みなさんこんにちは、イラストレーターの高松です。
この連載は神奈川県の西の、山の途中にあるあなぐらのような自宅にて、ボイスレコーダーに録音したトーク内容を書き起こして投稿しています。
全8回の3回目です。
先週の記事を書いている途中、そういえば生活の中で、習慣にしている事柄がいくつかあるということに気がついたので。今日はそのいくつかの中から白湯の話。
–
毎朝、白湯を飲むだけの時間を作るようにしている。
朝、空っぽの体の中に何かが入る。熱と一緒にいろんな感覚が内から外に伝わっていく。そして、だんだんに頭が冴えてくる。これを体と脳と感覚の全部を使って味わっていると、今日も生きるんだな。という感じになる。この時間は1日の中でもかなり大切で、大好きな時間だ。
朝起きたら、まず何よりも先に電気ケトルに水を溜めてスイッチを入れる。お湯が沸くまでの数分の間でトイレに行き、目覚ましと一緒にセットした洗濯機から3日分の洗濯物を取り出してベランダに干す。朝5時の外はまだ暗い。
キッチンに戻ると、グラスに1cmくらい水を入れ、沸騰したお湯を注ぐ。さすがに100℃の熱湯は飲めないので、水で温度を下げる。どのくらいの温度なのか測ったことは無いけれど、舌は付けられない、口の中が痛くなるちょっと手前くらいの温度。そのくらいにするのに、いま使っているグラスでは1cmくらいがちょうどいい。
自分の体の状態を頭の中でイメージしながら白湯を飲む。グラスに口をつける。暑くて唇が少し痙攣する。ふうふうと息を吹きかけると、熱い湯気が返ってきて顔全体を包んで気持ち良い。口の中にお湯が入ると、熱さで舌がすぐに喉へ追いやるので、最初に温度を感じるのは喉の奥の方。温度の塊が喉を通って胃に落ちるのがはっきり感じられる。胃にどんどんお湯が溜まってきて、体の中に湯たんぽができる。こんな映像を頭でイメージしながら、30分くらいかけてケトル1杯ぶん、ほとんどの白湯を飲んでしまう。
雑誌なんかでも、白湯の効能の特集があったりする。だから、この習慣はきっと良いことなんだろうと思うけれど、僕が白湯を飲み始めたきっかけは健康のためではなかった。
子供の頃から緊張しやすい性格で。中学生の頃、部室の鍵を取りにいくために、職員室で鍵をもらうのにも緊張して、胃が痛くなっていた。社会に出て働き始めると、当たり前のようにストレスは多くなり、胃がキリキリと痛むのは毎朝の事だった。この痛みをなんとかしたい、でも毎日薬を飲むのは嫌だな。と思っていた時に思いついたのが、熱湯を体に流し込む事だった。
まず熱さで胃の痛みがごまかされてよかった。お湯で胃液が薄まっていくような感じもした。体の内から熱が広がっていくのも、ストレスが解れて分散していくようなイメージを持つことができて結構楽になった。ストレスは無くならないけれど、体の感覚を全部使って、物理的にも精神的にも、お湯で溶かして薄めていた。
結局のところ、仕事は辞めてしまったのだけれど。白湯を飲む習慣だけは続いた。ストレスがあっても無くても、心と体に向き合う習慣を持つことができたのはとてもよかったと思っている。
–
あと、お酒を飲んだ後も白湯飲みます。「胃の中のアルコールたちよ早く蒸発しろー!」と念じながら飲んでいます。
それではまた次週。
イラストレーターの高松でした。