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2F/当番ノート

Asian Photo Arts Artist’s Profile: Aki Saito

当番ノート 第7期

Asian Photo Arts Artist’s Profile: Aki Saito

■Shota Ogino(以下、S.)写真を始めたきっかけは?
Aki Saito 以下、A.)女、笑。その子に近づくために。

S.)映画、写真、デザイナーなど他にも表現媒体があるけど、なんで写真?
A.)好きな子撮りたいとき、映画とかだとライバル増えちゃうし笑。
実際に1on1で被写体と向き合えるのは魅力的だったし、色々チャレンジしてみて、行き着いた先が写真だった。

A.)小さい頃は漫画家になりたかった。中学校では美術部で水彩画描いてて、宇宙の本が好きでずっと読んでいた。天文学者になりたくてNASAに入りたいって当時の理科の先生に相談したら「東大出てからのハーバードだな」って言われて諦めた笑。その後、服飾の専門学校で勉強した。頭に明確なイメージがあるのに、それを形にする過程が長過ぎて辞めた。その後、映画の専門学校に入ってエディターを目指したんだけど、監督との争いが絶えなくて…。だから監督として作品撮ったら、満足してしまって次の作品を作る意欲が湧いてこなかった…。…ん~映画を形にしてしまったのが早過ぎたのかもしれない。いつかまた撮ると思うけど、もっと人生経験を積んでからだなって思ってる。そして、最後に残ったのが写真だった。さっさと出会ってれば良かったわ笑。

「漫画⇨水彩画⇨天文学⇨服飾⇨映像編集⇨映像監督⇨写真」

■S.)あきちゃんもティムと同じくポートレート作品が多いけど、演出したりする?
A.)…しないね。日常会話しながら撮ってる。彼氏とどう?とか言って。自然にしてて〜って言ってるだけ。
S.)えっ、、、そうなんだ。女の子のシリーズは表情もポーズもすごい決まってて、エネルギーで溢れ返ってるから、声をかけたり、気持ちを乗せるために相当演出してるのかと思った。
被写体が表現者だからそうなってたんだね。

A.)被写体がカメラの前に立っている時点で、表現することを受け入れてるってことだし、被写体がどういう自分になりたいか、どういう自分を見せたいかを表現してくる。あとは私がほぐしながら、崩しながら、被写体の本質を見極めようとするだけ。その反射が作品に写る。

A.)コミュニケーションしなくちゃ意味がなくて、「吸収して」「受け取って」「解釈して」「形にする」っていうプロセスでこのシリーズに関しては撮ってる。
S.)あきちゃんのポートレートはリスペクトの要素が強いもんね。そのプロセスよく分かる。
A.)ポートレートでしたくないことは、水族館の撮影でやってる。

■S.)なんで水族館で撮影することになったの?
A.)ベルリンで時間が余ってフラッと入った水族館がきっかけ。そこでは言葉も分からなかったし文字も分からなかったから、集中できたというか、1人になれる空間だった。カメラを覗くと一人の世界に入るじゃん。それが好きなんだ。水族館は暗くて、そこでファインダーを覗くとさらに自分と向き合える感覚があってさ。「お前とはなんなんだ?」って問われてる気がしてくる。
S.)なるほど。確かに水族館はブラックボックスの中で水槽だけが光っている状態だもんね。しかもベルリンで言葉も分からなかったら、あとは「感じるしかない」。
A.)そうそう!良いこと言った!「感じるしかない」。「受け取るしかない」。そんな感じだった。

■S.)水族館は何箇所くらい行ったの?
A.)30箇所以上。ベルリンを除いたら全部日本。日本各地の水族館。
S.)そっか。よく4、5回、、、多くて10回くらい特定の場所で撮影して「~っていうシリーズを作ってる」とか言ってる人多いけど、30箇所訪問して撮影してるってなると、何かを見ようとしている、何かを掴んでいるとしか言いようがないね。何を見ているんだろ。
A.)確実に「自分」を見てる。
S.)自分?
A.)この撮影は息抜きでもあるし、逃避でもあるし、啓発でもある。完全に自己との対話のためなんだ。水族館シリーズがあって、ポートレートが成り立ってるし、ポートレートがあって、水族館シリーズが成り立ってる。セットで存在してるよ。
S.)セット?どういうこと?
A.)ポートレートは尊敬の念を受けとって作品にして「発信」「解放」していくものでベクトルは外に向いてる。水族館はその逆で、自己対話が目的になっていてベクトルが内側に向いている。片方が欠けることはあり得ない。

S.)あきちゃんは写真をやっている人の中では珍しい存在だよね。写真はすごい暴力的なもので、一方的に価値つけちゃうし、その価値観の中(写真の中)で被写体を生かしてしまうものなのに、そこで受け取る作業が出来るってのはすごい。
A.)所詮わたしが言っていることなんて。ってところがある。10代で嫌な思いをして、もう立ち直れなくなった人をたくさん見てきたからかもしれない。その人達(被写体)だって同じように過去があるわけだし、私のみみっちい演出でその人を表現できるのか?って思うんだよね。

■S.)話戻すんだけど、ポートレートの話をしたときに「発信」「解放」って言葉があったんだけど、それは具体的にどういうこと?
A.)「自分を持ってほしい」ってこと。「自分で選択してほしい」ってこと。あなたはこのオリコンチャートを見て、この映画ランキングを見て、本当に自分で好きだな、嫌いだなって判断してる?って思うんだ。S.)それってAsian Photo Artsで100万回くらい言い続けてるアイデンティティーの話かな笑?
A.)そう笑。もっと自分に興味持っていいんじゃない?って思うんだよね。他人と歩調を合わせるだけで、なんで本当に自分が好きって感じるものに、真剣に興味を持たないんだろって思う。
S.)分かる。多分それは「自分のことがよく分からない」から判断、選択出来ないんじゃないかな。社会的背景について言うなら、戦時教育メソッド、欧米コンプレックス文化、高度経済成長期で形成された日本独特の企業文化にどっぷり浸かって生きてきたから、自分を見失うのは当たり前なのかも。

「国(⇄戦争)」
 ↓
「企業、地域→家族(核家族化)」
 ↓
「個人(マスメディア、雑誌媒体など)」
 ↓
「個人(ネット時代、個人で情報を選択する時代。)」

って単位が時代の流れで急速に「細分化」されていったから。沼地から砂漠への変化。いきなり情報が溢れかえって「個人」の選択が必要になって、気づいたらみんな「ポカン」って感じ。
でもそんなこと言っても何も始まらない。

■S.)あきちゃんはどうやったら、みんなアイデンティティーを見つけて、もっと自分に興味を持ってもらえると思う?
A.)わたしは「尊敬する存在を見つけること」は、アイデンティティーを見つける近道だと思ってるし「尊敬している人を越えたいと思うこと」はなんか自己啓発的意味合いでも大切らしいの。いなかったら、越えることが出来ないしね。ジャンルは違えど、私の被写体達(パフォーマー)は「仲間」であり同時に「ライバル」であると思っている。「あの劇団に受かった」「今度~で舞台が決まった」とか言われると尊敬するし、同じくらい嫉妬する。表現を始めた時期が同じ人達が多いからかもしれないけど。
A.)私の場合、その存在を歴史的人物とか非現実的な人物にしてしまうとダメで、存在している人にしないと越えられない。
S.)「憧れ」じゃなくて「目標」ってことだね。あきちゃんの作品がユートピア的なものではなく、とてもリアリスティックってことが分かったし、生きることへのエネルギーに溢れている理由もよく分かった。インタビューってしてみるもんだ笑

S)貴重な時間をありがとう。

荻野 章太

荻野 章太

Asian Photo Artsディレクター。
ロシア、中国、韓国、日本出身の若手写真家や日本を中心に活躍するアートディレクター、ウェブデザイナーで構成されるAsian Photo Arts。写真家(表現者)によって価値観を変えられた自らの経験から「アートとしての写真を社会に開くこと」「若手写真家支援」を目的に2007年から活動中。

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