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2F/当番ノート

旅ぎらいの物くさ太郎。

当番ノート 第46期

こういったエッセイを書くならば、定番のトピックのひとつが異国での経験について書き記すことだろう。今日、海外旅行など何も特別なものではないかもしれないが、おそらく人並み程度には渡航経験はあると思う。

初めての海外旅行は小学校1年生のとき、父の単身赴任先のドイツからスイス、オーストリアへ。6年生のときには、両親がおそらく一生に一度と決めてハネムーンで訪れたはずのフランスへ家族で再訪した。中学校、高校ではホームステイでオーストラリアへ。単独旅行は大学生のときなかなか行く機会がないと思ってイギリス行きを決め、バッキンガム宮殿を着物で見に行くという謎のチャレンジに挑んだ。その渡航でも、それはそれは必死に観光スポットを周った。珍しい食べ物を買い込んだ。

さあ、それぞれの素晴らしい感動を書き記そうではないか!と思えども、何を書いていいかわからない。それどころか、暑くて最悪だった、カメラをお父さんが無くした、スリに囲まれた、とか嫌な思い出ばかりでてくる。正直に打ち明けると、私は多分、あまり旅行が好きではない。ひとことでいうと、めんどうなのだ。

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2011年の震災直後、私は大学を卒業した。進路は海外留学。なかなか行く機会がないだろうなあと思って選んだ4年前の旅行先であるイギリス、バッキンガム宮殿の隣の駅にフラットを借りた。ファッションデザインの大学に学部から入り直すことに決め、課題が忙しく、お金もなく、ロンドン近郊の街すらなかなか行く機会はなかった。別の国といえば2、3回、ユーロスターでパリに行った程度だった。

それから2年ほどで帰国したものの、大学院に入ってからは研修プログラムや研究調査で年に2回ほどはどこかに渡航する機会があった。両親にとって特別だったフランス、自分にとって憧れだったイギリスのどちらかは何度も訪れることになった。もうこの頃になると、もちろん研修や調査は楽しみなのだけれど、特別感もないものだから荷造りと長いフライトが億劫で仕方ない。

当時、食事コントロールも厳しくしていたこともあって、なるべく普段の生活に近いリズムを保つことを優先しようと決めた。ヨガマットを持参し、調味料を持参し、食事はレストランではなく現地のスーパー。簡単にでも自分で調理する。お土産のスペースなんて考えず、いつも通りの化粧品もたっぷり持つことにした。旅先、というよりも、短期間でもそこで生活するような気持ちでいようと決めた。そうすると、なんだか渡航への億劫さも薄れる気がした。不思議なもので、観光スポットでみたものより、部屋で調理して食べたスーパーの食材のおいしさや名前もよくわからないカフェのコーヒーのようなものの方が印象に残っていたりする。あと、雑にセルフィーは一応撮る。

そういう心持ちに変えることで、渡航をなんとか乗り切れるようになった。だんだんと荷物も必要量の塩梅もわかるようになり、徐々にコンパクトにできるようになってきた。それでも、これは何らかの名目で必要に迫られて行く出張であるから。未だ旅を楽しむこと自体での渡航は抵抗があり、友達の強い誘いがなければほとんど行かない。そして、他人との旅はそれもそれで別の億劫さがある。わざわざ疲れに行くのもなあ…と、出張に行けば行くほど、プライベートでの移動は避けがちだ。
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そんなこんなで、休日にはいつも引きこもりだ。異国や、たとえ国内でも近所でも外出先での経験が素晴らしいのはわかるのだが、自分のコントロールのいく自宅に勝る場所はない。疲れに行く、と思うほど家で寝ていたい気持ちになる。なんて怠惰。猫と並んで6時間ほどボーッとして過ごしてしまう。今年度から所属が変わり、おそらく以前のように頻繁に海外に行くことはなくなるだろう。そうしたら少しは旅行に行く気持ちが起きるだろうか。どうなのだろう。

自分がやりたいと思うこと、楽しいと思っていること、それがどこまでそういう心象に無意識にでも誘っているものなのか、ついつい疑ってしまう。本当はきっとなんにもやりたくないのかも。でも、なんにもやらないのは退屈なのかも。心地よい疲労なんて、本当にあるのだろうか。

今日はマシュー・バーニーのオペラ作品の6時間上映を大阪の滞在を伸ばして行ってきた。6時間座って腰も痛い、足も浮腫む、映像は難解で糞尿や性器の描写も多く、かなり精神力を使う。それでも安くはないチケットを買い、新幹線に乗って行くのだ。途中、身体の痛みや締め切りの近い仕事の存在、家から送られてくる飼い猫の動画に、ああ、家にいた方がよかったのかもなあと思わなかったわけがない。それでも、観てよかったとは思っているのだ、一応。

今日も物くさ太郎は、本当にやりたいこと、という確証をついつい探してしまっている。

藤嶋 陽子

藤嶋 陽子

研究者。
文化社会学・ファッション研究。
株式会社ZOZOテクノロジーズ(ZOZO研究所)・所属。東京大学学際情報学府博士過程・在籍。
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1988年山梨生まれ。フランス文学を学んだ後、ロンドン芸術大学セントラルセントマーチンズにてファッションデザインを学ぶ。帰国後はファッションにおける価値をつくるメカニズムに興味を持ち、研究としてファッションと向き合うように。現在は、ファッション領域での人工知能普及をめぐる議論や最先端テクノロジー研究開発にも携わるように。
26歳で35kgの大幅減量を経験、自己像や容姿との戦いは終わらない。猫2匹と同居中。

Reviewed by
藤坂鹿

疲れると分かっているのに、時折「どこか遠く」に心が誘われてしまう。どこにも行きたくない。ここにいたいわけでもない。口実のある旅は、そんな気持ちの人のためにある。

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