脱いだ靴がバラバラになる。
授業の開始時間が数分遅れる。
気がつけば買ったじゃがいもは芽を生やしている。
お酒を道の真ん中と電車で飲んでいる。
脱いだ服は床に散らばるばかり。
(気が向いて、脱いだパジャマを畳んだいつしか昔には母親から「今日自殺するんじゃないかと思った」と驚かれる。)
アパートメントで書きませんかというお話を頂いてから、書くテーマを考えていた。ヨガと演劇と療育、これが自分の生活の多くを占めるカテゴリーであり、それについて書こうかなと考えた。ただ「領域」で区切るのはもったいないような気がしていた。
「勉強しようと机に向かったはずなのに整理整頓が始まる」現象が不思議。あとから振り返れば、本当にしたかったのは勉強ではなく整理整頓だったんだなあ…と、綺麗に片付いた部屋と白んだ空を眺めてそう感じる。決して最初は”そういうつもり”ではなかったにしても、自然とそちらに風向きがあることに次第に導かれていく。
「自分で選んでいる」という確信を持てる事象って気持ちいいし、格好いい。第一志望が叶って入学できた学校、欲しかった服や靴、望んで授かった子ども。
ただ、ですよ。暮らしの中には「選んだはずじゃないのに、気づけばそうなってしまっていた」ことが多すぎる。
意図せず辿り着いた結果の延長線上に今の自分があるということを思ったときに感じいるのは、変なの、ってこと。思い通りにいったことなんて、ほとんどないけれども、そうやって気がつくと「そうなっちゃった」っていう毎日に運ばれてることは「へん」なのだ。当たり前のような顔をしているけれども。
というわけで、おもしろいことは【自然とそうなった】の中にあるんじゃないでしょうか。そういうわけで8回の連載で書くことはこれに決めました。
背伸びしたけりゃすればいいけれども。できるだけ等身大で。
どうぞこれからよろしくお願いいたします。