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2F/当番ノート

キッピス

当番ノート 第42期

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この記事のタイトルは最初「フィンランド人とお酒」だったが、気づいたら、ここに書いてあることにはむしろ、「私とお酒」もしくは「国を問わず、お酒の話あれこれ」のようなタイトルの方が合っている気がしてきたので、結局「キッピス」にした。「キッピス」はフィンランド語で「乾杯」という意味だ。

日本留学の大分前に、どこかの日本文化についての講座で、日本人は普段言えない本音を言わせてもらうためにお酒を飲むと聞いた。例えば仕事についての文句を、ちょっと酔っ払ってから上司に話すと許してもらえるということだった。

実際に日本へ行ったら、酔っ払っているサラリーマンは確かに時々見かけたが、しらばく日本に住んでから、酔っ払っても彼らは上司に対して決して本音を話すかどうか、話したら許されるかどうかはちょっと疑うようになった。社会人になった大学の先輩の話を聞いて、会社の飲み会で下の者が本音を聞かせるのではなく、むしろ上司や先輩にいじめられるような印象を受けた。

日本へ引っ越して、お酒に関して一番ビックリしたのはお酒が自動販売機で買えるということだった。フィンランドでそんな自動販売機があったら、未成年者があっというまに中のお酒を全部買ってしまう。夜中コンビニでお酒の買うのもなんだかエキゾチックな経験だった。フィンランドでお酒は午前9時から午後9時までしか販売できないからだ。スーパーが24時間開いていたとしても、午後9時5分にレジに並んだら、もうビールは買えないのだ。そしてスーパーで買えるのはビールやサイダーのような、アルコール度数5.5%以下のものだけだ。ワインやウイスキーなどは「アルコ」という酒類専売の国営企業のストアでしか買えない。

要するに、アルコール飲料はフィンランドでかなり厳しくコントロールされている。政府は販売の制限や酒税により、アルコールの消費を下げようとする。1人当たりアルコール消費量でみると、フィンランドは2016年の統計で10.7リットルで、韓国と同じぐらいだった。日本人の消費量はより低く、一人当たり8.0リットルであった。

確かに、フィンランド人の中でお酒が好きな人が多いということは否定できない。サウナへ入ってから飲む冷えたビールは多くの人にとって欠かせないものだし、毎週末酔っ払ってしまう人が結構いる。

私は若い時、そんなに頻繁にお酒を飲まなかったが、飲む時は一気にたくさん飲むタイプだった。18歳未満の時はキュラソーという青くて甘いお酒が好きだったが、18歳の誕生日に、初めて自分でそのリキュールを一本買って、酷く飲み過ぎて、それ以降キュラソーを一度も飲んだことがない。その後は、ボンベイ・サファイアというジンを飲むようになった。おそらく味よりもサファイア色の瓶やヴィクトリア女王の肖像が載っているラベルが好きで、これ以上上品な飲み物はないと確信していた。

日本での留学時代も、フィンランドとあまり変わらなかった。一年目、箕面市へ引っ越してから間も無く、他の留学生にパーティへ誘われた。クラブで何時間か踊ってから、天馬に住んでいた日本人の子の家で飲み続けた。朝の4時、5時になってから多くの人が寝てしまって、何だかつまらなくなった。外で霧雨が降っていたが、一人で出かけることにした。

日本へ行く前からずっと沖縄へ行きたかったので、地下鉄に乗って、よし、今日は沖縄へ行くぞと決めた。地下鉄で大阪から沖縄までは行けないぐらいのことはまだわかっていたが、地下鉄で港へ向かおうとした。しかし、完全に酔っ払っていたし、大阪の地下鉄線はほとんどわからなかったので、何回か乗り換えをして、自分は一体どきにあるのかを確認するためにいくつかの駅で降りたが、港へは近づけなかった。いつの間にか切符もなくしてしまって、結局他の乗客の後について、無理やり改札を通った。その後、駅員さんに捕まえるのが怖くてまた地下鉄へ戻るのは嫌になった。そして少し酔いが覚めてきたので、フェリーで沖縄へ行ったら、どう見ても月曜日の授業に出席できないと理解した。近くのコンビニでサンドイッチと草饅頭を買って、おとなしく寮へ戻った。

若い時は、多分、お酒は様々な楽しい冒険への鍵だと思っていた。そして私はみんなの本音や普段聞けない話が聞きたかったので、そういう意味でもお酒が好きだった。大阪の地下鉄で沖縄を目指した後も、楽しい飲み会や酷い二日酔いがいっぱいあった。でも少しずつ、私のお酒に対する考え方は変わっていった。

既にこの連載でそれについて述べたことがあるが、私はどちらかというと内相的な人で、人間関係でストレスを抱えやすいタイプだ。しかし、お酒を飲むとかなりうるさくなるし、普段ストレスになることはどうでもよくなる。ある意味でその状態の方が普通の人間に近いかも知れない。お酒を飲むと、どうでもいいちっぽけなことを気にしない。でもずっと酔っているわけには行かないから(多分)、次の日にその対価を払わないと行けない。昨日楽しく思えた約束は、酔いが覚めたらやはり嫌だ。昨日面白いと思った自分のセリフは、失礼にしか思えない。

そんな後払いを何回も経験して、少しずつ酔うのは嫌になってきた。ワイン四杯ぐらいはまだ気持ち良く飲めるが、それ以上飲むと、やはりうるさい自分が出て来る。自分だけではなく、他人がコントロールを失うのも何だか嫌になった。日本からフィンランドへ帰って、ある土曜日の夜バーの外で吐く中年の男性を見たら、お前本当に大人と言えるのかと思った。

フィンランド人でもやはり、それは本音というかわからないが、お酒を飲まないと自分の感情について話せない人がいる。特に年上の男性はそうだ。でもそれは、ちょっと悲しいことだと思う。本当に言いたいことは、お酒を飲んでも飲まなくても言うべきだし、人が酔っ払って言うことは、本当にその人の本音だとは限らない。あまりにも酔っ払って、本当はそう思ってないのに、意味のないことを喋ってしまうことも結構あると思う。

そして時々は、みんな心の中で何を思っているのか知りたくない時もある。若い時は自分と友達の距離は、出来るだけ縮めたいと思っていたが、今はそうでもない時がある。距離というのは、必ずしも悪いことではない。友達と飲むのは今でも楽しいと思うが、飲まないと面白くない友達は、そろそろ卒業したい。ということに、乾杯。

アンニ

アンニ

1985年フィンランド生まれ。プログラマー。

Reviewed by
岡田 育

アンニさんの連載、新年最初は「乾杯」と題して、お酒との付き合い方について。地下鉄で沖縄を目指した若き日、楽しかったはずの時間につきものの後払いに嫌気が差す翌朝、酔うとパーソナリティがぼやけて一歩「普通」に近く自分、しかし「人が酔っ払って言うことは、本当にその人の本音だとは限らない。」のだとすると、酔うと出てくるあの人格は、果たして私たちの「本性」と呼べるのか……? たしかに国を問わないテーマです。楽しく飲むなら、ほどほどに。

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