みなさんこんにちは、イラストレーターの高松です。
この連載は神奈川県の西の、山の途中にあるあなぐらのような自宅にて、ボイスレコーダーに録音したトーク内容を書き起こして投稿しています。
全8回の2回目です。
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移動中は何もしていなくても許される気がする。
旅行に行くときはなるべく夜行バスを使う。座席が指定できる時は窓側を予約して、消灯になるのをじっと待つ。バスが高速道路に乗って車内が寝静まった頃、こっそりとカーテンに潜り込んで、窓の枠に肘をかけ頬杖をつく。オレンジ色の照明が次から次へと、一定のリズムで流れて行くのを目で追う。音楽を聴いている時もあるけれど、タイヤが路面を撫でるゴオオと言う音と、道路に均等に並んだ照明とすれ違う度にザアッザアッと空気が鳴っている感じ、そしてそのリズムを乱すようにトラックがバスを追い抜く音。そんなのを聴いてるだけのときもある。それだけで心地よい。
電車もなるべく各駅停車に乗って景色を眺めたい。でも都内では、スマホや本も読まずになにもしていない人は不自然だ、みたいな空気があるので、頑張って本を読んでみる。読書に没頭できる時もあるけれど大抵は2、3ページも読んだらもういいかな、となる。他人から、アイツ格好だけの読書だったな。なんて思われてないかなあ、とか思いながら本をリュックにしまって。結局ぼおっと向かいの窓の外を眺める。
たまに「なにもしない」をするためにわざと電車に乗ることがある。電車に乗ることが目的だから明確な目的地は決めない。気分が満足するところまで乗って、ここら辺かな。と直感にしたがって電車を降りる。
乗り物に乗っているときは、とりあえず「移動」だけはしているので、その他のことは全てがついでのことになるような気がしている。移動さえ出来ていればとりあえず大丈夫。そんな安心感がある。普段の生活の中で、はっきりとは意識していないけれど、生産性のない時間を過ごすなんてもったいない、という気分があって、そこから許されるために移動をしにいくのかもしれない。
実は最近引っ越したのは、そうやって「なにもしない」移動をするときによく降りていた駅。気分転換のための土地に住んでしまうのってどうなのかなと思ったりもしたけれど。自分の直感が度々選んでいたのだからと思って越してきた。
そんな訳か、ここではいまのところ、家の中でもぼうっと、なにもしない時間を持つことが出来ている。
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コロナもあるので、在宅時間を豊かにしたいなと思いつつ。
それではまた次週。
イラストレーターの高松でした。