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2F/当番ノート

Asian Photo Arts Artist’s Profile: Jeongwan Kim

当番ノート 第7期


■Shota Ogino以下 S.O)ジョンワンは何がきっかけで日本に来て写真撮ることになったんだっけ?

Kim Jeongwan以下 K.J.)昔のことから話すと、小学生から映画観るのが好きで、水泳の練習終わったら、家帰らないでレンタルビデオ屋に行って映画みたり、そこの兄さんと映画について語ったりしてたんだ。
当時は法律で、日本の映画観れなかったんだけど、その時不法ルートで手に入ったものがあって、それが…

『七人のサムライ』。

当時はもちろん日本語も分からなかったし、一応字幕はついているんだけど、字幕もメチャクチャで訳分からなかった笑。
S.O)オフィシャルな翻訳家が翻訳してるわけじゃないもんな。そりゃそうだ笑。
K.J)だから内容分からなかったんだけど、、、めっちゃ綺麗じゃん?
S.O)そうだね。
K.J)一時停止したら、全シーンが写真作品のようでめっちゃきれいなのよ。
それから日本映画ってきれいだなぁって思って、色々不法ルートでみるようになった。
小津安二郎監督の『秋刀魚の味』とか『東京物語』とか…たくさん観ていったら、人間の感情をここまで引き出せる映画は日本の映画しかないなって思った。

■S.O)韓国の映画はダメだったの?何が違った?
K.J)小説っぽかったね。物語っぽい。昔の韓国映画は。エンターテイメント色が強過ぎて、内容が浅かった。今は違うけどね。
それがきっかけで真剣に映画の勉強したいと思って、普通の高校とは違う、落ちこぼれ達が集まる専門学校に入学してそこで映画の勉強を始めたんだ。そこで1年くらい勉強した。
それから軍隊行って2年間訓練受けた後、働いて日本への渡航費、生活費、学費を稼いで、日本に来て日本語学校で勉強しながら専門学校の学費をバイトして稼いで、専門学校に入学したんだ。

やっと入学したんだけど、本当ガッカリした。
日本が昔の韓国に戻ろうとしてたんだ。小説っぽいというか、リアリティーだとか感情が薄い、エンターテイメント映画ばっかりで溢れてたし、学生もやる気なくてガッカリした。
ティムみたいな本当に映画が好きな人もいたけど、ほとんどが「ただ映画ってかっこいい」から来たみたいな人達ばかりだった。
飽きれたよ。クソって思ってイライラしてた。

S.O)そりゃそうだ。韓国から学費、生活費をコツコツ稼いで、やっとの想いで日本に来て入学したら、それだもんな。

K.J)そう。でもそんなとき西原先生と出会って、1人で表現出来る写真に出会ったんだ。映画と同じシステムだったし違和感はなかった。

S.O)そうだね。映画は写真の連続だもんな。

K.J.)そう。俺にとって一番惹かれたのが、黒澤明監督の映画を一時停止したときの美しさだったから、、、それがあったから写真と結びつけたのかも。

S.O)なるほどね。色々聞いてみるもんだ!ルーツは韓国のレンタルビデオショップだなんてインタビューしなければ聞けなかったよ。

K.J)でも実は中学2年3年のときに、仲良い友達が写真部に入ってたから遊びで一緒に撮ってたんだ。自動カメラでバシバシ撮ってて、現像するの高いから少しだけ現像してた。卒業の頃には展示までしたんだ。先生にも気に入られて、その感覚が残っていたこともあって、写真に落ち着けたのかもしれない。
今想えば、その頃から一枚の写真にストーリーをつけて楽しんでた。一枚では完結させないようにしてた。

S.O)映画から写真を撮り出す人はティムも含めて、みんなそういうステップを踏むね。なるほど。
しかしそれにしても珍しいね。水泳バリバリやってて(ジョンワンは中学の時、水泳で韓国1位だった)、水から出たら写真を撮るなんて笑。

K.J.)でも完全に遊びだったよ笑。

S.O)普通遊びでも手にとらないよ。そんだけ運動に打ち込んでるやつが笑。縁があったんだよ。
そう考えると友達って重要だよね。

S.O)俺高校のとき全治1年の大きな交通事故やって、それまでは小学生の時からバスケ命で、それしか自己表現の仕方を知らない人間だったんだけど、友人がピアノをやってて、そいつが「おぎも3ヶ月あれば弾けるようになるよ」「学校祭で発表することを目指そう」って言ってくれて、楽譜も読めないのにその日からキーボードまで買って、狂ったようにピアノを弾いて、最終的に『Merry Christmas Mr. Lawrence』を学校祭で弾いたんだ。今考えても信じられん。
友達って本当すごい大切。時には家族以上に価値観を形成させるから。縁を運んでくるし。

■S.O)話を作品に戻すけど、最初は何を撮ってたの?はじめてティムからジョンワン紹介されたときは光の写真を見せられた。あれが最初のシリーズ?
K.J)いや、最初はスナップばかりで、その中に物語を入れてた。「光」のシリーズを撮るようになったのは、その後。

■S.O)なんで「光」シリーズを撮るようになったの?改めてジョンワンにとっての「光」について聞かせて。

K.J)俺にとってビューファインダーってすごい大切なもので、ビューファインダーで観る世界がすごい大切なんだ。夢のようだし落ち着くんだ。他のところ見る必要ないし、自分の世界に入る感覚が俺にとってすごい大事なんだ。薬物と同じような感じ。ハイになるし、落ち着くし、中毒性があってやめられない。
そんなビューファインダーの世界を見ていて気づいたのは「光がなければ何もかもが存在しないこと」。

S.O)そうだよなぁ。俺も最初Canon G5で写真撮り出したときすごい感じた。
K.J)光がなければ、ビューファインダーの世界も存在しないし、人も存在出来ない。それどころか、この世の全てのものが無いんじゃないかって思う。

S.O)それ、太陽信仰に近いね。アプローチは違うけど。古代エジプトだ。

K.J.)その光の有り難さを表現してみようとして、あのシリーズが生まれた。光がどれだけ大事か伝えたかったんだ。
だって光なかったら何にもないもん。
そこで、あって「当然」とも言えるものを光で表現してみたんだ。
撮り出してみるとそれがなかなか面白くて笑。

S.O)ジョンワンが面白かったのは、光を表現するにあたって「影」を表現したり「光にあたった被写体」を撮るとかじゃなくて、被写体を「光そのもの」にしたこと。光自体を撮るって試みは面白かった。

■S.O)次のシリーズは何になるの?ゲイバーのシリーズ?
K.J)いや、次も光のシリーズ。ずっと光で遊んでた。(クルクル)
大学2年生からスタジオ使えるんだけど、ほとんどの学生がスタジオに入らないんだけど、俺は毎日入ってた笑。楽しくて。誰も使わないから余計入れて楽しかった。
S.O)誰も使わないってどういうことだ苦笑! てかやっぱり学費を自分で稼いでるやつは違うね。本当好きだよ、そのエネルギー。

K.J.)光のシリーズの次に撮り出したのが、「俺の視線で見る人の感情。人の視線でみる俺の感情」を撮ったシリーズ。
ある日ゲイバーに行って、そこでなんでこの人達は他の人達と違うのか、何が違ってこうなったのか、と思った。
それを知りたくて2丁目行ったら、気に入ってもらえて「働かせてくださいっ!」って言ったらOKもらった。
ゲイではないけどね笑。

働き出しても1ヶ月写真は撮れなかったけど、3ヶ月目くらいでようやく撮らせてくれた。
8ヶ月くらい働いたけど、そこで得たものは俺の人生の中で一番と言ってもいいものだった。
色んな経験させてくれた。

S.O)え、そんなに感じるものがあったのかぁ。すごいな。例えばどういうこと?

K.J.)今まで自分の考えが狭かった、ってことを教えてくれた。狭い世界で生きてたんだなって。
韓国の軍隊って全国から色んな人がくるから、変な人ばっか来るんだ。もう訳の分からない人ばっか。だけど強制的に2年間その人たちと過さなくちゃいけなくて、そこで一回世界が広がって、今度日本に行ったでしょ。そこでも色んな日本人と会って、また世界が広がった。それでゲイバーに行ったらもっと世界が広がったわけ。
今まで経験したこととはレベルが違ってさ。性格とか国籍とかどうのこうのじゃないから。

S.O)そうだよなぁ。なんかジョンワンがリベラルになる理由がよく分かったわ。
K.J)そうならざるを得ない環境で育ってきたからね笑。

S.O)俺はちょっとジョンワンとプロセスが違うけど、同じだね。
いつでもどこでも転校生だったのよ。引っ越し引っ越しで。
ドイツで生まれてから高校で日本に戻るまでは特に。

ドイツ(生誕)⇨相模原(幼稚園、小学校)⇨与野(小学校)⇨ドイツ(小学校、中学校)⇨本庄(高校)

だから「カメレオン」にならなくちゃいけなかった。
仲間になるためには、合わせなきゃいけなかった。
カメレオンのイメージって他のものに合わせられて、器用に生きているように見えるんだけど、そんなことはなくて「自分とはなんぞや?」「自分は何だ?」ってことが突然頭をよぎり死ぬ程不安に襲われる生き物なんだよ。ガキなのに「自分とはなんだ」ってことをよく考えさせられた。だから俺の場合は必死こいてバスケして、その不安を取りのぞこうとしてた。

日本に帰ってきてからは、俺のアイデンティティーは「日本人」ってことだって、強く意識したし、日本のことを知ろうとしたんだけど、結局地元とか土地を持たないで転々と育ってきたから、行き着いた先は「家族」だった。
「家族」がいる場所が地元。ホームタウンであって自分のアイデンティティー。
よく出身どこ?地元どこ?とか聞かれるんだけど、俺にとっての地元は「家族がいる場所」。両親と弟がロンドンにいたときはロンドンがホームタウンだったし、今はみんな埼玉にいるから埼玉がホームタウン。埼玉っていうかマンションの一室がホームタウンって感じ。

にしてもジョンワンがすごいのは自ら広げにいったところだよね。
俺は強制的にそういう状況だったから。

K.J)表現って「相手の気持ちとか感情とか生き方が分かっていないと出来ない」って思ってるから、そうしてきた。自分の感情ばかり言っても、それは何にもならないから。

S.O)自分がどこにいるか分かっていて表現している人と、ただ自分のことを表現している人では、人への伝わり方が天と地ほど違うからね。アーティストと名乗っている人達はどちらかというと後者の方が多いよね。

K.J)それって政治家のプロパガンダと何が違うんだって思うわけ。
これだよっていうメッセージじゃなくて、問いかけになりたいと思って作品を作ってる。これどう思います?って問いかけたい。
S.O)分かる。人って流れちゃうからさ。自分の考えをそっちのけに社会の流れに流されちゃう。
そうしたなんとなく生きてしまってる人達に「これどう思う?」ってポンッと肩をたたくのは、間違いなくアートの大切な役割の1つ。

K.J)「これ綺麗だな」「これすごいな」じゃなくて、「そうだったのか」「考えてみると俺もある」っていう気づきが大事。

S.O)分かる。結局人が押し付けて何かを教えるのって限界があって、その人自身の内側から湧き出るような「気づき」がないと何も変わらないし、成長もない。

俺の場合は、カメラをもらって撮り出したときに価値観の大きな変革があった。道路の隅で真四角にカットされた植栽も俺たちと同じで「生きてる」ってことを知って、どうしたらいいか分からなくなった。一直線に他より伸びることを生き甲斐にしているやつもいれば、カーブして他の葉っぱに絡みついているやつもいるし、背は低くても一つ一つの葉っぱが大きくて色が濃いやつもいた。何がうちらと違うんだって思った途端、色んなことが怖くなったよ。パンドラの箱を開けたかのようだった。

気づきだよね。自分の内側から湧き出たよ。

■S.O)ジョンワン、作品の話も聞きたかったけど、ジョンワンの夢「豆もやし栽培」について聞きたいよ!豆もやし笑!
最初聞いたときは、写真撮ってるやつが「写真家になりたい」とかじゃなくて「豆もやし栽培が夢」って聞いて衝撃だったからさ笑。

K.J)小学校に入る前から豆もやし栽培が夢だった笑。
S.O)ナムル好きだったの笑?
K.J)いや、お母さんの影響なんだ。
小さい時はお母さんといつも一緒にいたいじゃん。よく市場にも行ってたんだけど、韓国、昔貧乏だったからおばあさん達が家でモヤシを栽培して、道端で売るんだよね。1袋50円とか書いて。それで一日食えるって感じで。まさに生きるために生きるって感じ。
いつしかお母さんがそれ見て言ったんだよ。「勉強しなければ、あぁいうやつになるよ。」って。
K.J)その時、あれの何が悪いの?同じ人じゃないか。って怒ったんだ。差別を感じたんだ。そのとき5歳だった。
S.O)それはすごいな笑。その感覚を持って見つめれば正気じゃいられない世界だよ、この世の中は。5歳からそれを見つめ続けるってことは今までもこれからも本当生きづらいね。

K.J)そうだね。そうかもしれない。
俺はいつも「リアルワールド」を探してる。この世界のことは「フェイクワールド」って呼んでいてほとんどフェイクだと思ってるんだ。
豆もやしを栽培したら、そのフェイクも解けるんじゃないかって気持ちがいつもある。本当の世界を探したいんだ。
今の社会は誰かが仕組みだとかルールを作って、こういう風に生きなさいって作られた社会だからフェイクだって思う。
このフェイクワールドは仕方なく生きてるけど、いつもリアルワールドを探してる。

K.J)豆もやしするときは、4つ倉庫持って、2つ豆モヤシ用、1つはギャラリー、1つはレストランにしようと思っているよ。
S.O)壮大だなぁ、いいね笑。

S.O)だいぶ作品から話がヅレたけど、こういった話をアパートメントを見てる人達に伝えたかったんだ。読者の中には表現している人もいるだろうし、アートが好き、表現がただ好きって人が見ているかもしれない。そんな人達に、作品制作してギャラリーで売ること、レーベルに所属してCD発売してライブすることとかだけが表現じゃなくて「生き方が表現」であって「ビジネス」だって「人との接し方」だって「家族との接し方」だってその人を表す「表現」ってことを伝えたかった。

S.O)ジョンワンは感覚的に表現を理解している。だから「移動アイスクリーム売りしたい」とか、「豆もやし栽培」が夢って言える。
俺が思っている表現の本質って「コミュニケーション」なんだけど、社会の仕組みに捕らわれた表現に固執しないで「ただ好きだから」「人と心と心でコミュニケーションしたいから表現してるんだ」っていう「コミュニケーション」ありきの表現方法、生き方、を実践している人の存在はとても大切だと思う。
S.O)そしてその生き方を見つめることも本当に重要なことだと思ってる。
現在の「消費」に対しての考え方も変える力があるよ。昔から日本は、消費者が「ブランド」や「流行」にいとも簡単に流れていくじゃんか。
ビックネームがついているから買う、ビジュアルがいいから買う。それではその購入は「欲望を満たす消費」になっちゃう。
でも例えば、そのアーティストのこと知ろうとして「なんでこんな作品を撮るに至ったのか」を考えて、彼らの「生き方」をリスペクト出来たのち、作品や写真集を購入したらどうなるだろう。その購入は「消費」じゃなくて「支援」になると思うんだよ。
「生産者を支援すること」になる。
結果以上にプロセスが大切で、プロセス次第で一つの行動が宝にもゴミにもなる。消費にも支援にもなる。
アートの場合、能書きをたれすぎても「問いかけ」じゃなくて「メッセージ(押しつけ)」になっちゃうからバランスは難しいけど、今の日本は全てにおいて物事の核心が抜け落ち過ぎていてマズい。そこをどうにかしたい。

ジョンワンのような生き方を見つめることは、そういったことを変えるキーにもなりえるよ。ま、ジョンワンはそんな大層なことじゃないからやめてくれって感じだろうけど笑

K.J)うん苦笑。
S.O)すまんね、いつもこんな感じで笑。

■S.O)それでは最後に俺がジョンワンから聞いた言葉のなかで人生の1、2位を争う大切な言葉があったから、それについて聞きたい。
「罪を償いたい」って言葉。

K.J)自分が今までやってきてもらったことへの恩返し、自分がしてきてしまったことへの罪を償いたいんだ。
俺は当時わからなかったことに気づけたし、もうその人には返すこと出来ないんだけど、違う形でもいいから返したいんだ。
その罪は無くなるわけじゃないけど償いたい。

償いたいと言っても、俺は何も力ない。金もないし、権力があるわけでもない。
だけど自分の足で立てない子供達には何か返せるかもしれないから、その子達に何かしたい。

S.O)その想いは俺の心をすごい動かしたし、宗教とかどうのこうの無しでその想いを抱えて生きているジョンワンを感じて、自分が小さく思えたし、ショックだった。でも同時に嬉しかった。その話を車の中で聞いて、ジョンワンは知らないだろうけど、俺必死に涙こらえたんよ、その時笑。

S.O)そして、そのとき生まれた話が孤児院の子供達への「ピンホールカメラワークショップ」だね。

K.J)そう。自分たちの為だけに活動するんじゃなくて、誰かのためにならなければ、うちらの写真なんて誰が興味持つの?買いたいって思う?意味がないよ。
K.J)もっと素直になって、助けようよ。
S.O)本当そう。ワークショップしよう。
K.J)おう。
S.O)やらなきゃ表現している意味ないもん。どうしてもやらなきゃいけない。

S.O, K.J)よっしゃ。

荻野 章太

荻野 章太

Asian Photo Artsディレクター。
ロシア、中国、韓国、日本出身の若手写真家や日本を中心に活躍するアートディレクター、ウェブデザイナーで構成されるAsian Photo Arts。写真家(表現者)によって価値観を変えられた自らの経験から「アートとしての写真を社会に開くこと」「若手写真家支援」を目的に2007年から活動中。

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