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2F/当番ノート

Asian Photo Arts Artist’s Profile: Takahiro Igarashi part.1

当番ノート 第7期

■Shota Ogino以下 S.O)いつから写真撮り始めましたか?
Takahiro Igarashi以下 T.I)27歳から写真を撮り始めました。
S.O)えっ、そんなに遅くからだったんですか!
T.I)来てもらった展示のときが初展示だったので、そこから逆算して2年前から写真を撮り始めたので27歳からですね。

■S.O)撮り出すきっかけは何でしたか?
T.I)元々、中学、高校とバンドを組んでいて、高校卒業後上京したんですけど、メンバーが誰もついてこなくて笑、宅録してました。良く言えばコーネリアスのような音楽です笑。

S.O)部屋でこもってサンプリングしまたくってたんですね。いいですね。

T.I)でも音楽に関してほんっとに才能なかったんです…笑。
S.O)えっ笑?
T.I)中学、高校と音楽を信じてやってきたんだけど、初めて挫折しました。22歳の時です。
続けていくと耳が肥えてくるじゃないですか?そうすると自分の能力がよく分かってしまって、最終的には音楽聞くのも嫌になってしまったんですよ。

S.O)なるほど。

T.I)その後、PCとカメラを買ったことで、「写真」と「コラージュ」を同時に始めたんです。
家にこもって宅録してたから、コラージュ制作にすんなり入れて、ひたすらコラージュしてました。
でもそのうち外にも出たいなぁっと思って、散歩の延長で写真を撮り出したんですよ。
それが写真を撮り出したきっかけです。

T.I)なんでコラージュじゃなくて、写真を選んだのかなぁって今思うと「外に出たい」ってことも理由なんだけど、「被写体がいないと成り立たない不自由さ」だったり、「完全に1人では出来ない不自由さ」が自分に合ってたのかも。
完全に一人で出来る絵とかコラージュは、なんかもう嫌だったんです。
多分宅録してた時の影響ですね。嫌気がさしていたのかも笑。

S.O)コミュニケーションしながら表現する媒体が新鮮だったんですね。
S.O)前にインタビューしたみんなと完全逆です笑。集団で表現する映画に嫌気がさして、写真に転向してました。

■S.O)最初に作品として作った写真シリーズは?
T.I)『愛のなまけもの』です。
彼女と別れたことをきっかけに撮り出したシリーズで、それまでにもポートレート撮ってたんですけど、このシリーズで初めて自分の方向性が見つかった気がしました。
写真にコラージュを取り入れたのもこのシリーズが最初です。

T.I)コラージュって何かと何かを切り抜き貼付けることによって生まれる関係性が作品になる相対的なものですよね。それって人生も同じだと思うんです。常に変化している流動性だったり、常に流れることによって生まれる多様性って、ボクにはまるで「人生は幻」って言われているように思えるんです。
『愛のなまけもの』は「彼女が見えていなかった」ことで生まれたシリーズで、より一層「幻」の世界観を出そうとしました。
ストレートに人を撮るのは、今でもちょっと違和感があるんですよね。。。

S.O)その違和感はイガラシさんがサンプリングして音楽表現してた影響をよく表している気がします。「何かと何かを組み合わせること」で表現してきたから「世の中は何か1つで表現出来ない」っていう感覚じゃないですか?「1曲」「1人」「1作品」っていう感覚がないっていうか。
ファッションで喩えるなら「クールかクールじゃないかを決めるのは、1つのアイテムじゃなくて、コーディネート(関係性)で決まるんだ」っていうアティトゥードですよね。
この話に関しては、別の機会にもっと突き詰めて話したいですね。

T.I)そうですね。人間関係もそうじゃないですか?
人と出会うことによって新たな価値観が生み出されるし。ボクもショウタ君と出会うことによって色々なものが生まれた。
ボクにとっての人生って「複写の世界」なんですよね。
S.O)あぁ、面白い!なるほど。イガラシさんを知る上でのキーワードですね。

■S.O)その次のシリーズはなんでしたっけ?
T.I)「色と白黒」シリーズですね。
「記憶」がテーマです。
自分の嫌な思い出の場所をポラで撮ったシリーズなんで、すべての色に「物語」があるんです。

T.I)昔レンタルビデオ屋で働いていた時、告白されたことがあるんですよ。
正直嫌だったんですよ。だけど断れなくて、なぁなぁにしていたんです。でもボクがなぁなぁにするからもちろんその子は期待してくるじゃないですか。
S.O)傷つけちゃうパターンですね。
T.I)そう。自分の嫌いな点の1つです。

T.I)こういった例を含めた「自分が嫌いな自分の7つの要素」を撮ったシリーズなんです。
それらを乗り越えようとして撮ったんです。

S.O)嫌いなこと、コンプレックスですか。でも見た目はすごい綺麗ですよね?

T.I)元々ネガティブなアウトプットの仕方が苦手ってこともあるんですが、他にも理由があるんです。
話は飛びますが、ボク、昔から「疎外感を感じやすいタイプ」なんですよ。
「遊ぼう」って言ってくれてたのに突然断れると被害妄想が激しくて「嫌われてるんじゃないか」とか
「本当の自分を理解してくれてる人は誰もいないんじゃないか」って勝手に思ってました笑。
今思えば何ともないことなんですけどね笑。
これを克服したいって想いがいつもあって、前向きに克服したいんです。
いくらドロっとしたものでも、綺麗に変換しないとダメなんですよ。

T.I)人それぞれ「気持ちの処理方法」ってあるじゃないですか?
ボクとっては前向きに処理した方が「生きる動機」に結びつけやすいんです。

S.O)「生きる動機」ですか!それはこのインタビューの中でとても大切なワードですね、間違いなく。

T.I)「記憶」「物語」もその「生きる動機」があってはじめて存在できる。
その物語は究極「嘘」でもいいんです。その人が「生きよう」と前に進めるなら。
S.O)なるほど。イガラシさんにとって「事実か事実じゃないか」ってことはそれほど重要じゃないないってことですね。これはイガラシさんの今の職業からくる価値観ですね。

■S.O)話が出たので、今の職(認知症老人ホーム、介護職)に就いたきっかけを教えていただけますか?
きっかけは「祖母が認知症になったこと」だったりだとか「彼女さんの親族に生死を分ける出来事が起こったこと」です。
今までボクはぬくぬく生きてきて、親も健康だったし、それほど苦労した記憶はなかったんですが、彼女さんは色々苦労していて、そういう出来事が起こって、そのときなんか…「これこそが人生だ」っ感覚になったんですね。

S.O)あぁ。その感覚こそジョンワンが言って「リアルワールド」の出来事ですね。生と死の凝縮。
T.I)そうですね。そうかもしれません。

T.I.)そのときにもう写真は撮ってたんですけど、彼女さんを元気にさせるために、写真を撮って見せるじゃないですか。

…まったく意味なかったですよね笑。

S.O)しーーーんってやつですね笑
T.I)何これ?って感じですよ笑。無力。

T.I)そういうとき必要なのは写真とかそういうものじゃなくて、相手の気持ちになろうと努力して慰めることだったり、お金のことだったり、よく分からないですけど「現実的な支援」だったんですよね。
頭では分かってましたが、初めてそれを体験したんです。
写真って何の役にも立たなかったんですよね。
だから彼女が落ち着くまで写真を撮ることをやめたんです。
そんな中、表現していることに罪悪感を覚えたんですよ。
目の前の悲しみ無視して表現ってないだろう。って思ったんですよ。
人それぞれだと思いますが、ボクには撮れなくて、そこで完全に写真でご飯食べる気持ちはなくなりました。

S.O)何もできない無力感と向き合ったんですね。

T.I)「何かの役に立ちたい」って想いがきっかけで今の職に就いたんです。そのことで初めて写真撮ること(表現すること)を許された気がしたんです。

■T.I)その後、病気(肺気胸)になったことで次のシリーズが生まれました。
病気にも関わらず、病院に行くのが嫌で行かなかったら、ちょっとした拍子で再発するから夜更かしも出来なかったし、重いもの担いで外にも行けなくて、終いには全部の行動に臆病になって、自分の体を呪いました、その時は。

T.I)だけど30歳で初めて「それも含めて自分なんだな」って思えて、そこで生まれたのが白黒のシリーズなんです。
「日常へのオマージュ」で「日常の行動一つ一つに感謝すること」がテーマの一つになってます。
他にも色んな要素が含まれていて、版画家の友達がいて「ペーパーリトグラフからの影響」があったり、「極端にシンプルにすることで色んな人と記憶を共有したい」という想いがあったり、「自分が見ているのは骨組みだけで、色づけは周りの人がするものだ」という想いがあったり様々です。

S.O)「色づけをするのは周りの人がするもの」
S.O)それに関しては一つエピソードがあります。

S.O)この間、朝の8:00〜9:00に放送してる『旅のちから』っていう番組があって、一人の日本人民族音楽家が以前修行していたオーストラリアのアボリジニ民族に再会しに行く旅ドキュメンタリーを見たんですよ。
それはただの再会ドキュメンタリーじゃなくて、その人は修行後日本で大きな交通事故に遭って、オーストラリアにいた記憶を全部失ってしまって、それから初めての再会で、旅の中で断片的に思い出していくんです。
アボリジニの方々は全員彼のことをとてもよく覚えていて、家族のように迎えるんです。
長老には歓迎の儀式をしてもらったり、以前のように家族として接してもらって、心からの涙を流し合って本当感動的再会だったんです。
しかし、別れてホテルに帰った途端、スタッフの目の前で彼は、意識はあるものの、もぬけの殻になってしまって、また記憶を失ってしまったんです。
後遺症で新しい情報がある一定の量を越えて入ってくると、脳が記憶を消去してしまうですって。
彼の人生は常に記憶との戦いなんですね。

S.O)そんな彼が番組の最後に言った言葉は、
「この旅で私は新しい人生の方程式を見つけました。私は記憶しなくていい。私が周りの人達の記憶に残る生き方をすれば、私は生きたことになる。人のために生きれば、人の記憶に残る人生を送れば、私の生きた証を残すことが出来る」
でした。
この言葉がイガラシさんの言っていた「色づけをするのは周りの人がするもの」に結びついたので話しました。

T.I)あっ、その話まさに次のシリーズにつながる話です。
両親やおばあちゃんのコラージュ作品は、その記憶がテーマなんです。

おばあちゃんは認知症になり、今は記憶することが出来ませんし、色々と忘れてしまいました。
だけど、ボクが山菜好きなのは、小さい頃からおばあちゃんに山へ連れられていたからです。
そうやって繋がっていくことが記憶じゃないかってことを表現したくて、そのシリーズが生まれました。
「周りの人達に記憶してもらえれば、生きた証はのこる」

次回につづく。。。

荻野 章太

荻野 章太

Asian Photo Artsディレクター。
ロシア、中国、韓国、日本出身の若手写真家や日本を中心に活躍するアートディレクター、ウェブデザイナーで構成されるAsian Photo Arts。写真家(表現者)によって価値観を変えられた自らの経験から「アートとしての写真を社会に開くこと」「若手写真家支援」を目的に2007年から活動中。

Reviewed by
荻野 章太

Asian Photo Arts主催の荻野さんによるイガラシタカヒロさんへのインタビュー。後編も併せてどうぞ。

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