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2F/当番ノート

暮らしのノイズ1:家にいる日のお弁当

当番ノート 第49期

朝が苦手というよりは、夜のことが好きすぎるのかもしれない。人びとがみな寝静まっていて、気配がない。守られた部屋の中で、この惑星の中でたったひとり、わたしだけが起きているような錯覚。朝よりも、昼よりも、自由をゆるされているようにもおもえる。わたしをとがめるすべてのものも、きっと眠っているような気がするから。

家で仕事をするようになってから、前よりももっと起きるのが下手になった。身体がベッドの底に沈んでいて、目が覚めてからもしばらく起き上がることができない。ふだんはっきりとした夢を見るせいか、現実との境目がよくわからなくなるときもある。そんなふうなわたしでも、人と暮らしはじめてから、相手のためにお弁当をつくろうとしたことがあった。その行為は、明らかな愛のように見えたからかもしれない。だけれどそれが1週間もつづかなかったことも、じぶんの想定の範囲内だった。

小さいころ、母親が突然お弁当をつくってくれたことがあった。部屋の中にシートを引いて、ピクニックのようにしてふたりでそれを食べる。もしかしたら、わたしがそんなふうにしてほしいとお願いをしたのかもしれない。まだ幼稚園へも行かない日常の中の、とつぜんの非日常。なんにもない日にたべたお弁当のことを、今でもおぼえている。

大人になり、すこしずつ暮らしの型がさだまっていくけれど、いまのわたしにはそんなふうな非日常が必要のような気がしている。しいていえば、ノイズのような、エラーのような。ふだんやらないことを候補に出して、ひとつずつやってみることを考える。ノイズとは、だれもが知っている通り、「まぎれ込んだ無関係なデータ」のこと。もっとわるい意味もあるようだけれど、それ以上のことではない。つまりは、あのときのお弁当のような非日常。このエッセイは、それらをやってみた記録とするつもり。

会社で働いていたころ、わたしはお昼ご飯をあまりたべなかった。血糖値が上がり眠くなるのがいやだったこともあるけれど、さほど話をしない人と一緒にたべるのが苦手なことも、理由としてはあったかもしれない。朝しっかりたべてくるタイプだとうそをついて、わたしは毎日だれもいないところに本を持って向かった。同僚に見られたときにもつじつまが合うように、お弁当は持たない。ときどき、ジャーにスープを入れて飲むくらいだった。

暮らしのノイズを実行するために、まずはあの時と同じように、どこにも行かないのにお弁当をつくろうと決めた。冷凍している白ご飯をチンして、お弁当につめる。腐りかけの豚肉を油を引いたフライパンの上に並べて炒め、しょう油、みりん、酒、砂糖、しょうがのチューブをまぜたものをからめた。皿に取り出して、フライパンの表面をさっと洗う。にんじんを皮をむかずに千切りにして、同じフライパンで、ごま油で炒める。火が通ったところでスプーンでほぐしておいた明太子をさっとまぜて、終わり。卵を2個割って溶き、冷めても水っぽくならないように水を入れずに顆粒だしとしょう油を加える。だれも見ないのだからと適当に巻いて、皿に取り、切るためにしばらく粗熱を取る。ピクルスにしておいたセロリがあったことを思い出して、冷蔵庫から出す。彩りのために入れたかったミニトマトは、冷蔵庫になかった。

すぐ食べるのだから、完全に冷ます必要もない。 ひとつずつ具材を詰めていき、お湯を沸かし、水筒に温かいお茶を淹れた。コールマンのチェアを押し入れから取り出して、ベランダに出す。きのう買ったばかりのみかんもデザートとして持っていった。

冬の奇跡みたいにあたたかい日。コートがいるかもしれないとおもったけれど、必要なかった。光が差し込むベランダで、お弁当を開いて、食べ始める。キッチンで見ていたときより、ずっとお米やおかずが光ってみえる。時折電車の走る音がきこえた。注意深くそれを聞いていると、駅をでて、わたしの暮らすマンションのあたりで速度を上げていく。仕切りのせいで座ると空しか見えないけれど、考えようによっては天空でお弁当をたべているようにもおもえる。どこからどう見ても意味のない行動で、わたしはすこしひとりでほほえんでしまう。となりの人がベランダに出てくる様子があれば、気づかれないように物音を立てず、静かにした。なんにもない日にベランダでひとりお弁当を食べている隣人というのは、奇妙だろうな。

ノイズというものは、性質や内容に影響を与える恐れもあるらしい。この行為がそんなふうにじぶんへと作用したら、どのようになるのだろう。部屋の中にもどり空になったお弁当を水につけて、何事もなかったかのようにわたしはまた、日々の暮らしの続きをはじめた。

冬日さつき

冬日さつき

校閲者、物書き。
新聞社やウェブメディアなどでの校閲の経験を経て、2020年からフリーに。小説やエッセイ、ビジネス書、翻訳文など、幅広い分野に携わる。「灰かぶり少女のまま」をはじめとした日記やエッセイ、紀行文、短編小説などを電子書籍やウェブで配信中。趣味のひとつは夢を見ること。

Reviewed by
Maysa Tomikawa

 お弁当、最近食べてない。普通に会社勤めしていたときは、お弁当を毎日持参していた。さして親しくない人と一緒に食事するのが少し苦手で、お弁当を持っていくのは、一緒に休憩にいくのを断る口実だったのだ。避けたいことは冬日さんと似ているのに、やっていることは反対なのが面白い。


 手作りのお弁当って、実はとても特別なものだ。作ったり食べたりすることに慣れてしまえば、当たり前の生活の一部になるけれど、それが習慣化するまでは、なかなか軌道にのせるのが難しかったりする。
 誰しもがお弁当に関わる思い出(それが良い悪いに関わらず)を持っているのは、手作りのお弁当には手間がかかること、そして、食べるものを作る、もしくは作ってもらうという、人間の根源的な営みの重要性を理解しているから。(なにせ、わたしたちは食べたものでできているのだしね。)
 だからこそ、どこにも持っていく必要のないお弁当を作るのは、より一層特別な気がする。自分のためのお弁当。冬の日のベランダでなんて、もっともっと特別だ。わたしだったら、もしもお隣さんがベランダでお弁当を食べてる気配を感じたら、絶対に興味津々になってしまう。どんな人なんだろう、今日ご機嫌なのかな、もしくは気分転換してるのかな、どんなこと考えてるのかなとかって、色々空想してしまう。きっときっと、お隣さんの日常のノイズに静かに影響されていたと思う。だって、正直に言うとね、すでにベランダ弁当済みの冬日さんが、なんだかとても羨ましかったりするから。

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