数年前に子どもにせがまれ、海に行くことになった。
記憶している限り、水着なんて小学校以来着ていない。なぜなら、自己認識としてのわたしは、容姿も中身も松本零士先生の漫画『男おいどん』の「大山昇太(おいどん)」なのだ。かわいらしい水着を着て良いのは、ヒロインだけ。悩んだ末にいつかのアニメ『それいけ!アンパンマン』で、ジャムおじさんが着ていたようなラッシュガードを買ったのだった。
子どもたちと全力で遊びながら、イチャつくカップルを遠巻きに見た。美男美女だ。年は、大学生くらいだろうか。ビキニを身につけた女の子は、化粧が崩れていない。髪も濡れていない。もしかしたら彼らは海で泳いだり潜ったりしないんじゃないだろうか。
と、目の周りにゴーグルの跡をつけた「おいどん」は察知したのだった。
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2019年8月11日(日)は、石巻の長浜海岸にいた。
わたしはclassの『夏の日の1993』を思い出していた。J-POPのなかでも大好きな1曲だけれど、歌詞を見てみると、わりととんでもない。「知らなかったけど、君って脱いだらとってもセクシーなんだね、恋しちゃったよ」みたいな、どスケベソングだ。良い。
ここは、海。あの日見たカップルや『夏の日の1993』。彼らみたいに10代20代を過ごせていたら、と憧憬の念を抱く。今からでも遅くないのだろうか。アパートメントの連載では、こじらせ気味になっている心の機微を見つめようと決めてみたけれど2週目にしてしんどさを感じていた。本当は、小難しいことは苦手だ。『夏の日の1993』くらい欲望のおもむくままに文章を書きたい。
そんなことを考えながら、わたしはやっぱりラッシュガードを着ていた。写真に撮るのは、浜辺に打ち上げられた魚の死骸。いまも「おいどん」は、「おいどん」のままなのだ。
わたしも、「トビウオ」になりたかった。
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ところで、この記事を書くために今一度『夏の日の1993』の歌詞を見直そうと思い検索してみると、新たな発見があった。2008年12月3日に『冬の日の2009』という続編的な曲がリリースされていたのだ(ぜひ、聴き比べてほしい)。
あの日恋に落ちた僕と君は、おそらく、付き合っていた。歌詞によると「いくつになっても変わらない」そうだ。ただし、「Love」は「すれ違う」という意味深な終わり方。
おいどんは、朝から妄想を膨らませてひとりPCを前にニヤついている。