梅雨ですね。
幼い自分の想像によると二十歳のおねえさんは、すらっとしていて、働いて一人暮らしをしていて、おしゃれな小物を持ち、上品なお化粧をしつつ落ち着いた所作で生活しているらしい。
さてアラサーの私、働いて一人暮らし、しか当てはまらない。
小さい頃の夢ってなんて残酷なんだ。
「アラサーなんだからそろそろしっかりせにゃ」と私に思わせたのは、恋愛でも結婚でも出産でもキャリアアップでもなく「いい雨傘を手に入れること」だった。
写真のとおりどこでだって手に入るビニール傘がわんさとある。
大雨でも視界は良好。ビニール傘を使っている人はたくさんいる。別に恥ずかしいことではない。すぐ手に入って便利だし、どこかに置き忘れてしまっても(またやっちまった……)と手に入れた時の思い入れと同じだけのうっすらとした後悔だけが残る。
これがもし、自分で気に入って選んだ傘だったら必死で問い合わせて、また自分の手に戻ってくるよう尽くすに違いない。
大学生の頃、同じような動機でそろそろちゃんとした傘を持たねばと、吉祥寺の雑貨屋を巡ってお気に入りの一本を見つけた。在庫ラスト1本、私のために残ってくれていたんだね。
骨で仕切られた三角は、レモンイエローにくすんだピスタチオグリーン、明るい色を締めるネイビー。ポップで賑やかでありつつ、スーツ姿にも馴染んでしまう不思議な傘。
その傘をなくしてしまってから、ずっとビニール傘を使っている。弱々しくてすぐに壊れても「あーあ」で済ませる。
こだわりも愛着もない。その場ですぐ調達できる便利さへの、インスタントなありがとう。そんな相手はいたことがないが「一晩限り」の思い出はこんな感じなのかなと最近また増えてしまった、どこで手に入れてきたのかわからないビニール傘を見て思う。
少し飛躍するが、下着の趣味は傘の趣味に出るらしい、といった内容のネット記事を見つけた。詳細こそ忘れてしまったものの、たしかにカラフルな傘をさしていた頃は、ポップでちょっとしたカラフルな刺繍を売りにしていたメーカーのものばかりを好んでつけていた。
今はどうだろう。引き出しからは「無難」という言葉しか返ってこなかった。
別に大量生産のものでもいいのだ。気に入ればそれで問題ない。それに実際のところビニール傘に特段不満はない。
ただ、風が吹けばひっくり返り、少しぶつかれば骨が折れ、すぐにさよならをすることになるのは、年齢の割にどうにも落ち着かない私自身と重なる部分が多くある気がする。
傘を買うことで少しはしゃんとできないものか。下着の好みも変わった今、私が雨の日のお供としてなにを選ぶのだろう。
もし私には手の届かないお値段の傘にビビッときてしまったら。結構本気で恐れているが理想と現実のギャップを雨傘で知るなんて。
幼い私のおねえさんの条件である、おしゃれな小物としての傘にアラサーの矜恃を見出しはじめている。
追記:もちろんのこと、カッコつけただけで、冒頭に書いた事項に焦りがないわけではない。
仕事はバリバリできるようになりたいし、今年には母が私を産んだ歳を迎える。増えゆくシミや主張してくる毛穴、明らかに落ちた免疫力と代謝にも悩まされるばかり。
出会いが微塵もない暮らしになんら問題がない、と思っていることこそが問題、と友人に告げられたのはいつのことだったか。