>>通過儀礼5日目
先週末、寝込んでいた。発熱したとかではなくて、右目が腫れた、ものもらいだった。
ものもらいぐらいで寝込むなよ……とは我ながら思うが、結構症状がひどくて、汚い話、黄色い汁が目からずっと垂れていて、まぶたの際で固まり、目が開かない状態が続いていた。
むりやりはがすと、かさぶたをひっぺがした時のように決壊してふたたび汁が垂れ、ぐじゅぐじゅとしたものが睫毛にまとわりつくので、目をあけていられなかった。それでもう、ずっと寝ていた。ときどき片目でスマホをいじり、記事を読んだり動画を見る余裕はあったけど。
発症したのは火曜日ごろ、なんかやばいなと思って抗菌目薬をさしたのだがあまり効かず、ふよふよと悪化していったので木曜に眼科に行った。案の定ものもらいだと言われ、つよそうな目薬を2種類もらい、さしつづけたところ、土曜には黄色い汁が出てきたのだった。汁の正体は不明だが、おそらく膿で、だとするとこれは治癒の過程上、不可避のことだったのだと思う。
寝込むのはいつも土日だ。
できるなら平日に寝込んで会社を休みたい。でも変な責任感がじゃまをして、平日は気力で乗り切ってしまう。
今日も打ち合わせがたくさんあるしなあ。引き継ぐのも面倒だしなあ。ちょっと目が腫れているくらい、zoomならマスクとメガネと照明暗めで乗り切れそうだしなあ。バーチャル背景を派手めにするとなお良し。そしてためこんで、「やっと土日だ」と安心したところで大いに発症するのだ。
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かくして貴重な土日は潰れた。潰れた、という言い方は良くないかもしれない。かつてはこんな退屈をわざわざ求めて旅行したこともあったのになあ。と思っていると、Facebookが「7年前のあなたです」と、まさにシベ鉄旅行のときの投稿をひっぱりだして通知してきた。
7年前の今日はロシアの大地を運ばれていたのか。7年後の今日は都内のベッドで憂鬱に寝ている。ま、実質たいして違いはないのだが。
シベ鉄の車両はずっと揺れていたけど、今の家も、1ヶ月前に隣の敷地で大々的な工事が始まって以来、日中は地面がゆさゆさ揺れている(1階の部屋なので、地響きがダイレクトに伝わる)。
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目が開かず、布団で耐えているあいだ、大学生の時、持病のアトピーが悪化して寝込んでいたことを思い出していた。
あれは今以上に、出口の見えない地獄であった。
アトピーは幼少期からの付き合いだったが、二十歳くらいのころ、通っていた皮膚科の先生に「脱ステロイド」という方法を提案された。名前の通り、ステロイド外用薬をいっさい使わないで、肌を再生(?)させようという試み(?)だ。
ただ、ステロイドが抜ける過程で「リバウンド」を起こし、皮膚状態がものすごく悪化する。いずれは回復するはずだけど、相当つらい。という前評判は聞いていたが、想像以上にひどかった。
詳細な記述はえぐいので避けるが、身体中がどろどろになって、体液を吸ったパジャマは悪臭を放った。にじむというか垂れて出た汁は空気にさらされるとかたまって、パジャマと皮膚をくっつけた。それをはがすとまた傷になる。頭皮から出た汁はハードワックス並みに髪の毛を固め、目元から出た汁は上下のまぶたを癒着させた。
朝起きて、目を覚ますことが怖かった。目をあけるのも、自然にはできないので、指でおさえながら、1ミリずつまぶたをはがしていった。ぺりぺりと音がした。みじめだった。
外出もあまりせず、それでも塾講師のアルバイトは好きだったので、頑張って夕方から活動していた。マスクをして(マスクの内側と顔の皮膚はよくくっつく)、メガネをして、前髪を長めにして、当然長袖で、個別指導のブースに座っていた。「なんでマスクしてるの?」と無邪気に聞かれたら、「年中花粉症なんだ〜」と明るく答える。花粉アレルギーもあるので、嘘ではない。花粉症というものの存在がマスクの市民権獲得に大いに役立ってくれたわけで、私は今も半分感謝している。
それでも、あまりにつらい日はバイトも休んだ。当時はロフトベッドを使っていたので、家の布団に寝転んで、近い天井を見て、せっかく大学に行かせてもらっているのに何をしているんだろうと思っていた(結局、それのせいだけではないけど1年留年した)。
寝転ぶのに飽きたら、床に体育座りして何時間もぼーっとしていた。体育座りは、皮膚が空気に触れる(ひりひりする)面積を小さくできる素晴らしい体勢だ。ルームシェアしていた友人は、中学生のころから一緒に暮らしていたので私のアトピーのことも知っており、深入りはしないでいてくれた。
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そうしてじっと寝転んでいると、奇妙な気持ちになってくる。
皮膚なんて、身体のごく表面の話なのだ。
表皮である。表皮!
表皮を患っているだけで、ありがたいことに身体の中身は何も悪くないわけだ。99.9%くらいは健康なのだ。それなのに何で寝込まないといけないんだろう。なぜ「表面」にこんなにわずらわされなければならないのだ。ましてや我が精神はなにも侵されていない。侵されていないはずなのに、こんなにも憂鬱になるのは損だなあ。
それでも、皮膚の病気は、非常に見た目が悪い。
当時の私は、「身体の中」の病気のほうが、なんだかけなげにみえる気がして(そんなわけないのだが)、そっちのほうが良かったなあなどと本当に本当におかしなことを考えていた。なんでこんなに汚いんだろう、と。そして涙を流したらまたかぶれて皮膚が悪化するので、「私は泣くこともできないんだ」と、負の独白の再生産だった。
皮膚科の先生は、最初こそ「みんなこうなるんですよ、頑張りましょう!」と言ってくれたけど、だんだん「なかなか改善しませんね……」とトーンダウンし、次第に「うーん……ちょっと……もう一度ステロイド使ってみますか……」となって、数ヶ月の脱ステロイド生活は終了した。
久しぶりに使い始めたステロイドは、インターバルがあったせいか非常によく効いた。
あんなに汁を垂れ流していた皮膚は修復され、キメをとりもどし、肌は肌色になった。ちょろっと泣いたくらいでは、もう頰は荒れない。海外旅行に行けるようになり、大学を卒業し、就職をした。何食わぬ顔で生きていける生活は尊い。その後も、私はステロイドを付き合って暮らしていくことにした。
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そして三十歳、久しぶりにまぶたがくっついているのである。垂れる汁をタオルで押さえながら、在りし日を布団の中で思い出していた。
なかなかにしんどかった数ヶ月。とはいえたかだか数ヶ月。特に学んだことも得られたものもないけれど、ただ唯一、当時何度も頭の中で繰り返した「ほんの表面のことなんだから」という考え方には、以来いろんな場面で慰められている。
いま目の前に迫っていることは、必ずしも本質ではないかもしれない。されど表皮。でもたかが表皮。思いつめない。思いつめない。
今回も、目から汁が出て、土日が過ぎていったくらいで、何が。
そう思いながら、抗菌とステロイドの目薬を交互にさしつづけたところ、幸いゆっくり治癒に向かい、今は両目を開いてこれを書いています。