>>通過儀礼3日目
退屈すぎて、何も覚えていない。
シベリア鉄道、略してシベ鉄完走の卒業旅行は、イルクーツクでの途中下車を経て、後半戦に突入した。ここからは終点のモスクワまで下車なし、4泊のノンストップである。
前半4日は、なんだかんだと物珍しく、2段ベッドの昇り降り、貴重品をさりげなく枕元にうずめて眠る夜、車両連結部にだけ配置された電源にコンセントを差して盗られないように見張りながらスマホを充電すること、そういった「シベ鉄生活」の細部に慣れる過程も楽しかった。しかしそれらの仕草も完全に板につき、押し寄せる真の退屈は、描写することも叶わないほど、無だった。
本当に記憶がない。一体車内で何をしていたんだろう。
覚えているのは、走っても走っても変わらない窓の景色だけだ。
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いのち短し。情報とともに生の充実を図る現代人にとって、鷹揚に退屈を享受することは、よほど意図しなければ難しい。
特に何もしない。特に何も見ない。特に何も得ない。退屈を察知しても焦らずに、これでいいのだと諦めるところから退屈は始まる。
そんな無為の時間は、実のところ楽しいものではない。最初はむしろストレスフルで、何か読むものがないか、話すことがないか、探し求めてしまう。無言の食卓でドレッシングの原材料名を読み上げてしまうように。天井の染みに星座を描くように。
しかしそれにすら飽きてしまったあと残るのは、時間そのものの重さだ。どこにも押し出しえぬ時間。何にも結実しない時間。
校庭の鉄棒にこうもりみたいにぶらさがって、さかさになった校舎を眺めていた放課後のように、遅々として進まぬ時間が車内に満ちていた。
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イルクーツクで3度目の乗車をしてから、車内はずっと平穏だった。アル中の爺もいないし、ロシア兵団と乗り合わせることもない。この平穏がシベ鉄の平常運転なのだろうけど。そして我々はこれを求めていたはずなのだが。
めっちゃ暇じゃーん、ってはしゃぐことにも飽き、日本から持ってきた本や映画にも飽き、ドストエフスキーはこんな状況でも読み通せず、夜なべして友人の恋愛相談を聞くもさすがに一夜で結論が出てしまい、あまりにすることがなかった。
本は何冊か持参していて、三浦哲郎の『忍ぶ川』と幸田文の『流れる』を読んだことを覚えている。『忍ぶ川』も『流れる』も、昭和の東京のまちを舞台にした情の物語で、シベリアの風景とも、バックパック旅行とも相入れない。素敵な名作だったけど、なんで持って行ったのだろう。
しかし、いずれも200〜300ページほどの文庫本とはいえ、何の中断も入りようがなく、しおりのいらない読書ができたのは、思えばシベ鉄以降は無いかもしれない。
ともあれそんな読書に興じられたのも前半のこと。寝返りもろくに打てない狭い2段ベッドの上で、ずっと寝転がっているうち(天井が低いので座ることもできない)、だんだん友人たちとも会話が減っていった。みな何をして過ごしていたのだろう。
唯一、能動的にのそのそ動いたのは、食事の時間だ。
シベ鉄の3等車では、食事は持参が基本だ(3等車の乗客でも食堂車は利用できたのかもしれないが、そもそも私たちの乗っていた列車に食堂車がついていたのかも定かではない)。途中下車した町のスーパーで大量に食料や飲料を買い込み、4日かけて消費する。もちろん冷蔵庫はないので、がんがん暖房下でも耐えられるもののみだ。ビールも初日以降は常温麦ジュースである。
食料の他にもウェットティッシュは重宝したし、皿、コップなども必須。それにしても海外のウェットティッシュはどうしてあんなに香料がきついのだろう。
そんな状況なので、主にはパンにジャムやはちみつ、ピーナツバターを塗って食べる。あとはサラミを切ったり、バナナを剥いたり、りんごやプラム、トマトをかじったり。水で洗うってことができないので、果物の表面も軽くウェットティッシュで拭いてからかじっていたのだが、香料のせいで、一口目はなんとも人工的なフレーバー。
ちなみにロシアでとれる菩提樹の「白はちみつ」は、この旅行中最高の出会いだった。とっても美味で、日本ではほぼ手に入らないので、私はその後もロシア圏に旅行するたび爆買いしている。
それから缶詰。ロシアではいくら(Икра=イクラ)の缶詰が安くて、それをパンにぶっかけた創作料理「いくらパン」は、友人たちに好評だった。残念ながら私はいくらが苦手だが。
お湯は給湯器から無料でいくらでも汲めるので、ティーバッグのお茶や溶かすスープ、インスタントコーヒーもよく飲んだ。お湯があれば冷凍食品も溶かせるのでは?と冷凍ペリメニ(餃子)を買って湯をかけてみたけどうまくいかず、中まであっためようと突っつきまくっているうちに実がぐちょぐちょになった。やっぱり湯煎とは違うよね。
その点、カップ麺はすぐれた発明品だ。特にロシアでは「ドシラーク」という韓国製のカップ麺がよく出回っていて、スーパーに何種類もあったし、シベ鉄の車内販売でも扱われていた。ちょっとやる気のないふよふよ麺と優しいスープの味が絶妙で、硬化したパンに飽きた我々はしばしばドシラークのお世話になった。
食事についてだけ饒舌になるほど、本当にあまりに退屈で特筆すべきことがなかったので、その他は全然記憶がない。写真もろくに残っていない。
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シベ鉄の車内では、もちろん時報が流れるわけでもなく、電光掲示板で次の停車駅を知らせてくれるわけでもなく、ときどきスマホで時間を確認はするものの、基本的に腹時計にしたがってパンやドシラークをすするのみ。
しかもロシアは大国なので、現在国内に11もの標準時を持っている(もはや何が標準なんだ)。ロシア南部を東から西へ横断する我々は、そのうち7つの標準時をまたがっていくので、時間は進んでいるのに時計は適宜巻き戻さなければならない。
1時間おきくらいにガタンっと止まったときに、窓の外の駅名看板に目を凝らし、キリル文字と手元の路線図を見比べて、これは何駅かな? ということはまた新しいタイムゾーンに突入したのかな? と繰り返すうち、ここはどこなのだろう。今はいつなのだろう。
いつ、という感覚も、なんども時間変更線をこえていくたび曖昧なものになっていく。さっきまで4時だった、また4時がやってくる。時間も所詮はヒトの作り出した文明の道具にすぎない。
こうしているあいだにも、日本では、春から就職する予定の会社の内定者懇談会が行われている。
どんどん時間も昼夜も溶けていく中で、覚えているのは窓のことだけだ。
シベ鉄の窓には細かな傷が無数について、曇りガラスのようになっていた。だから窓からの景色はぼやけ、しかしまったく変わらない。見えるのは常に枯れた大地と針葉樹。こんな雪の上に鉄道を敷設したロシア帝国の人々の苦悩を想像してみるけれど、いま私を包むのは清潔なシーツと穏やかな暖房だけなのだった。
あまりにすることがないと、結局自分の内側と目のまえの景色とのあやとりになる。私たちは日々、外側に思考の逃げ場があるから、正気を保っていられるのかもしれない。
地元民が乗っては降りて行く。大地の向こうにはきっと無数の生活がある。現代は平和だなあと腹筋運動をしながら、あのロシア兵たちのことを思う。実はその頃モスクワでは大規模な反ウクライナデモが起きていたが、私たちはそれも知らなかった。
身体だけがただ西へと運ばれていた。
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モスクワに着いた。かくしてシベ鉄の旅程は終わった。
同行していた友人の一人は、シベ鉄の後半があまりに退屈だったのでドラキュラに会いたいと言ってルーマニアに向かって行った。
私はせっかくなのでまだロシアを見ていきたいと、もう一人の友人とともに再び夜行列車でモスクワからサンクトペテルブルクに向かった。サンクトペテルブルクのホステルでは、1週間以上ぶりに動かない床の上で眠った。揺れないベッド。もう車掌は起こしてこない。朝は冷蔵庫から冷たいミルク。Wi-Fiで調べ放題。快適と違和感。
そしてフィンランドのヘルシンキ、エストニアのタリンと巡って、無事帰国した。
3月25日、最終日、タリンのバルト海で見た夕日は、シベ鉄の車窓で毎日眺めていたのと違って、ものすごいピンク色だった。空が一面染まって魔的だった。
ピンクの空を眺めながら、ウラジオストクからここまで、(ヘルシンキ→タリンは船をつかったけど)およそ地続きで移動してきたことを思った。横断旅行の醍醐味は、旅程がすべて同じ太さの「線」になることだと思う。目的地を点としてピックアップする旅行では、移動は単なるつなぎとして捨象されやすいけど、移動することが目的になる旅行もあるのだ。
あとは帰るだけ。10日以上かけて地面を運ばれたルートを、飛行機では乗り換え含め1日で戻れてしまう。東京に着いたら急いで引越しをして、1週間後には新社会人だ。
機内のモニターで、シベリアを大胆にまたぐ航路図を眺めながら、退屈きわまりなかった時間のことを思った。
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帰国後、友人の一人は「帰りもシベ鉄でも良かったよね。今度はモンゴルルートを使って」と言っていたが、もう一人は「当分、退屈はいいわ〜」と言って、忙しそうな会社員になっていった。
しかし、横断旅行には魔力がある。
その1年半後、皆で宅飲みをしていたときに、ふと調べてしまったのだ。アメリカ大陸は、何日かかるのだろう。Google Mapが弾き出したのは、サンフランシスコからニューヨークまで、真一文字に西から東へ、車で43時間。……43? もちろん途中休憩や睡眠が必要としても、1週間あれば、充分すぎるほどなのか……?
改めてユーラシア大陸のでかさに敬意を払うとともに、そんなわけで、今度は車を運転し、アメリカ横断を企てることになった。参加者は、シベ鉄と同じ面子にもう1人を加え、4人。夏休みと有給をフル活用して、渡米の航路も含めて10日ほど。
今度のテーマは、「他力本願のシベ鉄⇔自力本願のアメリカ」である。
自分でアクセルを踏み続けないとたどり着けないタイプの横断。退屈とは真逆のようだけれど、狭いジープの中で、「この先、1,000km道なりです」と告げるカーナビとの戦い(しかも今回は酒が飲めない)は、これはこれで別種の大いなる退屈があったというのは、また別の話だ。ちなみに1,000kmというのは、直線距離で、東京から鹿児島の種子島までに等しい。
(次回にはつづきません)