"

踊りとは関係無いながら思い出したことがある。

ルーマニアのスーパーで会計をする際、間違えて閉まっている(取り込み中の)レジに並んでしまっていた。
近くにいたルーマニア人の男が僕に向かって"open! open!"と繰り返す。怪訝な顔をする僕と周囲の人達。ほんの一瞬の小さな混乱ののち、男の隣にいた主婦風の女性がはたと気付き、"close!"と叫んだ。"あぁ、inchis! (closed)"と僕。つまり彼は真逆ことを言っていたのだ。どっと笑う周りの人々。なんだかほっこりとする瞬間だった。

人は咄嗟の時に割と予想外の動きをしてしまう。反対のことを言ってしまったりする。そしてそれが案外通じたりする。人が言語を介して伝えていることはコミュニケーションの1割程度だと言われたりする。文脈や身振り、表情で大抵のことは伝わっているのだと。

つまり合田さんが舞台に逆向きに入っていったルーマニア人に対して咄嗟に叫んだ"反対!"は、きっと伝わっていたんじゃないかな、と僕は思う。言われて気付いたけれども、そこで間違いを正すよりも堂々としていた方がまだマシだ、とこれも咄嗟に判断して固まっていたんじゃないか。合田さんが言うように、間違いも時には押し通した方が良いこともある。それは簡単なようで中々出来ない。真相は分からないけれど、結構考えさせられる出来事ではある。

きっと人は咄嗟の瞬間を沢山経て賢くなっていくのだろう。それは、間違えなくなるということではないと思う。

どうも僕は、まだまだ未熟なようだ。もっと堂々と、盛大に間違えていたいと思いながら、小さな正解ばかり追い掛けている。

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