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2F/当番ノート

現代人にはきっと退屈が不足している。(シベ鉄横断記憶その1)

当番ノート 第55期

>>通過儀礼2日目

究極の退屈を探しにいこう。と友人が言った。

2014年1月、銀座のルノアールだった。話の始まりがなんだったかは覚えていないが、確か、オリエント急行に乗ってみたいんだよねと私が言って、でもWikipediaを見たらもう今は廃止になっているようで、ならばシベリア鉄道はどうか、これなら今も現役で走っている、始発から終点までだいたい1週間かかるらしいけど。

1週間?何するの?ずっと列車?暇すぎん? 暇で退屈でなんもすることないのがいいんだよ。社会人になったら多分そういうのから遠ざかる。これぞ就職前にふさわしい。でしょ? ……というわけで、いかにも卒業旅行らしい行き先にキザなテーマを携えて、それが大学生活最後の旅行になった。

シベリア鉄道踏破。

いや、歩いてないから踏破じゃないのか。制覇でもないし、しいていうなら完走? 適切な熟語がいまだに見つからないけど、とにかく起点から終点まで、乗り通すことだけを目的とする旅行が決まり、3月8日、成田空港のユニクロでウルトラライトダウンを買い込んで、友人2名とともにユーラシア大陸の東端へ飛び立った。

・ ・ ・

近頃、あまり退屈していないなあと思う。毎日が充実しすぎて溢れちゃうというわけではなくて、「退屈な時間を許容」できなくなっている。

社会人になってから、少しでも能率をあげるべきだと、すきま時間も何かに「生かせる」のではないかと考える癖がついた。

PCの再起動中もスマホでSlackは返せるし、ニュースアプリはトイレでザッピングできるし、簡単な電話は駅への道すがらがちょうど良い。これから電車なので、失礼します! 乗ったらSNSでバズっている記事を読んだり、夜ご飯のレシピを調べたり。改札を出てスーパーに吸い込まれ、そのままさっき見た材料を買う。皿洗いも爪切りも、流行りのラジオアプリでも流しながらやると情報収集も兼ねられて良い。

休憩時間ですら、コーヒーを手挽きしながら契約書のチェックをしている。ミルのごりごり触感と挽きたての香りが、誤字を見つけやすくするのだ、なんて。

起きていることが、何かをしているということと限りなく重なって、できることならさらに何かを兼ねられないかと考えている。

今日は何もすることがないなあ、という日は罪悪感があり、暗くなってから、せめてお散歩しておこうかとか、積読本をつついてみるとか、ごろごろしながらでも映画をみようかとか、「何かをした日」として着地したいと思ってしまう。

良きビジネスパーソンたちは走りながら考えているし、とりあえず行動あるのみで、その一つ一つのアクションの積み重ねが石をうがち、脳を耕し、未来をひらくのであるから、時をムダにすることは命をムダにすることなのである。とまで強迫観念に駆られているわけではないのだが。

シベリア鉄道旅行のことは、いつかまとめて書きたいと思いながら7年経っていた。そろそろすっかり忘れ去りそうなので、この連載を機に、あの退屈の思い出を綴ってみることにする。

まあ「今こそ退屈しにいくぞっ」と意気込んで出かけていったのは、文字にしてみるとなんとも逆説的な感じだけれど。

・ ・ ・

シベリア鉄道、略してシベ鉄。ウラジオストクからモスクワまで、大国ロシアを横に突っ切る形で1万キロ弱続く世界一長い鉄道だ。

本線の他にもいくつか枝葉のような路線があり、モンゴルのウランバートルから北京へ通じる経路であったり、本線よりも北の方を走る経路もある。いずれも、地図を見ると、シベリアといえど広大なロシアの中でみればかなり南の方の地域を走っている路線だということが分かる。

それでも実際に行ってみると、3月でも相当な重装備の防寒具がなければ耳がちぎれるほどだったのだが。世界一の国土面積おそるべし。

ともあれ我々はシベ鉄初心者なので、王道たる本線を行くことにした。

▲赤いのが本線

ウラジオストクまでは成田から直行便で2時間半。昨今ウラジオストクは「最も近いヨーロッパ」として人気の旅行先のようだけど、まさになんなら東京→沖縄より近い。

そこからウラジオストクを出てモスクワへ、シベ鉄にずっと乗りっぱなしだと、所要時間は7日ほど。

乗ってみて知ったのだが、シベリア鉄道は単なる観光列車ではなく、地元の人のための生活路線でもある。実際の停車駅は、上の地図よりももっと細かくて、ちまちま止まる。

ウラジオからモスクワまで行く我々は、いわばこだま号でユーラシア大陸を横断している気分。速度でいうと新幹線の半分もないくらいなので、「壮大な青春18きっぷの旅」というほうが感覚的には正しいかもしれない。

とはいえ世界一の長距離列車。号車がいくつかあって、1〜3等車までに分かれている。

1等車は個室(ベッド2つ)。2等車は相席個室(2段ベット×2)。3等車は開放寝台(号車の中に一切仕切りがなく、2段ベッドが延々と並んでいる)。

▲寝ている人にちょっかい出し放題。シベ鉄で検索すると物騒な第二ワードたちが出てくるが、我々が乗った時は身の危険は感じなかった

2014年当時、日本語のサイトでは1, 2等車しか予約が取れず、しかも代理店を通すようでちょっと割高だった。現地のサイトであれば何等車でも予約ができそうだったので、ロシア語はまったく分からないままにグーグル翻訳とコピーアンドペーストを駆使して、我々はなんとか3等車席を確保した。一般には、観光客はせめて2等車個室をとることが多いようだったけど、長旅になるのでできるだけ安くすませたかったし、個室だったら退屈を凌駕して窒息しそうで、開放寝台の方がまわりと交流ができてまだ旅らしいのではと思ったのだった。結果的にその予想は、良くも悪くも正解だった。

初めてのロシア、初めての長距離列車。

3等車のレポート記事は、ブログなどをあさってもあまりなく、かろうじて事前情報として得ていたのは、

  • とりあえずトイレはあること
  • シャワーはないこと(1, 2等車にはあるとか、3等車でも車掌さんに賄賂を渡せば貸してくれるらしいとかという情報もあったが定かでない)
  • 飲用のお湯は使い放題であること(サモワールという給湯器が、各号車の連結部についている。さすがシベリアは湯が命に関わる)
  • 食堂車はあるらしいが3等車の乗客が使えるのかは不明
  • 車内販売があり、スナックなどは買えること
  • 各駅のホームに小さな市場が出ていて、ピロシキなどのお惣菜を売っているが、消費期限は保証できないこと

一週間まったく洗髪できないのはキツい。そこで、途中下車を計画に入れることにした。

ウラジオストクから、1泊乗ってハバロフスクで下車(まずはどんなものか車内を体験して、必要なものを買い足す必要がある)。それから再乗車し、3泊乗ってイルクーツクで下車(バイカル湖という世界一深い湖の沿岸の都市)。下車すれば、そこでホテルをとって、シャワーが浴びられるという計画だった。

さらに4泊乗ってモスクワ着。3月だし、4泊なら風呂に入らんでも耐えられるであろう。給湯器は使い放題だから、タオルで身体を拭くくらいはできる。

計画できたのは、そのくらいまでだった。

あとは現地の気温を調べて服装を想定し(マイナス数十度に耐えられるカナダ製のスノーブーツを買い、実家の父からふかふかしたベンチコートを送ってもらった)、ロシア語の挨拶を覚え(ありがとうはスパシーバ!)、ビザと切符だけは忘れずに持って、降り立ったらキリル文字の世界だった。

・ ・ ・

3月9日。ウラジオストクで一泊し、市内観光もそこそこに、シベ鉄に乗り込んだ。

3等車は、2段ベッドで埋め尽くされている。3つのベッドがコの字型に並んで、1セット。

2段ベッド上段のさらに上には荷物置きの棚があり、油断するとすぐ頭をぶつける。寝転がってかろうじて腹筋運動ができる程度だ。下の段はベッドを分解してぐるんとひっくり返すとテーブルとそれを挟んで二つの座席になる。

▲私は背が低いので問題なかったが、友人は窓を蹴っていた。絶対ロシア人の身長に見合ってないベッドサイズ

シベ鉄は、先に書いた通り、地元住民にとっては日常の電車である。3等車は特に、地元のおばちゃんや家族連れが乗っては降りていく。寝台といえど、寝る間もなく座って去っていく人もいるのだ。

乗車時にシーツと枕カバーが支給されるので、車両は古くあちこち錆びついているけど不潔感はない。ロシアの建物はだいたいとても暖房がきいていて、ウラジオで見た湾は完全に凍っていたけれど、車内は半袖でも快適なくらいだった。

そんなこんなで初日はすべてが物珍しく、ベッドでギシギシごろごろするのにも興奮して、退屈どころではなかった。

1泊過ごして、車内生活にどんなものが必要かが分かったので、最初の途中下車地・ハバロフスクでは、スーパーで食糧や飲み物、ウェットティッシュ、コップ、ナイフなどを大量買いした。レジ袋何個分も買い込んで、遠足気分である。

ハバロフスクから次の下車地・イルクーツクまでは3泊。今度こそ退屈な日々が待っているに違いない。

3月10日深夜。しかしその期待も、ハバロフスクから再乗車した途端に打ち砕かれる。

車両がほぼすべて迷彩服のロシア兵たちに占拠されていた。クーデターではない。ロシアでは兵隊さんも若手は普通に移動手段としてシベ鉄を使うらしいのだ。

おい銃器持っとるやないかい、開放寝台で堂々と作戦会議をするな、上裸パンイチでうろつかないでくれ、というホットな状況に巻き込まれ、翌日はやはり退屈どころではなかった。

その日、車両の中で部外者だったのは私たちと韓国人の旅行者青年、アル中のロシア爺の5人だけだった(どうしてそんな席割りになったのだろう)。

さらに我々は、白昼から酔っぱらった爺にしつこく絡まれ、ビールを何度もかすめとられそうになっていた。STOPもNOも通じない。そもそもろれつがまわっていない。密室で激昂されるわけにもいかないし、なだめすかして困っていると、見かねて救いの手を差し伸べてくれたのは、ひとりのロシア兵だった。

真っ赤なパンツ一丁の彼は、ロシア語で何事か繰り返し、見事な手際で爺を寝かしつけてくれたのだった。

狭い車内だ。そこからおそるおそる車両全体を巻き込んだ交流が始まり、結果、一晩ウォッカを注がれつづけながら若き憂国の兵士たちと片言英語&スパシーバで語り明かすという、旅行らしいエピソードに見舞われた。

折しも当時はウクライナとロシアがクリミア半島を巡って争っていた最中で、彼らはウクライナを非難するときは厳しい目をしていたが、故郷に残した婚約者の写真を見せてくれたり妻が持たせてくれた保存食おつまみを差し出してくれるときは実に朗らかだった。年齢も我々と変わらないか少し下だ。

翌3月12日。彼らは二日酔いの風もなく、すっきり目覚めて先にどこかの駅でおりていった。シベリアの大地のどこかで、軍事訓練に励むのだろうか。

さようなら、どうか無事で。がらんとした車内に予定外の寂しさを覚えつつも、まもなくシベ鉄は第二の途中下車地・イルクーツクに到着する。

▲友好の証にミリタリーフードの詰め合わせをもらった。保存食と固形燃料のセットで、やたら重い。ロシア兵たちは酒のつまみとして、べりべり開けて食べていた(支給品だろうに、良いのか?)。お世辞にもおいしくはないのだが、せっかくなので帰国後に全部食べた。

この湖畔の街で、我々は久しぶりのシャワーと完全凍結したバイカル湖を堪能し、再び大量のレジ袋をさげて、最後の乗車区間に乗り込んだ。

イルクーツク発、首都モスクワへ。

もはや2段ベッドは我が城である。排泄したものがそのまま線路の肥やしとなる素朴なボットン便所や、朝になると叩き起こしてくる車掌の存在にもすっかり慣れた3度目の乗車で、ようやく退屈が始まった。

(あまりに長くなったので、次回につづく)

藻(mo)

藻(mo)

フィクションの好きな会社員。酒と小説と美術館、散歩、そのために旅行する。1991年早生まれ。

Reviewed by
坂中 茱萸

結局のところやらされている日常の仕事というのはたとえ忙しく動いている時間でも自分自身の心は動いておらず空虚であり、消費されているのかもしれません
消費されること、することからの脱却は自分の心を動かすものに没頭すること、ではないかとおもいます

猫のように考えてみてください
猫は常に自分の好きなことをしています
きっと猫にとっては退屈な時間もまた「自分の時間」です

消費されない、自分の時間に出会うには、寄りかかりやすい他人への共感から探すのではなく自分主体でわくわくできることを探す必要があります 大袈裟にいえば「驚異への旅」です
退屈だと思う時間を増やそうと思って旅に出ることも、逆説的には驚異への旅のひとつ
そこには大きな夢も他人の目も他人のきらきらした生活も不要で、いまこの瞬間、自分が楽しいと思えるかどうかのみがあります

そういうことを選び、生み出すことのできる時間が幸せなんだろうと思います

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