ぼうっと、生きることがどれだけ大切か。
すれ違う街の人々、過ぎ行く喧騒、いつもどこかで急かされているような気がする。
渋谷のハチ公、新宿のバスターミナル、上野の中央改札、待ち合わせの日々。
行き交う誰かを見て、ふと想う。
どうしてこうも、大人は忙しなく動いているのだろう、と。
僕は、煩いのも忙しいのも苦手だ。
制限時間があるテストは嫌いだし、遅刻しそうな時間も嫌い。
東京は、誰かが何かを急かしているような気がする。
携帯電話響く怒号、チカチカ点滅する信号、足を取られて滑る転倒。
朝起きると、窓ガラスが結露していた。
冬の気配を感じる午前6時、布の温もりを感じる午前8時。
こうして時間は過ぎていくのだけど、何故かあんまりにも時間がもったいなく思えて
もう少し待ってくれてもいいんじゃないかって思うのだ。
来週で、このアパートメントを去ることになる。
抱えた生きづらさが詰まった袋の中身は、砂から少しずつ空気になっていった。
僕の中に潜んでいた数々の思い、表現されないままに砂に埋もれていた言葉を
アパートメントの一室で、一つずつならべていけば、僕の砂袋はどんどん、透明になっていった。
だけど、砂袋は浮き袋になったわけじゃない。
そんな袋を抱えながら、ゆらりゆらゆらと、世の中という沼を彷徨っている。
もっとゆっくりでいいのに、もっとゆっくりでいいのに。
時が経つのが早くなる、それは大人になればなるほど早くなる。
どうしてここまで来てしまったんだろう、と後悔するとき、それは生きづらさの袋を見てしまうとき。
俯いて袋を見てしまえば、それは沈んでいく一方だけど
ふと見上げれば、アパートメントで見えた景色が広がる。
生きづらさを抱えて、その袋に詰まった砂が、空気になってほしい。
浮き袋にしようとして、僕は文章を書いてきた。
果たしてそれが実現出来るか分からないけど、この文章を読み続けてくれた誰かに
僕の想いが届いてくれたら、と思う。
なんだか最終回のようになってしまったけど、それは来週のお楽しみだ。
終わってしまうのはなんだか寂しくて、やっぱり時が経つのを恨んでしまう。
僕にはやりたいことがたくさんあるのに。やらなければいけないことがたくさんあるのに。
どうしてこんなにも早く、時が過ぎ去ってしまうのだろう。
また、そんなことを思いながら、僕は立ち上がるのだ。
完全に砂が空気になることはないだろうけど、大きく息を吹き込むのだ。