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2F/当番ノート

ドリフター /ビクトリア,カナダ

当番ノート 第53期

「ビクトリアは天国だ」と、会議の受付をしていたカナダ人が言った。

カナダ西海岸の南端にあるビクトリアは、カナダのあらゆる都市の中で最も気候が穏やからしい。緯度でいうと北海道よりも北にあり、10月下旬の気温は東京の12月はじめほど。しかし師走の喧騒はなく穏やかな秋である。

ビクトリアではこれから冬を迎えても、川が凍ることも、雪に閉ざされることもない。そのカナダ人によれば、内陸では冬、人家のない雪原で車がエンストした場合、死を覚悟しなければならない。防寒装備が十分でも、助けがやってくるのが遅ければ命は無い。そんな死と隣り合わせでもない土地ならば、この国では天国なのだろう。

ビクトリアは仕事でたまたま訪れた見知らぬ街だった。ビクトリア大学があることだけ知っていた。音楽学部があり、カナダを代表する作曲家を何人も育てている。

ビクトリアの中心街から大学までは7kmほど。島を北東方向に横切った反対側にある。仕事終わりに見物しに行くような距離でもないのだけれど、とりあえず街を東に向かって歩くことにした。ビクトリア大学出身の作曲家Linda Catlin Smithの“Drifter“を聴きながら。

ビクトリアの中心街は市の西岸、港湾を囲んでリゾートホテルや英国調の古い街並みがあって、観光客が行き交っている。その外側にチャイナタウンや新しい商店街、アパート、オフィスビル、教会や病院などの公共施設が林立して、買い物客や観光客が往来している。そのさらに外側、郊外の住宅街まで歩くと、建物の背が低くなり、幅広な道路には車も人もほとんどいない。曇り空がよく見える。人家からの音もなく、街全体が空から音が聞こえるのを待っているように密やかである。

10月のビクトリアは曇りが多いらしい。この日も雨の後ずっと曇り空で、緯度のせいなのか太陽も終始低かったが、不思議と景色は明るかった。雨上がりの冷涼とした空気に、雲間から澄んだ光が射していた。郊外の道路のアスファルトはいかにも手入れが不行届きで、波打ち、燻みきった鼠色をしていたが、纏った雨水に斜めに射した太陽が白く、みずみずしい輝きで散らばっていた。

郊外の街路樹は低く、まばらだが、その代わり視界に赤黄色に色づいたメープルの木の姿があちこちに見える。足下では大小のメープルの落ち葉、茜色、黄色、茶色、いくつかの種類が混ざって風に流されている。風の流れに澱んだり、流されたり、落ち葉が追いかけ合うようにして運ばれていく。

歩きながら、この静かな路上で繰り返される、落ち葉の競争の風景が、聴いていた“Drifter“の景色そのものに思えた。作曲家本人も見ていただろう、カナダの秋の印象。

ビクトリアの東岸まで行く道の中程まで歩くと、住宅街の只中にArt Greater Gallery of Victoria(=「ビクトリア美術館」)という美術館がある。落ち葉の景色を見ながら、ビクトリア大学の方までわざわざ行って見るべき景色はすでに見られたような気になっていた僕は、閉館時間までそこで過ごして引き返すことに決めた。

小さな美術館は木立に囲われ、茶色い落ち葉に埋もれていた。積もった落ち葉を踏む音を聞くと、人生で一番古い、鮮明な記憶を思い出す。幼稚園の遠足で、町外れの山に紅葉狩りに行った。僕は手当たり次第に落ち葉をひとところに集めていたが、足下の地面だけ土が露出して、辺りは見渡す限り落ち葉の色のままだった。目に見える全ての落ち葉を集めることが不可能だと気づいた時、空や大地が自分より遥かに大きなものなのだと初めて理解した。あの時の落ち葉も、確か今踏んでいるような赤い葉で、ザクザクと音を立て割れていた記憶がある。落ち葉の破片が手袋の毛糸を間を縫って掌に刺さって痛んだ。

ビクトリア美術館のコレクションルームには、ビクトリアで生まれ育ったカナダを代表する画家、エミリー・カーの絵画があった。

エミリー・カーは、カナダ西岸の先住民の文化や彼らが暮らす自然の風景に天啓を受け、ビクトリアの自宅で孤独に画業を続けた。彼女が描いたのは、この辺りの景色ではなく先住民の住むもっと北の景色なのだろう。太く力強い杉の木。深い針葉樹の森。トーテムポール。それらが、深い青や緑の色使いや、弾むような曲線で描かれて神秘的な迫力を湛えている。

それにしてもメープルが描かれた絵は一つもない。

他の企画展示室に向かう廊下を進むと、裏庭を見渡せる開けた一角があった。

壁沿いに展示ケースが並んでいる。飾られているのは明らかに日本の中世のものである甲冑、刀剣。窓側には大きな山車が剥き出しで置いてあり、窓の外に目を向けると、ベランダには盆栽が並び、庭には祠のようなものまである。常緑のマツやケヤキの盆栽に囲まれて、一つだけあるイチョウの盆栽が、鮮やかな黄色に色づいている。

唐突な光景に面食らっていると、しまいにどこからか日本語が聞こえてくる。声のする方へ行って確かめると、教室のような部屋の中で2、30人ほどのご老人方が「コレワ イクラ デスカ」などと合唱している。

狐に摘まれた心地で受付まで歩いて行ったら、窓口のおばさんが話しかけてくれた。

「あなた、どこからいらしたの?」

「東京です。美術館で日本語の講座を開いているんですか?」

「ご近所さん方が練習しているのよ。来月、日本に団体旅行するのよ!それでお買い物の時に使う言葉なんかをね。ねえねえ、この子東京から来たって!」

「あら、飛び入り講師をしてくれてもいいのよ!」

講師をするのはお断りしたが、おばさんはビクトリア美術館がとくに東洋美術のコレクションに力を入れていることを教えてくれた。日系移民や中国系移民がカナダに最初に上陸したこの地域の歴史を踏まえてのことなのだろう。

でも、今度の東京旅行は別に日系移民どうこうは関係なく、ただの観光らしい。紅葉の季節、わざわざ気候も似ている時期に行くのだろうか?

カナダに来て最初にメープルを見たときに漠然とあった違和感が、唐突に目の前に現れた日本からの渡来品のおかげではっきりとしてきた。あの葉っぱはどこかで見たことがある気がする。

道端で撮った写真を見返してみると、写真のメープルは、カナダの国旗のゴツゴツしたメープルの葉とは全く様子が違う。国旗の葉っぱはカナダの東側に自生するシュガーメープルがモデルだから、違うのは仕方ないのだが、それにしても既視感が強い。

調べてみると、わざわざビクトリア市街の街路樹の種類を一本一本記録している人がいて、その記録によれば僕がビクトリアで通った道にあったのは真っ黄色のヨーロッパのセイヨウカジカエデ、真っ赤なアメリカ東海岸のレッドメープル、そして日本でよくみるイロハモミジ。カナダ西岸に自生するメープルは一種類も見ていない。

なぜビクトリアの街路樹は外国産のメープルばかりなのだろう。

日本の街路樹で一番多いのはイチョウらしい。明治以降に街路樹として植えられ始めたサクラ、クロマツ、ヤナギに比べて耐火性、防火性に優れたイチョウは、東京を焼け野にした関東大震災を機に街路樹として普及していった。元々中国から人が伝えたもので、日本の在来種ではない。

僕の故郷の熊本の街にもイチョウがあふれていて、大きな通りには決まってイチョウが並んでいた。秋の通学路は、自転車を飛ばして大通りに滞留する黄色い葉と銀杏の実の悪臭を振り切り、猛スピードでイチョウがない路地に突っ込んだ。熊本城の下には大銀杏があって、それゆえかイチョウは市木にもなっているし、あんなにイチョウが生えていたのはその機能ゆえなのか、アイデンティティなのか。

そんなことをモヤモヤ考えていると、落ち葉を踏むと鮮明に想起されるはずのあの記憶も、幼い目に映っていたのはモミジの赤やオレンジではなく、辺り一面イチョウの黄色の景色だったように思えてくる。

同じ日の夜、教会でJeremy Dutcherのコンサートが開かれた。

Jeremy Dutcherは、カナダ東岸の先住民マリシートとしての出自を持ち、カナダ東岸のハリファックスにあるダルハウジー大学でオペラの歌唱法を学んだ。ただし、彼が歌うのはマリシートの人々の、彼らの言語の歌である。絶滅の危機に瀕した言語の、継承も絶えて久しい歌を博物館のアーカイブから蘇らせる。この日はJeremy がピアノで弾き語り、チェロとパーカッションが伴奏する、という編成だった。

「みんな歌詞の意味は分からないと思うんだけど……次の歌の歌詞を翻訳すると、『ようこそ、ようこそ、ようこそ、そしてようこそ』だね。」

そう言って、テープレコーダーのスイッチを押すと、何十年も昔の録音だろうマリシートの歓迎の歌が再生され始める。おそらく伝統的な発声による祝詞のようなその歌に、Jeremyが西洋音楽の歌唱法で追唱し、次第に伴奏が加わっていく。

最後の曲が終わると、観客はいち早く立ち上がり、笑顔で掌を叩いていた。歓声が飛び、涙を流している人もいた。

ビクトリアから大陸の遥か対岸、カナダ東岸の先住民の古い歌を、オペラの歌唱法で歌う。言葉にしてみると奇妙にも思えるけれど、Jeremy の力強い歌声は観客の心を打ったのだ。

歌声は足下深く張った樹根から汲み上げているように、この大地と分かち難く、瑞々しい響きで教会を満たしていた。

Kazuki Ueda

Kazuki Ueda

市井の音楽愛好家。
八代生まれ熊本育ち。
母方はメロン、父方はワイン。時々映画、頻繁に美術。

Reviewed by
もりやみほ

埋め込まれたyoutubeを聞きながら、上田さんの記事に描かれた記憶の色を読んでほしい。
湿気を含んだ冷たい空気に、茜色、黄金色、温かく色づくメープルの木。そうかと思えば、美術館に入ると闇が近づくような深い青が表れる。上田さんが見ていた色が、流れてくる音楽に乗って、まるで映画を見ているように目の前を彩る。

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