無知は、生きづらさを作る。
「そんなことは、あり得ない」
そう大人は言うけれど、果たして本当にあり得ないかどうかなんて
世界の誰もが全く知らないことだ。
「そんな人は、どこにもいない」
そう大人は言うけれど、果たして本当にどこにもいないかどうかなんて
発言した人は全く知らないことだ。
本当は、ここにいるのに。
僕はそうやって、息を止める人生を過ごしてきた。
誰かの真似をするように、そっと息を潜めて、上手に浮かんでいる人々を眺めていた。
抱えきれないほどの砂が入った袋。
それは正しかったことなのか、今でも分からない。
だけど、それは当時の僕に出来る最大級の生きる術だったのだ。
今の僕は、あの頃の僕になんて声をかけるだろう。
無知は、生きづらさを作る。
世界が狭かった小学生の頃。
何も知らなかった中高生の頃。
こんなにも大きな世界で、たった1人ぼっちだと思っていた。
僕の声なんて、誰にも届かないと思っていた。
世界が大きいということを、大人になってから知るのだ。
あの頃には全く知らなかったことを、大人になってから知るのだ。
なんて皮肉なことなんだろう。
あの頃の僕にもう少し知識があれば、あの頃の僕の生きづらさはもう少し減ったかもしれないのに、と。
視野の狭さは、沼の中の水中ゴーグルみたいなものだ。
大人になればゴーグルがなくても泳げるのに、子どもの頃はゴーグルをつけなければならない。
ゴーグルをつけた世界は淀んでいて、選択肢はあまりにも少ない。
無知は、生きづらさを作る。
子どもは思っているよりも、賢い。
子どもは思っているよりも、聡い。
それは、大人が子どもを経験しているはずなのに、何故か大人は忘れてしまう。
今の僕に出来ることと言えば、今の子どもたちが着けざるを得ないゴーグルの外の世界を
見せてあげることなのかもしれない。
それは到底難しいことだということくらい分かっているけれど、それでもやってみたいのだ。
あの頃の僕を助けるように。
誰かの袋に、砂ではなくて空気を入れる大人になりたいから。