入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

いろんな時空間

当番ノート 第55期

mopoka です。家族旅行は、楽しいですか?

私は、家族で旅行に行くのが苦手でした。意味不明に毎度、家族を怒らせたり失望させるからです。

振り返って想像するに、私はとてもワガママで好奇心旺盛であり、大人の立てたスケジュールがどんなものかまるで想像もできておりませんで、なぜ「旅行」というものをすることになっているのか意味不明で、親心もまるでわからないので、急に学校みたいに、決められたルールに添う時間が始まる感覚でした。

もちろん、みたことない景色には喜び、はしゃぎますし、家族と一緒なので安心です。そうしてワーイと勝手に寄り道したり立ち止まったりするので怒られました。あーそうですか、言いなりですか、と嫌な感じで拗ねてると、「せっかく旅行に来たのに、そういう態度されるとホントがっかり」と言われ(そりゃ言うよね)、勝手に失望されることにもショックだし、楽しみたいのに周りに合わせた楽しみ方が幼すぎて分からないので反省の仕方も分からなくて、俯いて拗ねて一人で泣く、みたいなのが旅行のつきものなので、苦手でした。

いや、それだけじゃない。夜が怖いのです。

ホテルや宿で、みんなはグースカすぐに寝ちゃうけど、私はすごく視線を感じるので、みんなが寝ちゃうと私ひとりになっちゃうので、怖いのです。

「お母さん寝ないで寝ないで、怖いよぉ怖いよぉ」お母さんにしがみついて寝ました。お母さんは「何が怖いの??大丈夫大丈夫…zzz」と不思議がってました。私も何に怖がってるのか、自分でも分からなくて、うまく言えないけれど、背筋がゾワゾワとして、本当に怖かったのです。

19歳で白血病になり、輸血を通して、いろんな方の血をいただきました。たくさんの方の血に支えられた私は、食べ物の趣味が変わりました(関係ないかもだけど)。マズいと思ってたメロンもとても美味しいし、セロリも大好物になりました。それらが大変大好物な方の血を頂いたのかな、と思うと楽しくて嬉しいものです。

自分の変化は、食べ物だけじゃなく、感覚にもありました。目には見えないけど、脳裏に映る人の姿や気配があるのです。その感覚の自覚が芽生えるきっかけになったお話。

退院直後、免許を取りに雪に囲まれた地方へ、合宿に行きました。宿泊施設に入ると、ヒヤッとする空気に体がゾワゾワとしました。あれ、おかしいな…と思いましたけど、周りは雪です。単純に寒いだけだったのかもしれません。

着いてすぐ、部屋で昼寝をしたら、寝ている私の上を、多くの人々がバーーッと通って行きました。すごい風圧で恐ろしかったです。でも、夢かもしれない。

それにしてもこの建物はよくパチンパチン音が鳴る。ラップ音て、こういうのだったりするのかな。ま、気温差による、家鳴りだよね。

夜、部屋で勉強をしてたら、真横の窓から「コンコン」とノックする音が聞こえました。部屋は3階なので、直接窓を、指でノックするようなことはできないはずです。恐る恐るカーテンを開けました。窓の外には誰もいないし、窓の下を覗き込んでも、しんしんと降る雪の中、外には誰も立っていません。あんなにハッキリ聞いたのに、空耳?

どうにもこうにも毎日背筋がゾクゾクとして、違和感がありました。なにかの確信を感じるのに、なにを確信としていいのか分からずモヤモヤとしていました。この合宿で出会った友達に相談してみました。

「ここさ、変な音とか、しない?」

「音? パチンパチンよく鳴ってるよね。あ、あと、夜中なのに上の階からすごい足音がしたよ。煩くて超迷惑。走り回る音でさ。」と友達が言いました。その子の部屋は、私の部屋より、一つ上の階。

「え、ちょっとまって…」私は、机の引き出しから施設のマニュアルをひっぱり出して、建物の全体図を確認しました。ここ、4階建て。「上の階なんて、無いよ?」友達とギャー!と叫んで、早くここを卒業しよう!と、免許の勉強に精が出ました。

合宿も終わりかけのころ、運転試験の後、教官に「あの宿泊場所、幽霊現象があるってよく言われませんか?」と聞いてみると「あれ、君もわかるの?そっかー。君もう卒業しちゃうしいっか。あそこは昔、処刑場だった場所なんだよ。わかる人には、わかっちゃうんだよね。(笑)」

やっぱり、そうか。

苦しい思いが場所に残ったり、集まったりするものなんだな。私がゾワゾワするあの感覚は、その存在に触れた時に感じてるものなんだな。

待てよ? 子供の頃、家族旅行で行ったあのホテル、あの宿、私が怖くて眠れなかったあの時のゾワゾワ、これと、同じだったんじゃないか?天井から髪の長い女の人が私をじーっと目を見開いて見下ろしてるのを、私は感じてたじゃないか。 ん?待て待て… 姿までかんじてた? いやいや、勘違いかもしれないよ。妄想だよ。

そんなことを思いながら、横浜で一人暮らしを始めた時、アパートのすぐそばの電柱を通り過ぎる時に、きまって浮かぶ、小さな女の子の姿がありました。毎度どうして浮かぶのかな、と思いました。ある日の帰り道、ちょっと試す気持ちで、電柱の前を通る時に「こんにちは」と心の中で声をかけて、会釈をしながら、通りすぎてみました。部屋の鍵を開けて、ドア閉め、荷物を床に下ろした時、背後に、女の子を存在を感じました。振り返ると、誰もいません。

けど、電柱のそばでいつも感じるあの感覚が、今ここでも感じる。部屋にいる。どうしよう…慌てました。心の中で「ごめんね!ごめんね!私、何もできないの。あなたの為に、何もできなくて、ごめんなさい!!!」とお詫び叫んで、「女の子が救われますように…!」と思いながら、合掌して真言を何遍か心の中で唱えました。唱え終えた時、女の子の気配はなくなっていました。

悪いことをしてしまった。もう試すようなことはしない。感じるものはきっと、確かにそこにいらっしゃる方なのだと結論を付けて、もう好奇心で探らないようにしよう。と思いました。

いろんな時空間で、一緒に地球に住んでる。

mopoka

mopoka

アニメーション作家、絵本画家。
小学生の頃から、町会の掲示板のポスターや、電信柱に貼られてるチラシや、電車に貼られてるポスターなど、身の回りに溢れる「絵」が一体だれが、どこから頼まれて描いてるのか、不思議ですごく知りたかった。
いまだ、不思議に思って眺めてしまう。

Reviewed by
早間 果実

風が頬を撫でました
撫でたのはどなたでしょうか
温かな陽光に包まれました
包んだのはどなたでしょうか
当たり前に用いられる擬人法ですが
ここまで多くの人に自然に受け入れられるのは
それが単なるレトリックに止まらないことを
暗に示唆しているのかもしれません
目は楽しすぎて中毒性がありますね
視覚への傾倒を手放せたら
見えるものもっと増える気がします
それが幸か不幸かはわかりません
共に在ることと交わることは
必ずしもセットではありません
交わさずに在るだけ
そういう距離感もあっていい
みんながみんなぜんぶがぜんぶ
分かり合えなくたっていいのです
見えなくたって見ようとしなくたっていいと思う
ただ共に在ることを
そういうものかということを
お互いに認めゆるし合えるなら

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る