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2F/当番ノート

役者をやろうとしていた

当番ノート 第51期

北鎌倉に来る少し前まで、役者の活動をしていた。

稽古をして小さな舞台に立ち、演技を本格的に学ぼうとプロの役者を育てる学校に通っていた。


その学校は、ほぼ一人の先生が支配する独裁国家のような環境で、その先生から言われる指摘がそれはまぁダイレクトだった。

普通の会社で口にしたら、パワハラと言われるような言葉が授業中飛び交っていた。

人間性を否定されるようなことを言われるというか、

「お前の人間性がダメだから役者なんか絶対無理だぞ」という直球の否定ボールを平気で投げてきた。

そしてそういうボールを、「演技が上手くなるために先生が怒ってくれてるんだ」とか「自分のためを思って言ってくれている」と変換できるような子達が生徒として残っていた。


普通に心が折れるし、

一方的に怒鳴ってくるので、お互いの認識のズレがあると思って口を開くと、「言い訳する役者は切られる」とそればかりだった。

今思えばだいぶおかしいと思うことも、渦中にいるとなかなか気づかなかったりする。


演技のためだとか思って、これでいいんだと思い込もうとして、頭を麻痺させていく。

でも完全には麻痺させられず、教室での自分の偏ったキャラ付けに閉口して、先生におそるおそる正直な思いを打ち明けたことがあった。

しかし、それをきっかけに先生と軋轢が生じ、結果学校にはいられなくなって辞めた。


辞めたのをきっかけに、

これまで色々と無理をして頑張ってきた自分のリズムが一度崩れ、

学校とフルタイムの仕事を両立させてきた体への負担と、精神的なストレスが心身に一気に表れはじめた。

その後、半年間ほど断続的に病気や体調不良になって、今に至る。

今、少し時間を置いて、環境も変わったからこそ、演技をしていた当時のことを落ち着いて振り返ってみる。

あの環境はとても苦しかった。

だけど、演技の勉強面では、人との関わり方を見つめ直すきっかけになった。


よく「相手を見ろ」と言われた。

それは相手の顔をよく見ろというわけではなくて、

相手がどういう気持ちでいて、言葉以外の表情とか動作から、どんな言外のメッセージを放っているのか、それに気づきなさいと。

話している内容とか情報ではなく、相手の「気持ち」を受け取って、

それにどう思ったのか自分の気持ちを返しなさいと。

演技だから相手は分かりやすいメッセージを送ってくれていたと思うけど、最初私は全く読み取れなくて、日頃いかに相手を見れていなかったかに気づかされた。

演技は隠しようもなく、自分の素の人間が出てきてしまうもので、もはやこれは演技云々ではなく、自分がこれまでぶつかってきた生きづらさとも直結しているような気がした。

先生の指摘の仕方は理不尽ではあったけれど、言わんとしている方向性からは、気づかされるところが多かった。


コミュニケーションって、誰から習うものでもない。

生まれ育っていく過程で、なんとなく身につけていくのだと思うのだけど、このコミュニケーションの癖みたいなのは誰でもある。

でもそれが偏りすぎたりすると、時に苦しくなったり、痛い思いをしたり、

思うように物事が進まなかったりする。


そんな思いをすることがよくあったから、これは自分自身の問題として、捉え直してみてもいいのかもしれないと思った。


自分がつまづいている何かってなんだろう。

自分は、何を考えて生きているんだろう。


自分の内面を見つめてみる方法として、カウンセリングという選択肢を選んでみることにした。

自分を知るということにポジティブな好奇心もあったけれど、いざ通い始めると、

自分にとって一番のパンドラの箱を開けてしまったような気がした。


意識にのぼっている自分と、

無意識下の自分。

無意識の自分は、生まれ育ちや様々な体験から、自分の中にしっかりと根を張っていた。

樹木の根が地中に張られていくように。


カウンセラーとの地道な対話を通して、自分を知る、自分のありのままの心の声に気づいていくという作業は、学校と並行して1年半近く続いた。

そして学校では、台本の登場人物の気持ちをうんうんと唸りながら考えて、演技でどう表現するか練り、

相手役と対峙した時には相手の微妙な仕草表情から心情を読み取り、それに反応する。

学校でその作業に心血注ぐことは、とことん「人として生きること」に向き合うことだった。


そして教室を出たら、人間関係の悩みや日頃感じていることを飾らず、ありのままにカウンセラーに話すことで、

「私なりの生きる」という状態に消化されていった。

たぶん学校で罵声を浴びていただけでは立ち直れなくなっていたけれど、

苦しみながらも気づいた自分のつまづきを立て直せたのは、

そうした対話を通した自分の見つめ直しと、カウンセラーの導きだった。


自分自身にちゃんと気づき始めて、自分を育て直すことに真剣に向き合い始めた頃、学校を辞めた。

そして、今は生活する環境を変えて、自分を生き直し始めたばかりだ。


前と比べると、生きることが随分と楽になっている気がする。

肩に力が入っていることが前よりも減った。

何が大事で、どう生きていきたいのかをイメージして、

ありのままの自分に向かっていっている気がする。


そして、台本上の世界ではなく、自分自身の人生を幸せに生きたいと思うようになった。

自分のイメージする方向へ、もう歩いていけるような気がする、いや自分で歩かせてほしいと思うようになり、カウンセリングも卒業をした。

これから、自分がイメージする自分に、どんな風に自分を近づけていけるのか、それともまた新しい自分になっていくのか、わくわくしている。

その過程でうまくいかなかったり、時間がかかったりすることもあると思うけど、それも含めて楽しんでいけたらいいなと思っている。

yuka

yuka

3年前、鎌倉への憧れから、当番ノートで鎌倉旅について綴りました。
そして今、山と緑の多い北鎌倉で暮らしはじめました。
今回は鎌倉に移り住むまでのこと、北鎌倉での暮らしなどについて書いていきたいと思います。

2017年当番ノート『群青色の街』
https://apartment-home.net/author/anny/

Reviewed by
中西須瑞化(藤宮ニア)

>相手がどういう気持ちでいて、言葉以外の表情とか動作から、どんな言外のメッセージを放っているのか、それに気づきなさい
>それにどう思ったのか自分の気持ちを返しなさい

コミュニケーション。一言でいうと随分安っぽく聞こえる。簡単な、あるいは難解なことのように思える。
だけどすべてのことが、生きていくという中のすべての関わり合いが、これらの繰りかえしなんじゃないか、と思う。

yukaさんの当番ノートは、yukaさんの人生のための、そしてそれに触れた誰かのためのものなのかもしれない。
活字で交わることの多い今だからこそ、わたしたちはもっと、自分にも他者にも注意深く眼差しを向けることが大切になる。

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