自分なりにキャッチーな話題を選んだつもりが恥の切り売り出血大サービス状態である。
ポジティブで細かい事は気にしない人間だと思われていそうなので、次で最後のこの連載、やたらと几帳面になってしまう部分についても書かせてほしい。
人と話す機会なんて滅多にないくせに、言葉の誤用が気になって仕方がない。見つけるなりピクッと反応してしまう。
たまに出会すようになった「延々と」とすべきところを「永遠と」と書き表すことや、「嗚咽する」と「嘔吐く」の誤用。(ウッ……訂正したい、けど会話に水をさすことになってしまう……)と内心そわそわしてしまう。
特に気になるのが「嗚咽」と「嘔吐く」の取り間違い。
似てるのは字面だけで、意味は全然違うのに「隣に座ってきた人の体臭がキツくてまじ嗚咽」という文が送られてきたときは思わず「泣いたの?」と返しそうになった。そんなものはただの煽りだ。
とはいえ、私自身も正しい言葉遣いができているわけではない。「とても」と「すごく」の違いはわからないし「やばい」と「まずい」の違いをつい最近職場の先輩から教わった。「とはいえ」を文章の頭で使っていいものか自信がない。お前は接続詞か? それとも接続助詞なのか?
何が私を突き動かすのか本人も分かっていないが、できる限り正しい言葉遣いをしたい。間違いを見つけたら、できればその場で直したい。
ひっかかるのは単語の意味だけではない。漢字の閉じ開き、記号の使い方も気になってしまう。色々・宜しく・中々・下さい、などなど。三点リーダーは2つ並べて使うんだよー! 句読点で代用しないでーー!!
もう定着して長いし、目くじら立てて注意するものでもない。だからこそモヤモヤしてしまう。
この当番ノートで書いてきた記事も、本当はセルフで校正を入れてWordの校正機能に誤りを拾ってもらいたい。できれば校閲も頑張りたい。あれ、誤りって「拾える」ものなの? 今度の記事も締め切りギリギリ、いや過ぎているのでそれは叶わない。
このままだと辞書を何冊も持って歩く生活を送ることになってしまうし、何よりも疲れる。
あくまで思っている事を的確に伝えるツールだと思うのなら、正確に相手と共有できることこそ第一優先すべきで、辞書的な正しさにこだわっている場合でもないのかな、と。
「好きな人から返信がこなくてとても悲しく、そして寂しく思っています」
「好きピに既読無視されてるまじぴえん」
使う人の年齢を選ぶ言葉ではあるけれど、伝えたい内容は同じだと思う。制服を着た学生さんがファミレスで駄弁っている場面なら、またはその子たちによるSNSへの投稿なら、むしろ後者こそが正しく思えてしまう。
言葉はどんどん増えるし、読み方や意味も変化していく。死んでいく言葉もある。「アベック」なんて活字でしか見ないし、瀕死の危機に晒されているような気がする。
そしてこの記事を読んでくださる人の中にどれくらい通じる人がいるのだろうか。あの頃のプリクラの落書きに頻出していた「にこいち」は、おそらくとうに召されて埋葬されている。
自身もわざと言い回しを崩すこともあるし、親しい間柄との会話ではバンバン造語を用いている。生まれたてのネットスラングだって「うまいこと言うなあ」なんて読み進めるし、きっと振り返れば私の記事も真っ赤に赤字が入るだろうし、なにより辞書の中身だけでは表現できない内容はたくさんある。
そういえば「彼ピ」は「彼氏」、「彼ピッピ」は「友達以上恋人未満」、「好きピ」は「片思い」の相手を表すのだと友達に教わった。「ピ」の数が増えるほど距離が遠くなるのか、いやそうすると「好きピ」において矛盾が生じる。片思いの距離感なら「好きピッピ」が妥当じゃないか?
うーん、なんと難しき、そして楽しきかな言葉の世界。
こんなことばっかり考えてたら、もうちょっとで夜の3時だ。
【7月22日筆者修正】お恥ずかしながら案の定記号の使い方を間違えていたので、こっそり直しました。ごめんなさい。