小学校の入学式で初めて目にした同級生・Uの姿は、幼い私には別世界の住人のように感じられた。日に透けると赤みを帯びる柔らかそうな長い髪、白い肌、整った目鼻立ちにすらりと伸びた腕と足――平たく言えば美少女である。比喩としては陳腐だが、「こんな人形みたいな女の子、本当にいるんだな」という印象だった。
一学期が始まると、休み時間には彼女の周りに人垣ができた。そりゃ、美しいものは間近で眺めたいだろうし、あわよくば仲良くなりたい気持ちも何となく分かる。とはいえ地味さと話し下手を自覚していた私は、その様子を遠くから眺めるだけだった。
次第に彼女は美しい容姿のみならず、身体能力の高さや、学力の高さも発揮していった。おまけに明るくてよく笑うが、我が強いわけではない。好印象にならない方がおかしな話だ。あっという間に人気者になり、級友たちからお姫様のように持ち上げられるUの様子を、私はやはり、遠巻きに眺めていた、別世界を傍観するような気持ちで。
「明るいけれどどこか楚々としているクラスのアイドル、お姫様」と扱われ、私もそうだと思い込んでいたUの印象が、私の中で一変するできごとが起こった。昭和50年代である当時は、「男の子は好きな女の子をからかうもの。多めに見るのが女のたしなみ」という非常にばかげた言説が、今以上に強い調子でまかり通っていた時代である。スカートめくりだったか、所持品を勝手に広げられたのか、どちらだったかという記憶が曖昧なのだが(そうしたできごとが日常茶飯事だったせいもある、実に腹立たしいことに)、 Uは、彼女の気を引きたい男子のターゲットにされたのだった。 するとUはヘラヘラと悪気なく笑う男子に掴みかかり、怒鳴りつけた。
「お前に見せるためのもんじゃねえんだよ!!!」
スカートめくりなどの被害にあった女子がどんなに傷つき、泣いて大人に訴えたとしても、前述のような理由で微笑ましいできごととして処理されるのが当たり前であったころに、Uははっきりと不快感や怒りを表明したのだ。普段、笑顔を絶やさず友好的な態度を崩さないUが、である。根源に好意があろうが、故意に自尊心を傷つける行為は許される話ではない。自分を守るために抵抗を示した彼女を、私は「人間」だと強く認識した瞬間だった。Uは明るく可愛らしいアイドル的存在ではあるが、「偶像」としてのアイドルではなく、「人間」なのだ。彼女の態度に感服したのと同時に、別世界の住人のように見えていたUが、突然近くなったように思えた。感情を即座に認識できない性質や、適切な言葉を選ぶのに時間がかかってしまい、反論したくてもできないことがままある性質を持っている私は、Uに興味を抱き始めた。
とはいえこのころの私は「暗くて感じの悪い地味ブス」ポジションである。Uに話しかけようとしただけで、「お前ごときが」とばかりに、Uを取り巻く誰かにはねのけられる。ともすれば、あいさつを交わしたというだけで陰で嫌がらせをさせる。と、これ以上続けると恨み節が止まらなくなるので割愛するが、Uと私の距離は縮まることがないまま、小学1、2年生の時期を過ごした。
3年生になり、クラス替えがあったのだが、Uと私はまた同級生になった。嫌がらせをしてくる面子の多くが別のクラスになり、ほっとしていた私に、Uの方から声をかけてきたのだから「暗くて感じの悪い地味ブス」ポジションの私は驚いた。それまで私はUを苗字にさん付けで読んでいたのだが、Uはそれをやめてほしいと要求してきたのだ。
「私は“希望”と呼び捨てにしているのに、希望は私にさん付けをしてるでしょ? 上下関係があるみたいで、実はずっと嫌だった。これからいろいろ話したいし、できれば私のことも呼び捨てにしてくれないかな?」
さん付けが「ずっと嫌だった」というのもまた驚いたのだが、続く言葉を聞いて、私は腰を抜かしそうになってしまった。
「1、2年のとき、みんなにいろいろ言われていたみたいだけど、私、希望のことをブスだって思ったことない。綺麗な子だなってずっと思っていた」
クラスのアイドル的存在が、 「暗くて感じの悪い地味ブス」ポジションの私をそんなふうに思っていただなんて、誰が想像できようか。
相変わらず彼女は人気者であるし、クラスの人数も多かったから、いきなりべったり仲良くなったわけではなかったが、それなりに交流するようになった。よく冗談を口にして相手を笑わせるのが大好きな、ユーモアとサービス精神が旺盛な人物と判明したのも、私にとっては意外な発見だった。彼女とは、雑誌で連載していたギャグマンガの貸し借りをしたり、お笑い番組の話で盛り上がることが多かった。ちなみに後年、情報の少ない田舎ではなかなか手に取ることができない雑誌『宝島』の存在を私に教えてくれたのもUである。
同時に彼女は、私の意見や価値観を尊重し、面白がってくれた。もし私が誤った見解を示したとしても、なぜそこに至ったかという私の持論に耳を傾けてくれ、「なるほど、そういう見方もできるよね」と理解を示そうとしてくれるから、こちらとしても彼女の視点を知りたくなる。成績だけでは見えなかったUの頭の良さが感じられて、面白くてたまらなかった。交流を深めるごとに、彼女に対する「愉快なおなご」の印象も深まっていった。
以前と違って、Uから私に声をかけてくれることが格段に増えたのは嬉しかったのだが、やはり地味な私が美少女Uと仲良くするのが面白くない、という層が発生。 そのため私は「暗くて感じの悪い地味ブス」から、「美少女にまとわりついておこぼれをもらおうとする地味ブス」にクラスチェンジした。念のため書いておくが、私の思い込みではなく、実際何度となく言われている。え、おこぼれってなんだよ、むしろ「美少女と仲良くすればおこぼれがもらえる」 というその発想が(以下略)と、当時から疑問であったし今でも分からないのだが、確認する気はさらさらない。なので、そうしたやっかみを無視していたら、また嫌がらせを受けるようになった。が、えーんごめんなさーい! なんて泣きながらUとの付き合いを私がやめるとでも思ってんのか? バーカバーカと心の中で悪態を付き、自宅でデスノート的記録をしながら生き抜いた。
ついでに、4年生になってからの担任は、嫌われ者の私をいじるとクラス中がどっかんどっかん大ウケするとに気づき、めったやたらとつるし上げるようになる。「先生がそれぐらいするのなら」という発想なのか、嫌がらせも激化した。
(べったり一緒だったわけではないことと、嫌がらせの手口が陰湿だったこともあり、Uは私がそうした目に遭ったことを認識していなかった。担任のことに関しては、即座にかばえなかったことをUから謝罪をされたのだが、私としては「なんでおめーが謝るんだよ」という感想。なんも悪くないもんな、Uは)
そしてデスノートを書くのにもうんざりし始めた小学5、6年生のころ、惚れた腫れたの初恋話を、周りからちらほらと聞くようになる。
当然ながら、Uはモテた。普段仲良く話すこともある男子のみならず、意識したことがない他クラスの男子たちからも好意を寄せられる。そしてその表現は好ましいかたちであるとは限らず、受け入れがたい押しつけられ方をすることも少なくない。「人から好かれるのはいいことだ」などと漠然と思っていた私にとって、好意のように見える支配欲にも、Uが晒されている事実が衝撃だった。
そしてあるときUは、彼女を好きだという男子からの付きまといに遭ってしまう。放課後など、一緒に行動していると分かるのだが、おそらく50m以内、振り向くと必ずその男子の姿が確認できる状態なのだ。初めは「またいるなあ、よほど好いているのだなあ」程度に捉えていた私も、他人事ながらだんだん気味が悪くなってくる。当事者であるUはそれ以上の恐怖感を抱え始めていたようで、しかし勇気を出して「毎日後をつけるのはやめてほしい」と伝えたのだという。一度ならず、二度三度と繰り返し。ところが、それ以降も彼がUを付け回すのをやめる気配はない。
それだけではない。その何日後であったか、
「鈴木さあ、Uがモテるのがうらやましいからって、○○(件の男子)との仲を妨害するのはみっともないよ」
と同級の男子たちに私がたしなめられてしまったのだから訳が分からない。詳しく聞いてみると、「優しくて可愛いUが、自分にああいう態度を取るはずがない。嫌われ者の鈴木が人気のあるUを僻み、無理やり言わせているに違いない」と○○が邪推、それを聞いた男子たちが信じ込んでしまっていたのだ。
冒頭でも記したとおり、Uははっきりと自分の意志を表明できる強さを持ってはいるが、無駄に怒りをまき散らすような人ではない。低学年のころのような嫌がらせが減ったこともあり、彼女が怒りをあらわにすることは徐々に減っていった。それ自体は喜ばしいことではあるのだが、代わりに、ごく一部であったのかもしれないのだが、Uの存在が偶像化してしまったのだ。
もちろん、自分が濡れ衣を着せられたことも腹立たしかったが、ごく身近な存在であるUが、人間として認識されていないことに背筋が凍った。人目を引く容姿であるという理由で、あらぬ幻想を押しつけられ、意思を否定されているのだから。「美人はブスより楽勝人生だ」なんて絶対嘘だと私が思うのは、ブスポジションから美人のUを見てきたからだ。押し付けられる幻想、先入観の種類が違うだけで、人間扱いされていない点では同じではないか。
私だって、Uのすべてを理解しているわけではない。きっと誤解している点もたくさんあるし、知らず知らずに苦しめてしまう瞬間もあるかもしれない。でも、私は人間であるUが好きだったし、できる限り理解して歩み寄ったり、時には離れてでも尊重したいと思っていた。そんなのは勝手な願いだって分かっていたけれど、悔しくて悔しくてたまらなかった。
「付きまとわれて嫌な気持ちになって、直接言ったら怖い思いをするかもしれないのに、それでもちゃんと伝えようとUは頑張ったのに、なんでそんな話になるんだよ!? お前らちゃんとUの気持ちを考えようとしたか? 話を聞こうとしたか? だいたいUは私ごときの言いなりになるタマじゃねえ!! バカにするな!!!」
泣きじゃくりながら男子たちに必死の訴えをした私であるが、「短気な鈴木が訳の分からないことを言い出して泣いて暴れた」と周りに伝わってしまったうえ、担任にまで「Uさんがモテるから、地味な鈴木さんは羨ましかったのね」と解釈されてしまう。嫌われ者の主張なんて、そんな扱いである。
さて、担任教師ですらこんな調子なもので、児童たちはますます増長する。件の付きまとい男子は、私を見るや暴言を吐くのみならず、飛び蹴りや当身を食らわせてくるし、「Uちゃんみたいな賢くて可愛いこと一緒にいて、虚しくならないの?」と私に質問してくる無礼者も後を絶たない(ちなみにこうした質問は中学時代まで続いた)。腹は立つけれど教師たちはあてにできないし、学校でUと過ごす愉快な時間が大好きになっていた私は、欠席なんてしたくない。再びデスノートを付けながらも通学を続けていた。そのせいか、「鈴木はどんなに酷く扱っても大丈夫」と解釈する向きもあった。
それを私だけに向けていれば何事もなかっただろうに、ラインを見誤った人間がいたことを、私は後から知ることになる。
風邪か何かで私が学校を欠席した日のこと。Uに好意を抱き、私を嫌悪するクラスの男子が、Uにこんな言葉を投げかけたのだという。
「Uって美人だし頭もいいのに、なんでブスでバカの鈴木と付き合ってるの? ブスでバカの鈴木がかわいそうだから? Uって優しいね!」
きっとUを褒めたつもりだったのだろう、「哀れな人間を気にかけられる余裕のある素敵な人だね」と。ところがその「褒め言葉」が、Uの逆鱗に触れた。
「希望の良さを理解しようとする能力さえない人間が、思い込みでくだらない判断をして、私に押し付けるな!! 希望は本当に賢くて、本当に綺麗な人なんだ!! 私の感覚を否定するな‼ 今すぐ撤回しろ!!!」
その場に居合わせたクラスメイトたちからの伝聞なので、本人の言葉との差異があるだろうが、総合するとおおむねこのような内容であったらしい。偶像化されてしまうほど穏やかなUが、私への愚弄に対して怒りをあらわにし、「撤回しろ」と迫っていたことに驚愕した。
というのも、私は排除されることに慣れていた。前述した嫌がらせだって、親しくした相手に心を開いたら、いつの間にか靴隠しの犯人に仕立て上げられるなど、信用するなり利用されるというケースも多かった。単純な私を陥れるなんて簡単だっただろうし、「暗くて感じの悪い地味ブス」のイメージがあったからだろうか、私の潔白を、少しの可能性でも見出そうとする人はほぼいなかった。
「のんちゃん可愛いよね、賢いよね、大好き!」なんて言っている子が、「暗いし気持ち悪いよね」などと陰口を叩いていることも知っていた。だから、自分は「そういう人間」なのだと思い込もうとしていた。でないと、生きていけない気がしていたから。
でも、Uは違った。私に直接苦言を呈することはあったが、私に対する態度は一貫していた。例えば、「Uちゃんが希望のこういうところに困ってしまったらしい」という話を誰かから聞くことがあったとして、私が先に聞いている過去形の話であるがほとんどであったし、「Uちゃんがのんちゃんを否定する発言は聞いたことがない」そうだ。
……と、この流れであれば私が感動の涙をこぼす展開でもおかしくなかろう。話してくれたクラスメイトも、そう期待していたのだろう。しかし現実の私は違った。
「え⁉ 私なんかかばっても得しないのにねえ、Uってやっぱり変わってる! だから私はUが好きなんだよね! ……そっかあ、嬉しいなあ」
あっけにとられる周りの表情をよそに、私はにやにやと笑いながら言い放った。かつて「別世界の住人」に見えていたUに、いつしか私はゆるぎない信頼を抱いていたのだ。